チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

2月に思うこと

イカ、一つ40B

バナナ一房10B

市場の野菜

ナッパ、一束5B

枝豆20B

サンサーイ市場

2月に思うこと

■寒暖差と果物

寒波がチェンライにもやって来たが、最低気温は12,3度、日本の零下XX度で水道管が破裂したとかに比べれば格段に過ごしやすい。雲が多ければ肌寒さを感じるが、日中、陽が差すと30度を越えることもある。2月の平均気温はチェンライ22.4度、東京は5.7度となっている。この時期、チェンライは日中の寒暖差が15度以上ある。1年を通してスイカが市場に並ぶが、この時期のスイカは雨季の頃に比べて甘い。

イカは漢字では西瓜、中国の西、中央アジアウズベキスタン辺りから11世紀にやって来た。中央アジアがスイカのルーツかと思っていたが、実は南アフリカカラハリ砂漠辺りが原産地という。砂漠気候は日中の寒暖差が激しいから甘いスイカができたことだろう。メロンもアフリカ原産と言われ、古代エジプトギリシャで食べられていた由緒ある果物である。チェンライのメロンも甘い。瓜系統を始め、通年食べられるパパイヤ、バナナ、グアパ、ココナツ、ブドウも乾季の1-3月に採れるものが美味しいとされている。

タイもインフレ傾向があるが、農産物はそれほど値上がりしていないように感じる。今朝も近くのサンサーイ市場で菜の花に似た菜っ葉を一束5Bで買った。1束で充分おひたしのおかずになる。枝豆が一袋20Bだった。この時期、採りたての枝豆が食べられるのは嬉しい。ついビールの量が増える。

 

■出不精となった

ここ2カ月ほど、月―金の午前中はテニス、土日は近くのサンサーイ市場に買い物というルーティンのスケジュールだ。午後にも市内のスーパーに出かけたり、友人と会ったりするが、あまり遠出をすることがない。チェンマイには観光客が戻ってきて、高級ホテルは90%の稼働率という。

昨年12月にタイを訪れた外国人観光客は224万人、前月比28%増、1-12月の通年で、1115万人だった。1位はマレーシアの195万人、次いでインドの100万人、シンガポールの61万人、日本は10位で29万人だが、実質鎖国状態だった中国人の訪タイ観光客数は日本より少なくて27万人だった。

タイ政府では2023年のインバウンドを3000万人と予想している。感染症前の2019年には4000万人の観光客が来て、そのうちの3割が中国人だった。今年に入って中国―タイ便の増便が相次いでいるし、日本に行きにくいからタイに行こうという中国人も少なくないので中国人観光客は爆増するだろう。

それほどで多くはないがチェンライにもリュックを背負ったファランが現れ始めた。今のところ、チェンライからミャンマーには行けないがラオスには友好橋から自由に行ける。乾季からタイ正月の4月にかけて北タイにも観光客が増えてくるのではないか。

通常、自分の泊まるGHには外人観光客はいないと思う。でも外人観光客を目にすると、自分が行こうとしている場所は混んでいるのではないか、もしかしたらGHも混みあっているのではないか、と遠出を躊躇ってしまう。ラオスには気軽にスクータで行ったものだが、今でも国道に山賊が出るという駐ラオス日本大使館の警告文を読んでから、バイクの一人旅は無謀だと感じるようになった。

何かと悪いことを予想し、「やっぱりやめておこう」と考えるのは老化の始まりかな、と心配してしまう。でも自分の年なら老化は当たり前、慎重になっているのはそれだけ思慮が深くなった、年齢にふさわしく賢明の度を増してきたと考えることとしたい。

 

感染症について

日本ではこの5月8日から感染症が2類から5類に移行することとなった。4月に一時帰国しようと思っていたが、移行前だとPCRの陰性証明が必要かもしれない。一昨年、タイに戻る時、日本でこの陰性証明を取得するために2万円ほど支払った。

実はタイでも英文陰性証明取得には1万円くらいかかる。一束5Bの菜っ葉を食べていると、この1万円は大きな痛手と感じる。日本入国に際して陰性証明が不要になるまでチェンライに逼塞していようと思っている。

