チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

太陽光パネル

花祭りから

同上

同上

ダリア

コスモス

春や秋の花が一斉に咲く


太陽光パネル

■温暖化はウソ?
今冬、日本海側では大雪となり、九州各地でも降雪が見られた。米国でもニューヨーク州ウィスコンシン州では記録的な寒波で車に閉じ込められて人が死んでいる。アメリカでは寒波で警察機能が落ちるとスーパーが襲われて食料品が強奪される。関東地方でも大雪の予報が出されているが、コンビニが暴徒に襲われる心配はまずない、それだけでも日本はありがたい。

夏に30度以上の日が続くと、これは地球温暖化のせいだ、CO2を減らす努力が必要だ、と大騒ぎする。地球温暖化なら、寒波は緩み、降雪量も減っていいんじゃないかと思うが、世界的な寒波が来ても環境学者は何も言わない。冬は寒く、夏は暑い。これが当たり前で地球温暖化とは関係ない。

縄文時代は現在の気温より2,3度高く、東北地方でもハダカで暮らしていたようだ。縄文人が大量にCO2を排出していた形跡はないから、気候とCO2の量は関係ない。2万年から7万年前の地球は寒い時期で、結氷により海水面が今より100m以上低かったので、日本人の先祖はシベリア地方から陸続きになっていた日本列島に渡ってきた。その後の温暖化で、地上の氷が解けて海に流れ、海水面が上昇して今の日本列島になったという。

人類誕生からの歴史を見ると地球は寒暖を繰り返しているが、CO2の多少とは関係がない。国連の気候変動パネルは、とりあえず、温暖化とCO2量は関係があるという仮定のもとに環境問題を考えよう、というスタートであった。CO2 が増えると地球が温暖化するという証拠があったわけではない。でもとりあえずの仮定が独り歩きするようになった。

■霞の議論
経済産業省関連のシンクタンクにいたことがある。活動の半分が環境関係で経産省環境政策課のシェルパを務めていた。あとの半分は社会政治経済関連、自分は後者のグループでアジアの政治経済の担当。隣で環境問題を眺めていただけであったが、メーカー勤めだった自分から見ると環境問題って結構、怪しいな、という印象を持った。

要するにある仮定の下で100年経っても解答の出ない問題を、あーだ、こーだ、と議論するだけ。日本だけでなく世界中で環境問題のシンポジウム、会議が開かれるが、集まるメンバーはほぼ同じ、シンポで意見を戦わせてもあとのパーティではみなハグしあっている。昨日今日知り合った仲ではない。みんな環境で喰っている仲間だ。シンポでは「お互い率直に意見を述べ合う機会が持てて大変有意義だった」で締めくくる。結果を出さずとも研究費、補助金は入ってくるし、世界中飛び廻って「興行」とパーティで暮らす。これを環境ゴロと言わずしてなんという。

COP(国連気候変動枠組条約締約国会議)は1995年に設立された。でもそこで議論されていることはずっと変わらない。COPでは莫大な金額が費やされているが、何か地球環境改善に資する成果があったのだろうか。知っている人がいたら教えてほしい。

■環境破壊の太陽光パネル
2025年4月より、東京都では新築戸建てに太陽光パネルを設置することの義務化が決定した。カーボンニュートラル、CO2削減のためだという。太陽光パネルのほとんどは中国製、ウィグル人の奴隷労働で製造されているというので、米国では輸入禁止EUでも輸入禁止の動きがある。太陽光パネルは発電にCO2は出ないが、パネルを製造する段階でCO2は出るし、20年後には廃棄費用が生じる。

太陽光パネルは北海道や裏日本では雪のため効率が悪い。もちろん夜は発電できない。バッファーのための火力発電所が必要だ。総合資源エネルギー調査会の調査によると家庭用太陽光の発電コストは17.7円/kWhに対し、LNG火力は10.7円/kWhとなっている。太陽光の余剰電力は電力会社が以前は24円/kWh購入してくれるが、一般消費電力に加算されるため、太陽光が普及すればするほど電力価格は高くなる。電力価格の高騰は中国から脱出しようとする日本企業の足かせとなる。EUでは原子力発電、石炭火力に舵を切っているというのにどうして日本は国力を削ぐ太陽光発電に躍起なのだろうか。

太陽光発電事業者の裏には上海電力がいるというし、事業推進には中国の金も動いているだろう。太陽光発電のための土地開発、パネル設置には国会、地方議会に食いこんだ業者の利権となっている。20年後のパネル廃棄にも特定業者が指名されるのだろう。木を切り、山を崩す環境破壊が中国と政治家の利権となる。

