カイコ録
ウズベキスタン蚕糸研究所派遣のシニアボランティア(SV)、I さんはいつも白いチノパンにパリッとしたシャツを着込み、背筋がぴんと伸びたダンディな紳士だ。色は浅黒く、引き締まった体型、と言ってもウ国にいるSVは程度の差こそあれ、誰でもが日焼けして肌が黒いのだが。声が大きく、磊落な性格で、大変親しみやすい。青年協力隊員からも人気があり、タシケントの中華料理店で女性隊員を引き連れて一緒に食事をしている姿がよく目撃される。宴会には積極的に参加し、多くの人と早く友達になって信頼関係を作る、という彼の心得が実践されているのだ。時々オヤジギャグを飛ばすが、決していやみにはならないのは人徳か。冗談を言ったあとちょっと口をすぼめてあごを突き出す表情が志村ケンによく似ているという人もいる。
彼はSV仲間から出戻りと呼ばれている。03年から05年までウ国に赴任し、蚕の飼育指導に当たっていた。そして帰国後、またウ国に3ヶ月の短期SVとして今年の4月から7月まで同じ蚕糸研究所で蚕飼育の指導に当たっているからだ。もちろん、任期満了前に派遣先の蚕糸研究所からは任期延長の要望が出されていたのだが、「なんせ、帰国日が決まっていて頭の周りをトロ、マグロ、ウニと寿司がぐるぐるまわっていたからねえ」という。(話の流れからいって多分「回転」)寿司を心ゆくまで食べてウ国へ再赴任してきた。
ウ国は中国、インドについで世界第3位の蚕繭生産国だ。しかし、生糸は日本に輸出されてはいない。それはウ国の生糸の品質が余りにも悪いからだ。生糸の品質には国際的取り決めがあって6AからE格まで10ランクに分かれている。ウ国の生糸は日本に輸出できるだけの品質に達していない。日本のメーカー、消費者の目は厳しくて、いくら安くても品質の悪い糸は買い付けない。ウ国の絹産業は、低品質の繭→質の悪い生糸→質の悪い絹織物→低品質のため低価格→生糸価格にしわ寄せ→生糸生産者に利益が出ない→繭の値段が買い叩かれる→繭を生産する気力がなくなる→低品質の繭といった悪循環に陥っている。
もし世界第3位の生産量をもつ繭から高品質の生糸が生産できれば、ウ国にとって外貨獲得につながり、養蚕農家の収入も上がる。そのためにはいい蚕を飼育し、いい繭を作らなければならない。優れた蚕品種の開発と定着、その使命を持ってI さんはウ国に来た。こちらの低品質の繭1個からは500メートルの糸しか取れない。また糸に太さも均一ではなく切れやすい。日本の交雑種では1個の繭から1200メートルもの糸が取れるものもある。うまくすればウ国の蚕糸生産性は倍になる。I さんは2年にわたり日本種の「春嶺」、「鏡月」という蚕を飼育し、中国種、ウズベク種の蚕との比較を行った。もちろん日本種がいい成績を収めた。
案外知られていないが日本は蚕の研究では世界一で、蚕、桑の遺伝資源の保存は完璧に行われている。I さんはマスターを出た後、県の蚕糸組合に20年以上勤務したが、日本の養蚕農家減少と共に、組織の縮小が始まり、暫らく養蚕とは違う仕事をされていた。でも蚕の品種育成という日本ではほぼ忘れられた技術がウ国では大変貴重なものだった。「俺のやってきたこと、俺の技術をまたこの国で役立てることができ、この国の人に喜んでもらえる。本当にうれしいよ」と語る。研究者時代を思い出し、ロシア語、英語、日本語の3カ国蚕糸関係用語集を作った。蚕種製造テキストロシア語版も作った。
2年間で十二分の活動を行った I さんが、どうしてまたウ国へ?と誰もが思うところだ。「派遣先の蚕糸研究所のドクターに、『以前、日本の研究者が調査のため研究所に来て、色々話を聞いた後、日本に帰ったらお礼に日本の原蚕種を送ると約束してくれた。でもその後手紙1本来ない』と言われた。同じ日本人として俺が代わりに原蚕種を持ってこなければ、と思ってね」義理と人情に生きる I さんらしい理由だ。
この4月に日本の関係先の許可を得て、I さんの持ち込んだ原蚕種の蚕はりっぱに育った。ウズベク種との交雑種が広くウ国の養蚕農家に飼育され、よい蚕繭から品質の高い生糸が生産され、養蚕農家が希望を持って繭の生産に取り組める日が来ることを、I さんと共に祈りたい。
なお、I さんに「ウ国での経験を是非、文章にして下さい、もちろん題は『私のカイコ録』」と言って、「おおっ、さぶーっ」と大顰蹙を買った。オヤジギャグでも仕事でも到底、I さんの足元に及ばないようだ。