タイでは昨年10月に感染症はただの風邪にランク落ちしている。陽性者数の発表もやめてしまった。週に一度、感染症による死亡者発表があるが、週に数十人レベルで交通事故死亡者の10分の1程度だ。というわけでチェンライでも感染症恐怖症はかなり収まっている。マスクも義務化も無くなったが、それでも現在、チェンライではスーパー、病院ではほぼ100%の人がマスクを着用している。日本でもマスク着用は個人の判断に委ねられるそうだが、人混みでは着用し続ける人のほうが多いと思う。

タイと日本のマスク着用行動には共通するものがあるがなぜなのだろう。

愛車を手放す

花祭りから

同上

同上

同上

同上

まだマスク着用が多い

 

愛車を手放す

■購入の思い出

2009年1月に母と兄を伴ってチェンライに来た。この地で暮らすには車は必須だ。公共交通機関がないし、タクシーも走っていない。確か到着2日目にホンダの販売店に行き、展示してあった黒のホンダシティを購入した。シティは1500ccのセダン、店にはその1台しかなかった。タイのいいところはお金を払うとその場で乗って帰れることだ。

さすがに展示車であったから多少のメカチェックがあって、お金を払って2時間後に家まで届けてくれた。展示車であっても値引きは無し、家までのガソリン代も車の代金とは別に支払った。日本の販売店であれば値引きと共にガソリン満タン、各種のサービス品が付くと思うが、タイでは「売ってやる」の殿様商売、やはり日本と違うなあ、と多少のカルチャーショックを受けたものだ。

余り兄弟で母の介護をやりすぎると、女中さんが仕事をしなくなる、と忠告してくれる人がいたので、始めの頃は結構、兄とあちこちに出かけた。チェンライは盆地で回りの山には滝が流れている。それほどの落差はないが滝は滝、到着すると裸になって滝つぼで体を冷やしたものだ。一説にチェンライ三十六滝とあって、それを制覇しようと頑張った。

そしてある滝へ行く途中、山道に突き出していた石に車の底をぶつけ、バンが割れて大量の油が流失という事故を起こした、車は哀れ、修理店のトラックに引かれて行き、兄弟は修理店の車で送ってもらった。それ以来、ピタリと滝巡りをやめてしまったが、あの頃は兄も自分も元気があったなあ、と懐かしく思う。

その後、スズキのカリビアン(ジムニー)の中古車、それから兄がホンダのシビックを購入し、我が家には3台の車があった。母が亡くなる前は弟夫婦がチェンライに短期滞在を繰り返していたので兄弟3人に1台ずつ車があるほうが便利だった。それで我が家には車3台、それにバイクが1台という時代が長く続いた。

■独り暮しになるので

病院通いはもちろん、時にはお寺の参拝、メコン河見物など母をドライブに連れ出したこともある。思い出深いシティであったが、この1月に手放した。感染症騒ぎで兄や自分がチェンライに一人住まいという時期が2年ほど続いた。一人で車3台、バイク1台の面倒を見る、はほぼ不可能。1昨年11月、1年8カ月ぶりに自分がチェンライに戻ってみたら、ジムニーもバイクもバッテリーが上がっていたし、シティの車内は白いカビに被われていた。バイクは買換え、ジムニーは大幅な修理、シティは洗車、シビックは何とか稼働、それにしても昨年3月に兄がチェンライに合流するまで、車3台の世話には気を使った。

母が亡くなって4年目になり、弟夫婦は高松に戻っているし、兄もチェンライには旅行で来ることがあるだろう、と言って日本に戻ることになった。

日頃、兄はシビック、自分はカリビアンに乗っている。シティは週に1度乗ればいい方だ。周りのタイ人はそれを見ているので、もし不要なら譲ってほしいという人が何人か現れた。

■60万円で売れた

シティはここ4、5年、出番が少なくなったものの14年乗り続け、走行距離は18万9千キロを越えている。日本なら中古車としての価値はないだろう。日本のネット中古車査定で調べてみたが、査定不能、どうやら中古車には該当せず、「廃車」になってしまうようだ。