COPの学者やNPOばかりでなく、環境の利権に群がる手合いはこれからも増えることはあっても減ることはないだろう。
そして何百年かしたら本当の氷河期が来るかもしれない。でも自分を含め、誰もそれ、見たことか、とは言えない。それが彼らの付け目だ。

令和5年を迎えて

 

花祭りから

これは新種か

花祭り

同上

サムロー



令和5年を迎えて

あけましておめでとうございます。旧年中はいろいろとお世話になりました。本年が皆様にとりまして素晴らしい年となりますようお祈り申し上げます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

■正月の思い出

1年を恙なく生き延びて、令和5年の正月を迎えることができた。この年になるとあと何度正月を迎えることができるのか、などと考えてしまう。でも何の心配もなく雨露を凌ぎ、口に糊する生活を送っている、これだけでもありがたいと思える。「人古く 年新しく めでたけれ (青邨)」といったところか。

暮の日本人会の餅つきで入手した餅で雑煮を作り、チェンライで調達した日本酒、蒲鉾、鯛(テラピア)の塩焼き、海老、それに今年は日本から送ってもらった昆布巻き、アワビ、黒豆、田作り,栗きんとんなどが加わって豪華な正月料理となった。ケジメのない人間ではあるが、正月くらいはこれまでの習慣を続けたい、という気はある。何十年も前、若い父母がいて我々3兄弟がいてお正月を祝った頃を懐かしく思い出すのも同じ白味噌仕立ての雑煮があるからだろう。お年玉をくれる人はもういないけれど・・・。

子どもの頃はよかったが、いくらか長じるに従って1月は苦しい月となった。学校に行っていた頃は期末試験、受験が1月下旬からが始まる。日頃勉強していないものだから、友人のノートを借りる算段、全然、頭に入っていない参考書やら教科書、これで試験をのりきれるのだろうか。「実力無き受験生の悲しさよ、受ければサラサラとボーダーラインの間より落つ」。

学校を出てからも暫くは正月の酒を飲んでいて、あれ、オレ、こんなにのんびりしていていいんだろうか、といういわれなき不安に襲われたものだ。人知れずドキリとした後、ああ、もう試験受けなくてもいいんだ、と胸をなでおろして飲み続ける。この不安が消えるまでに30年は要したと思う。チェンライの生活には試験も何にもない。ゲゲゲのゲの楽しい生活を送るようになるとは思ってもみなかった。有難いことである。長生きはするもんだと思う。

 

■陛下のお言葉

チェンライの元旦は晴れ、日中の気温は26度ほど、風はなく穏やかな日だった。何となく 今年はよい事 あるごとし、という予感もあるが、それは久しぶりの日本酒に酔っていたからかもしれない。

元旦のテレビニュースは、まず習近平主席が出てきて、2023年を中国共産党の精神を全面的に実施する幕開けの年として、中国社会主義の持続的発展を推し進めるなどと言っていた。次にプーチン大統領が出てきて、今回の戦争が根本的に米国をはじめ西側諸国との対決であり、そこでロシアが勝っていると強調し、祖国防衛戦争に勝ち抜く、とウクライナ侵攻を正当化していた。

この二人のあとに天皇陛下の新年にあたっての国民向けのビデオメッセージが流れた。なんで習近平プーチンのあとに陛下のお言葉が流れるのか。日本のテレビならまず最初に天皇陛下のお言葉を放送すべきではないか、年の初めからふざけるな、非国民め、と目出たい気分も吹っ飛んでしまった。でも、前座二人のあとに、真打を持ってきて正解ではななかったか、とお言葉を受け賜わったあとに思い直した。

というのはお言葉の中に「海外に目を向けると、感染者数が増加している国も多く、中には、ワクチンが手に入らなかったり、必要な治療が受けられない人々も大勢おり、このような状況が早く改善することを願っています」と暗に中国を指しているのでは、と思われる部分もあるし、「新年に当たり、我が国、そして世界の人々の幸せと平和を祈ります」と間接的にプーチンに釘を刺されていると受け取れる部分もある。

陛下は常人には到達できない高みから世界をご覧になっていると拝察する。権力欲丸出しの習近平プーチンのあとに私心が全く感じられない陛下のお言葉を拝聴すると心が清められるような気になる。わかってそうしたのかどうかはわからないが、地上波にしては粋な計らいだったと思う。