いろいろと曲折はあったが、思い出のシティはブアさんの村の人に引き取ってもらった。譲渡価格は日本円にして60万円、実はこれより高いオッファがあったが、最初に欲しがった人に譲った。丁寧に扱うので日本人所有の車は普通より高値で取引される。それにしても19万キロ走った車が60万とは。日本車は、40万キロは走ると言われている。

自分のもう一つの愛車、ジムニーは1989年製、34年落ちの車だが快調、通常の燃料はLPGだがリッター換算では24キロ走る。距離計が10万キロでゼロに戻るため、定かではないが恐らく実際の走行距離は50万キロを越えているだろう。

シティは丈夫な車で、1万キロ毎の点検でエンジンオイルを交換し、ボンネットをバタンと閉めたら、次の1万キロ点検まで開ける必要がなかった。バッテリやタイヤは交換したが、特に高額な修理費用が掛かったという覚えはない。シティの1年毎の車検費用は強制保険、代行料を合わせて日本円で7千円弱だ。日本だと13年を越える車は重量税が高くなり、車検法定費用は数万円、点検整備、代行代に3万円、部品、修理代は10-20万円かかる。2年分だがタイに比べて高すぎる。

国とメーカーの新車を買わせる陰謀ではないかと思うが、これは別の機会に。

報道しない自由

近くのサンサーイ市場

花屋さん

野菜など

下着売り場

未だマスクの人が多い

唐辛子など

 

報道しない自由

■安倍元首相暗殺

この事件の背後関係は殆ど報道されていない。また最初に安倍さんを診察した救急医療の医師と奈良県立医大の監察医の所見が違うし、山上容疑者の銃弾によって死亡したのかどうかにも疑問がある。1月13日に山上容疑者は殺人と銃刀法違反の罪で起訴されたから、いろいろな情報が出てくるのかと思っていたが、自分の知る限り、背後関係、思想信条、射撃能力など知りたいことは何も報道されない。複数の手製銃が押収されたと聞くが、その発射実験や殺傷能力の有無は検証されたのだろうか。

容疑者は統一教会を恨んでいたというが、恨みの矛先はまず、母親の財産を奪ったという統一協会の職員、幹部に向けられるというのが普通ではないか。その恨みが20年経って、ほとんど協会と関係のない安倍さんに向けられ、殺人に至る。動機としてはあまりにも薄弱だ。政治と宗教を取沙汰する報道もあったが、統一教会の動かせる票は大きく見積もって5万票、自民党の獲得票2千万票に比べれば取るに足らない。安倍さんと統一教会がズブズブの関係であるかのような報道もあったが数万票単位の団体などいくらでもあって、政治家は票田に等しく付き合うのが当たり前。政治と宗教を問題にするなら800万票をもつ創価学会公明党自民党の関係はどうなのか。

マスコミは容疑者に同情的である。そのせいか減刑歎願やカンパ金が寄せられているという。山上容疑者はその金で本を買って読書に勤しんでいるとか。そして、出所したら大学に行ってみたい、と嘯いている。死刑にならないと踏んでいる。安倍さんはまさに殺され損ではないか。

 

■中国の在外警察署

スペインのNPOの発表が端緒だったが、中国公安当局が世界53カ国に在外中国人の取締りを目的とした在外警察署を102ヶ所設置していることが明らかになった。日本にも東京と名古屋に2ヵ所、福岡にもあるという。米国ではFBIが在外警察署を強制捜査しているし、関係者の国外退去を求めている国もあるが、日本ではどういう対応をしているのかわからない。彼らの活動実態は公安で把握しているのかもしれないが、在日中国人の監視活動、スパイ強要など我が国の主権を犯している可能性が強い。

中国人スパイには日本人協力者がいるだろう。その実態は把握しているが、取りあえず泳がしておいて、最後に組織を一網打尽にしようとしているのだ、という人もいるが、それほど日本の公安が凄いとも思えない。警察が頑張っても外務省が、なあなあで見過ごすのではないだろうか。在外警察署に関しては外電には出ているが日本のマスコミで詳しく報道しているところはない。なんだかなあ、という気がする。

 

■機密文書持ち出し

アルジャジーラなど英語ニュースではバイデン大統領の機密文書持ち出し問題が大々的に報じられている。イーロンマスクがツイッター文書を公開し、また下院で共和党が多数派になったおかげでバイデン大統領の不正行為が明らかになった。

先の大統領選挙の3カ月前に息子のハンター・バイデンのPCの中身が公になった。公になったのだが、FBI、米国のマスコミ(ほとんど民主党系)とツイッターなどのSNSがこのPCの存在を隠した。バイデン親子はウクライナや中国から賄賂を貰っているという噂があったが、それがどうやら明るみに出そうな感じだ。バイデン・岸田会談のあとの共同記者会見が開かれなかったのは、バイデン大統領がこの機密文書持ち出しの質問を避けるためだったという。またこの後も大統領は記者会見に応じていない。

日本のマスコミは民主党よりのNYタイムズなどの報道をそのまま伝えるだけだから、バイデン親子の疑惑などこれまで報じてこなかった。機密文書持ち出しは民主党側のリークによるものという。弱り目に祟り目、落ち目になると政治家は叩かれる。日本のマスコミもこれに乗じてバイデン親子叩きに悪乗りするのであろうか。

その他にも岸田首相の息子である総理政務秘書官が某放送の女性記者に特ダネをリークしたとか、サヨクNPO補助金、公金チューチュースキームなどの不祥事でも報道しない自由を行使しているように見える。

そういえば、将棋五冠の 藤井聡太くんが愛読書を聞かれて「百田尚樹さんの『海賊と呼ばれた男』を面白く読みました」と答えたところ、朝日新聞には「司馬遼太郎沢木耕太郎の本を愛読しています」と書かれていたそうだ。これも報道しない自由の変形と言えるのではないか。

英語力は必要不可欠か

 

花祭りから

同上

同上

同上

同上

同上

 

英語力は必要不可欠
■英語能力指数
タイの日本語総合情報サイト、NewsClipはよく見る。今回はそのニュースの引用並びに感想。

引用開始
EF英語能力指数 日本「低い」、タイ「非常に低い」

スウェーデンの教育大手EFエデュケーション・ファーストが成人の英語能力を指数化した2022年版の「EF EPI英語能力指数」で、タイは111カ国・地域中97位で「英語能力が非常に低い」とされた。

2021年にEFの英語テストを受験した210万人の結果を分析した。点数に応じ、英語能力が「非常に高い」、「高い」、「標準的」、「低い」、「非常に低い」の5つに分類する。英語を母国語とする国・地域は対象外。

1位はオランダ、2位はシンガポールだった。ほかにスウェーデンポルトガル、ドイツ、クロアチア南アフリカポーランドなど11カ国・地域が「英語能力が非常に高い」とされた。
「英語能力が高い」はフィリピン(22位)、マレーシア(24位)、スイス(29位)、香港(31位)など18カ国・地域。
「英語能力が標準的」はイタリア(32位)、スペイン(33位)、フランス(34位)、ウクライナ(35位)、韓国(36位)、ロシア(40位)、インド(52位)、ベトナム(60位)など29カ国・地域。
「英語能力が低い」は中国(62位)、日本(80位)、インドネシア(81位)など27カ国・地域。(引用終り)

活きた英語の力を測定するTOEICのデータでも日本とタイはアジアで英語能力のビリとブービーを争っている。でも英語能力が低い、は決して恥ずかしいことではない。日本とタイは欧米の植民地でなかったから宗主国の言語を強制されることがなく、生活で英語を必要としなかっただけの話。日本、タイでは英語ができなくても高等教育を受けることができ、いい職業につける。英語ができなくとも生活上の不便はない。宗主国の言語を使わない限り、高等教育も出世もできない旧植民地国はいくつもある。旧植民地以外の英語得意国は多民族とか外国人の流入が激しく、共通語がないと食っていけない、安全でないといった欧州の国が多い。

そう思うと英語能力が低い、は独立自尊の表れともいえる。大体、日本で英語が必要なのは商社マンとか外交官とか一部の人で、彼らも必要だから使えるようになる。一般の国民が英語無しでも日常生活が営めるということは素晴らしいことではないか。