 

花祭り

元旦の午後、メ―コック川沿いの公園で行われている花祭りに出かけた。例年、この祭りで蘭を中心に百合、チューリップ、コスモスなどの写真を撮る。これでブログ添付用写真、1年分を確保する。公園に続く道路は出入りの車で大渋滞、バイクの駐車も楽ではなかった。公園内は大混雑、久しぶりに人混みを体験、皆、自撮りに一生懸命、親子連れ、カップル、みな楽しそうだ。

気分が高揚していたのか、公園出口から駐車場まで40Bを奮発してサムローに乗った。サムローは初めての体験、下りる時、車夫(放送禁止用語)のおじさんにそう言ったら嬉しそうに笑った。今年はいいことがあるような気分になった。

今年も暮れる

 

翔平クン、ネットから借用

同上

藤井竜王、ネットから

同上

井上尚弥クン ネットから

リングの上と違った表情、好青年です


今年も暮れる

■10大ニュース
12月下旬になるとマスコミが今年の10大ニュースを発表する。12月30日か31日に驚天動地の大ニュースが出来したらどうするのか、と思うが、暮の20日頃に10大ニュースを発表するのは、今年はこのまま無事に過ぎてくれよ、という関係者の望みが含まれているのではないか。今年は安倍首相暗殺、ロシアのウクライナ侵攻、旧統一教会との関係、政界を揺るがす、北朝鮮のミサイル連射といった暗いニュースが多かった。大手マスコミと自分の意見が一致することはあまりないが、自分も今年が静かに暮れてほしいと願っている。

大手新聞社の発表する国内、海外の10大ニュースのほかに、ネットにはXX県の10大ニュース、芸能界の10大ニュース、食品界の10大ニュース、アキバ10大ニュースなど様々な10大ニュースが上がっている。静岡県菊川市の10大ニュースでは「郷土から2人のプロ野球選手が誕生」がトップになっている。

ブロガーの中には我が家の10大ニュースを書く人もいる。でもお父さんがノーベル賞貰った、お母さんがビットコインで10億円儲けたというならともかく、飼い猫が20歳になった、初孫ができた程度では、本人にとっては大ごとであっても他人から見れば「へえ、それで」くらいの反応しかない。それでも2022年が暮れるにあたり、自分にとってこの1年、大きな出来事とは何だったかを振り返ることは決して悪いことではないと思う。

■若者代表
「へえ、それで」と言われるだけなので個人的な回想は書かない。その代り、今年、自分の気持ちを明るくしてくれた3人の若者について感謝の気持ちをこめて書いてみたい。

まず、第一はエンゼルス大谷翔平クンである。コロナの猛威、円安で実収入の減少など暗い話が多かったが、唯一、気持ちを明るくしてくれたのは翔平クンの活躍である。べーブルース以来の2桁勝利2桁本塁打を達成した。毎朝、翔平クンがホームランを打った、勝利投手になったという記事を読み、ユーチューブで美しいホームランスィングを何度も視聴したものだ。彼は野球が楽しくてしょうがないという。野球ができる喜びに溢れているし、態度も穏やかで礼儀正しい。ご両親の家庭教育がよかったのではないか。英語がすべて理解できなくても女性インタビューアーの眼を見てしっかり聞く。そういった真摯な態度が米国の女性キャスターの心を捉えているという。これが日本の若者ですと誰に紹介してもいい好青年だ。

次に挙げたいのは将棋の藤井 聡太クンである。2002年生まれで今年20歳になったばかり。でも竜王・王位・叡王・王将・棋聖と将棋の五冠を制している。更に棋王への挑戦権に希望を残しており、来年は6冠制覇も夢ではない。この間まで高校を卒業するかどうかなどと言っていたが、卒業よりも将棋の道に徹することにし、快進撃を続けている。弱冠二十歳であるが対戦後の感想には将棋界第一人者の風格が漂っている。すでに老成していると言っていいのではないか。後生畏るべし、益々の活躍が期待できそうだ。