■統計、データの噓
こういった英語能力ランキングを見るたびにどういった層が受験したのか気になる。発展途上国で英語の能力テストを受けようという人は中流以上の階層で、米国や英国に留学しようという目的を持つ人が多いのではないか。また、韓国のように英語能力で給料が上下する国では学習意欲が初めから違う。

日本では英語能力テストの受験者の階層は小学生から老人まで様々だ。会社によっては新入社員はもちろん、課長以上の役職者は強制的にTOEIC 受験を余儀なくされる。社内も取引先も英語で仕事をしていないのだから、当然平均点は低くなる。

TOEICの資料では業種毎、役職毎の平均点数が示されていた。英語教師の平均得点が700点台後半と高得点圏内にあるのはよくわかる。また、20代の若手社員の平均点が著しく低いのもよくわかる。高校までに覚えた英語は大学の4年間で忘れてしまう、は自分の経験からしても正しい。

でも会社の役員クラスになると平均点が凄く高くなる。このデータを見て日本の会社の役員はみな英語に堪能だとは誰も思わないだろう。要するに海外に駐在経験のある商社の役員さんなどが「ちょっと腕試しに受けてみるか」と受験したに違いない。役員となれば社内の能力テストなど受ける必要はないし、受けても新入社員並みの点数しか取れない人は初めから受けない。要するに役員クラスの平均点が高いのは腕に覚えのある人しか受験しないからだ。

■AIの進歩
13年前にタイに来た頃は、グーグル翻訳が無かったから、女中さんとの意思疎通は「指差し会話帳」が頼りだった。今は英語なら日本語で言うと携帯がほぼ同時に英語に直して発音してくれる。チェンライに元英語教師の方がいるが「もう英語教師は要らない時代です」と嘆いていた。旅行会話ならイヤホンと小型マイクで用が済む時代はもうそこまで来ている。PCで瞬時に英文和訳、邦文英訳も可能となっている。AI技術の開発速度からすれば英語ばかりでなくタイ語同時通訳システムの実用化も遠くないと思う。

自分が現役の頃は、なまじ英語ができるばっかりに変な国に飛ばされるという危険があった。でもこれからは、英語はAIに任せ、英語能力が人事評価項目から外され、実務能力重視の時代になるのかもしれない。

 

ロングステイのリスク

花祭りから

同上

同上

同上

シクラメン

ボートで乗り付ける人も

 

 

ロングステイのリスク
■日本人会
先頃、チェンライ日本人会の新年会が空港近くの日本レストランで開かれた。会員、家族合わせて30-40名、昨年の忘年会以来、久しぶりにお目にかかるという会員も多い。自分はチェンライに来てすぐ日本人会に加入した。今年で14年目になるが、半分近くの会員の名前と顔が一致しない。古い人が帰国したり、亡くなったりして、代わりに新人が増えているということだろう。新しい会員との会話は、こちらに来てどれくらいですか、お住まいは、ご出身は、と当り障りない話題から始まる。

旧日本軍では1日でも早く入隊した兵士のほうが偉い。これは曹洞宗の1日でも早く永平寺に入門した僧のほうが偉いという風習が軍隊に引き継がれたからという。この風習は学校の部活にまで及んでいる。別に長く日本人会にいるからと言って先輩風を吹かせる気は無いが、何か新人に助言できることがあれば、という気持ちはある。自分だってチェンライに来た当初は多くの邦人にお世話になったし。

でも最近、この会話の流れがスムーズにいかないケースが増えてきた。というのは日本人会に入会したが、それまで20年以上、タイに在住しておりまして、という方が何人かおられるからだ。将棋クラブに有段者の新人が入ってきたという感じか。20年もタイに在住しているのだから、年齢は自分より上、どうしてこれまでの場所からチェンライに移られたのですか、どちらが過ごしやすいですか、とか、こちらが教えを乞う形で勉強させてもらう。

国保は安心の源
今回、入会希望の日本人夫婦はご主人が81歳、奥さまが78歳、チェンマイに20年お住まいだったそうだ。ご夫婦でタイ滞在20年以上は珍しい。チェンマイには日本人会がいくつもあるし、日本の友人も多かったそうであるが、息子さんがパヤオの大学の先生になっているので、チェンライの隣県、パヤオに住まいを移されたとのことだった。