■日本の将来は明るい
3番手としてボクシングの井上尚弥選手を挙げたい。12月13日に有明アリーナで行われた4団体王座統一戦で英国のポール・バトラー選手をノックアウトで下し、4団体王座統一を果たしたことは記憶に新しい。主要4団体統一はバンタム級では世界で初めてで、日本選手としてはすべての階級を通じて初めての快挙である。これまでユーチューブでボワイヨ、パヤノ、モロニ―、マクドネル、ドネア等の強豪を倒すシーンを見てきた。強烈なボディやフックは偶発的なものではなく緻密な作戦の結果という。井上選手の趣味は将棋という。詰将棋の読みが試合に活かされているのだろう。彼は10代のころから強い相手と試合をしたいと言ってきた。ボクシングが好きで、その才能に恵まれ、そして人一倍の努力家だ。井上選手はさらに強い相手を目指して階級をバンタム級からスーパーバンタム級に上げるという。彼の快進撃がどこまで続くか楽しみである。彼もリングを下りれば礼儀正しい好青年だ。

大谷、藤井、井上に共通していることは類まれな才能に恵まれていながらも人には真似のできない練習、研究を継続し、そして結果を出していることだ。また金銭に執着していない点も共通している。3人はあの若さで日本人としての礼節を体現している。結果を出しても相手に尊敬の念を持ち、決して驕らない。この3人を見ていると日本の将来は明るいのではないか、と思ってしまう。

 

 

本年も拙文にお付き合い下さいまして誠に有難うございました。年末年始のお休みを頂きまして1月5日(木)より再開したいと存じます。年末にあたりまして来たる年が皆様にとりまして輝かしい年となりますよう祈念致しております。

感染症と防衛予算

餅搗き、青い服がアリヤさん,アカ族で秋篠宮殿下來チェンライの折には通訳を務めた

同上

懇談

小学生にはサンタさんからプレゼントあり

左の餅は食べ放題

歌で会場を盛り上げてくれたアカ族の娘さん

 

 

 

感染症と防衛予算
■慣れ
タイでは今年10月にマスク着用義務が解除された。それまではマスクをしていないと罰金が科せられた。昨年11月にチェンライに戻ったが、その頃はまだ感染症恐怖が行き渡っていて、マスク無しだとコンビニの入店を断られたし、マスクが鼻の下にずれていると、荒物屋のおばさんに厳しく注意されたものだ。今はマスク無しでスーパーや市場に出かけても注意されることはない。でも人の集まる場所では9割以上の人が今でもマスク着用だ。自分もみなに合わせてマスクをかける。タイのニュースや新聞写真を見ると、エキスポ、王族が臨席する卒業式などのイベントではみなマスク着用だ。外国ではもうマスクなどしていませんよ、と言っている人がいるが、タイも一応外国ですが、と言いたくなる。

タイでは日々の感染者数の発表を止めたが、1週間ごとの死亡者数の発表は続けている。通常、週に数十人、ちょっと多くなった時で100人台といったところで、日本の感染症による死者とほぼ同じ割合だ。死亡率は低いので、ただの風邪と言っていいのではないかと思う。

中国では都市封鎖を解いて、感染者数の発表を止めた。これで中国人が街に繰り出して経済回復か、と思ったが、感染者が爆発的に増えて、火葬場では順番待ちになっているという。人々は自主的に家に籠り、閉鎖されたままのレストランが多いとか。習近平主席の感染症対策が効を奏し、抑え込みに成功した、独断的対策が取れる中国は素晴らしい、と一時は持ち上げられたけれど、結局ダメだった。そういえばこの感染症武漢肺炎と呼ばれ、中国発だった。中国に賠償を求めるという動きがあったが、どうなったのだろう。

■日本人会の餅搗き
先日、チェンライ日本人会主催の餅つき大会兼忘年会があった。会員とその家族を中心に40-50人の参加があった。持ち帰りの餅は1パック500gで150B、和食弁当は100B、感染症のため、邦人の集まるイベントは久しぶりだ。会員の平均年齢は70歳を越えているから皆さん元気なうちに顔を合わせておきたい。こっちだって古希をはるかに越えているのだから、どっちが先に逝くか知れたものではない。数年前は月に一人くらい物故者が出て、会長さんは大忙しだったが、この1年、死亡者は出なかったと思うし、少なくとも自分は会員の葬式に出なかった。この1年、皆さんご無事で、とお祝いしたい気持ちである。

今年はアカ族の生徒寮「夢の家」の生徒さんも参加して日本の歌などを披露してくれた。「夢の家」を主宰するアリヤさんとの付き合いも10年以上になる。日本語が堪能で、秋篠宮殿下がチェンライに「ナマズの研究」にいらした時に通訳を務めたこともある。アリヤさんたちが駆けつけてくれたおかげで大量の餅を搗くことができた。古希を過ぎた老人だけではとてもあれだけの餅を搗き上げることはできない。餅はカオニャオというタイ米を蒸して正規の臼と杵で搗く。この臼を製作してくれた会員も帰国したなあ、80を越しても元気に餅を搗いていたあの人は2年前に亡くなったなあ、などと古い会員を想い出す。