パヤオにはパヤオ湖があり、風光明媚なところであるが、周りに邦人がいなくて寂しいとのこと。お二人ともお元気そうであったが、健康に不安を感じられたら帰国されるのではないかと思った。自分の知っている邦人夫婦は殆どが帰国されている。

年を取れば友人、知人が少なくなり、寂しさを感じる。これはタイにいても日本にいても同じだろう。でも体に不調が生じた場合、日本にいたら助かったのに、というケースはある。治療を受けるにしてもタイ語や通訳の説明では心もとない。「シクシク痛むんですが」を携帯でタイ語翻訳すると「鈍痛がある」のタイ語になる。こんなやり取りをタイの医者と繰り返すのではストレスで病状が悪化してしまう。

それに健康でなければロングステイも海外旅行もあったものではない。もし病気になったら納得のいく治療を日本で受けたい、はタイに限らず、欧米在住邦人にも広がっている共通認識だ。もちろん、これは治療費の問題もある。国保制度は国民の安心の源泉と言える。

■リスクもいろいろ
海外に住むリスクの第一は健康である。死ぬまで健康であるという保証はないのだから、いざとなったら帰国できる手立てを取っておく必要がある。海外に住みたい、という人への助言の第一は、日本の家を処分しないこと、必ず帰って住む家を確保しておくこと、である。

人生何が起こるかわからない。リスクは健康ばかりではない。タイに来て初めて結婚できた、相手は自分より40歳も年下、気立ての優しいタイ女性、車も買ったし、家も建てた、老後は彼女に見てもらおう。ところがその若い奥さんが急死する。財産はすべて奥さん名義、奥さんの親族がこの家から出て行け、車もこっちのものだ。こうなるとタイ人は親族、村人、役所すべて結束する。幸せもつかの間、豪邸を追い出され、アパートの一室で細々、年金暮し、帰るにも日本の家はない。こういったケースは稀ではない。

先般、20年以上、チェンライに暮らしていた邦人が急死した。付き合いは殆ど無く、葬儀に参加した邦人は2,3名とのこと。奥さんは日本語が話せない。地元で葬儀、荼毘は済ませたが、総領事館に死亡連絡をしたのかどうか誰も知らない。正式な婚姻であれば配偶者に年金の半額が支給されるが、奥さんはそれを知らないだろうし、手続きを手伝う友人もいない。「自分が死ぬ」は当然の理でリスクではない。でも残された人が困る、はリスクと言えようし、その軽減の手立てはしておくべきだろう。

日本人会に入会して、先人からいろいろアドバイスを受けていれば、役員も動きようがあったのではないか。日本人会への入会はLSのリスク軽減の一環と声を大にして言いたい。

 

首相に甘いマスコミ

セントラルフェスティバル・チェンマイ

同上

同上

やよい軒

オイシラーメン

大戸屋

 

首相に甘いマスコミ

■マスコミは批判しないが

中国感染症への素早い水際対策のせいか、下がり続けていた岸田首相支持率が3%ほど持ち直している。しかし、このところ高橋洋一、山口敬之、有本香、長谷川幸洋、上念司など保守系の論客から首相はひどくこき下ろされている。中には5月のG7サミットを待たずに政局が、という人もいる。だが、マスコミには岸田批判はそれほど出てこない。

岸田さんは公明党の会合で「外交の安倍、防衛の岸田」と持ち上げられてご満悦だったそうだ。防衛3文書の中に「敵基地攻撃能力」が明記されたのはいいが、首相の強い希望で「非核3原則」が挿入されている。年頭所感にいう「格の脅しには絶対に屈しない」ためには、核シェアリング、核保有は避けて通れないと思う。核を放棄したために侵攻されたウクライナには学ばないのだろうか。

岸田さんは、「防衛とは端的に言うとミサイル、戦闘機を購入するということです」と言っている。防衛とは武器購入かよ、命をかけて防衛の第一線に立つ自衛官は、首相の言葉に落胆したのではないか。せめて国家の重要な任務を果たす自衛官の処遇改善をまず実行したい、くらいの発言はあってしかるべきだ。防衛とは米国の言うままに武器を購入することではなく、日本独自の防衛産業を育て、国民こぞって国を守るという防衛意識を向上させることである。防衛を首相が他人事のように言うのには納得できない。

防衛3文書は安倍内閣の時に骨格が作られており、予算規模は5年で56兆円だったという。それを43兆に減額し、核保有の議論を封じ込め、更に増税、これで防衛の岸田といえるのだろうか。

 

■異次元の少子化対策

少子化対策というと、出産、育児、教育等に係る費用の援助が挙げられる。でも金を出したので子供が増えた、という話は聞かない。少なくともこれまでの日本の少子化対策は効果を上げていない。世界的にも少子化の傾向は顕著である。いや、スウェーデンやフランスでは少子化が止まった、対策がうまくいったというが、イスラム系の移民がどんどん子供を産んでいるだけの話。

実を言うと少子化がどうして悪いのかわからない。戦後、日本の人口は7千万人だった。明治の初めは3千万人だった。それでも日本は発展したではないか。1億2千万が8千万人に減ったからと言って何が問題なのだろう。

一人っ子同士が結婚すれば家が2軒持てる。その子供が結婚すれば4軒持てる。人口が減れば環境問題も解決するだろう。木村尚三郎という東大名誉教授が、少子化の話になった時、上記の発言をした。傍らで聞いていた岩男寿美子慶大教授が「4軒も家持ってどうするのでしょう」と訊ねたら木村先生、「残りの3軒には妾を置いて4つの家をぐるぐる回ればいいんだよ、これで少子化も解決」。これを聞いて岩男先生は絶句していた。20年以上前、シンクタンクで自分が実際に聞いた会話である。

戦前の庶民は貧しく、勤め人も体を壊せば家庭崩壊、頼みになるのは孝行な子供だけ、だから貧乏人の子沢山だった。ラオスカンボジアでは今でも子供が重要な働き手だから子供がやたらと多い。助成金どころか、今のラオスや戦前の日本のように国民を貧しくすれば、子供が増えて少子化は解決する。岸田さんの言う「異次元の少子化対策」とは、まさか国民を貧しくしたり、イスラム移民を数百万単位で入れることではないでしょうね。

 

■賃上げ要請

保守系の論客に評判が悪いのは、「インフレ率より高い賃上げの実現」だ。首相は経済団体に賃上げを要請したが、賃上げは経済状況によって上げ幅も金額も決まってくる。連合加盟の大手ばかりでなく中小企業の賃上げも景況によって決まる。つまり、国の景気を良くするのも悪くするのも、政治の力である。好景気になれば失業率が下がり、人手不足になるので自然と賃金は上がる。

ところが首相は防衛増税法人税増税によって賄おうとしている。法人税が上がるからなあ、と経営者は賃上げに消極的になるのではないか。増税となれば景気も冷え込んでくる。増税ではなく減税、更には大型の財政出動で経済活性化を図れば、いやでも賃上げは実現する。好況によりGDPが増大すれば、法人税所得税は自然増収となり、1兆円の防衛増税などとケチなことを言わなくても済む。

更迭された閣僚と同様に岸田さんにも後援会の経理に問題があった。安倍さんが同じことしていうたら大騒ぎになったと思うが、不思議とマスコミは騒がない。政務秘書官である息子の情報漏洩問題もうやむやだ。何故、マスコミは岸田首相に甘いのだろうか。

人生の最終盤、遊行期

花祭りから

自撮り

同上

同上

同上

韓国では無理


人生の最終盤、遊行期
■4住期
母と兄と3人でチェンライに移り住んだのは2009年1月だった。「門松や 思へば一夜 三十年」という芭蕉の句があるが、正に、「思へば一夜 十四年」の感慨に囚われる。この14年は、その前の何十年かと比較すると大きな違いがある。それはヒンズー教の人生を4つに区切る4住期という考え方と関係している。

4住期とは即ち、

●「学生期(がくしょうき)」
まだ一人前ではなく、学び、心身の鍛錬を通して成長していく期間。
●「家住期(かじゅうき)」
仕事を得て懸命に働き、結婚し、家庭を持ち、子を育てるために頑張る期間。
●「林住期(りんじゅうき)」
世俗を離れ、迷いが晴れ、自分らしく自由に、人間らしく生きる時期。
●「遊行期(ゆぎょうき)」
人生の最後の場所を求め、遊ぶように何者にも囚われない人生の最終盤。

それぞれ、25年ずつとなっているが、自分の場合、60歳で仕事をやめ、年金生活となった。タイに来た時は、子供は独立し、カミさんからも独立を宣言されていたので、正に林住期を謳歌できる条件は整っていた。

生きるために働く世俗的な生活から解放された。会社の人間関係、客先との軋轢、給金の中には我慢代も含まれていると思っていたから、社会人の時はあまたのストレスに耐えてきた。でも仕事をやめたらストレスがなくなって、体調までよくなった。学生期、家住期はそれぞれ25年、林住期は50歳から始まるとされるが、自分には60歳から林住期と遊行期が一緒にやってきたように思う。

父は50年ほど前に61歳で亡くなった。死ぬ直前まで働いていたから、学生期と家住期だけで人生を終わったことになる。今、異国でノンビリ暮らしていると若くして?亡くなった父を可哀そうに思うことがある。でも今や人生100年時代、75歳までは家住期、働けるだけ働いて欲しいというお国の政策もあるし、働くことが元気の源、死ぬまで働きたいという高齢者もいる。人の生き方はいろいろだ。遊行期の自分には何も言う資格はない。

■タイの高度成長
14年が思へば一夜、であったけれど、タイの変化を多々見てきた。初めてチェンライを訪れた2002年、案内してくれた邦人が、最近、市内に交通信号ができたというので見物に行ったと話していた。車が少なかったため信号が要らなかったのだ。自分が移り住んだ頃はアジアハイウェイと言われる幹線道路には交通信号があったが、ちょっと郊外に出ると信号はなかった。自分が住むようになってここ10年、車、バイクの増加は著しく、それに伴って主な四辻に信号が付くようになった。偶には交通渋滞があって、交差点を通過するのに信号2回待ちということもある。来た当初、チェンライからメーサイへよくドライブしたが、前後に車の姿を見ることは稀だったように思う。

考えてみればタイの一人当たりGDPは2009年には4,213ドルだったが2019年には7,814ドルとなっている。バイクの販売台数も伸びているがそれにもまして4輪車、特にセダンタイプの車の登録数が増えている。交通量の増大も国が豊かになっていることもデータが示すとおりだ。

因みに日本の2009年における一人当たりGDPは41,469ドル、2019年は40,566ドルと横ばい、失われた20年と言われている所以であるが、発展途上国や中進国は伸びしろがあるから発展速度が速いと言える。自分が10歳前後のとき、食堂の支那ソバ(当時は中華そばとかラーメンとか言わなかった)が1杯35円だったと記憶している。それが今では800円前後か。タイ経済も急発展、数年前、タイソバ(クイッティオ)は1杯30Bだった、ちょっと田舎に行くと25B、ところが今では40B、50Bとなっている。生活程度を落とさないとやっていけないほどではないし、ある程度のインフレは国民生活向上のためには避けて通れないのだろう。

■高級車も増えた
そういえばさすがタイも中進国、金持ちが増えているんだな、と実感することがある。自分がこちらに来た頃、大型バイクを見かけることは殆ど皆無、自分がフォルツァを買った当初は子供が目を丸くしてみていたものだ。ところが、今では1000ccを越えるデュカディ、BMWトライアンフなどがグループで走り回っている。ベンツ、マセラティなどの高級セダンも見かける。へえ、タイには金持ちが多いなあと感心するのだが、彼らが金持ちなのではなく、自分が貧乏なだけと気づく。そういえば小学校の同級生はみな秀才ばかりだったが、それは彼らが特に優秀というわけではなく、単に自分が劣等生だっただけのことだった。

日タイの経済統計を調べたり、少年時代を思いだしてクヨクヨしているようでは遊行期の高みには程遠いと言わざるを得ない。