自分も日本人会に入って13年になる。その当時からの友人も自分も年を取った。お互い「若い、若い」と言い合ってもトシはトシ、残された時間はそう長くない。そう思うと、こういった集まりでみなと過ごす時間が貴重なものに思えてしまう。

■チェンライの感染症
感染症に罹ったという日本人会員は結構いる。村人の半分以上が感染したという人もいる。タイでは10月からPCR陽性者の発表をやめてしまったが、昨年来、ずっとその数は減少してきた。でもこの減少傾向を信じる人は少ない。身近でどんどん感染者が増えていたからだ。自分でもチェンライ県内だけでもタイ全国の感染者を上回るのではないか、と思っていた。実を言うと自分も今年の6月にメバーンのニイさんと同じ喉の症状が出た。これはニイさんの村で流行っていた「風邪」の症状と同じ、同じ頃、PCR検査で陽性となった人は病院で10日分の薬を呉れただけで終わり。そこら中で感染症が出たので病院は陽性者報告をしなかったのだろう。真面目に一桁まで感染者を数え上げる国は日本しかない。

ただ昨年罹患した邦人は強制入院となり、自費治療であるから10万円以上の出費となってしまったそうだ。罹患した時期によって病院の対応と出費に大きな差がある。日本では5類になっても公費負担が続くらしい。感染症で国費が90兆円使われ、内、予備費の16兆円は使途不明とか。防衛予算の1兆円不足は増税に頼るのではなく、予備費を締めればすぐに工面できる金額ではないかと思うのだが。

今回は纏まりのない老いの繰り言で終わり。

スイカとバナナ

イカ屋、手前の袋は5個入りで100B

大きい方が甘い

ほっそりしたクルアイ・ホーム

クルアイ・ワーン、最もポピュラーなバナナ

クルアイ・ニムムーナン

一房10B(40円)でも味は変わらない

 

イカとバナナ
■果実的野菜
常夏のチェンライではあるが盛りとなる果物で季節を感じる。ライチは5,6月の暑季の間だけ、ラムヤイは7月から8月にかけて市場に溢れて消える。マンゴーの旬は4月から5月である。最近は流通が整備され、保管方法も改善されたのか、ドリアンやマンゴーは年間を通して市場で見かけるようになった。でも旬の時期に比べるといくらか値段が張る。

年間を通して潤沢に出回っていて、値段も変わらない果物はスイカとバナナである。スイカとバナナは木に生るわけではない。スイカはキュウリと同じく蔓が出る1年生の植物だ。バナナも草の親分のような年輪のない葉の集まりから実る。だからスイカもバナナも植物学上は野菜に分類される。草に生る野菜であるが果物として食べられている、スーパーでも果物売り場に置かれているなどの理由で正式には「果実的野菜」と言う区分になるとのこと。

我が家ではスイカとバナナが切れることはない。(他にビールとラオカオも切らしたことはない)ラグビーボール大のスイカは概ね1個200円くらい、バナナは種類にもよるが野球のグラブのような一房が40円から150円くらいである。

イカは運動で汗をかいた後とか暑い時期には必須である。スイカには腎臓の働きを良くするカリウム、血流をアップし、動脈硬化を予防するシトルリンというアミノ酸が含まれている。冠状動脈にステントが入っている自分にとってはスイカが毎日食べられることはありがたい。

■種類が多い
バナナも年間を通して卓上にある。バナナには恩義がある。母は毎食、3本のバナナを摂っていた。手で潰したバナナをブアさんが匙に載せて母の口に運んでいた。365日X3本X3食X約10年で計算すると母は3万本のバナナを食べたことになる。バナナのお陰で長く生きられた。母の食べていたバナナはクルアイ・ウァーンという多少酸味があるずんぐりむっくりしたバナナである。このバナナは老人向きという。クルアイ・ホームと呼ばれる香りのいいバナナは体が熱くなるので老人より若い人向きという。

他に台湾バナナに似たクルアイ・ニウムーナン、実が黄色がかったクルアイ・カイなどがある。見て名前がわかるバナナはこれくらいだが、世界には300種類のバナナがあり、タイには数十種類のバナナが栽培されているとか。バナナに種があるというと皆驚くが自分も初めてバナナの種にあたった時はビックリした。数珠玉を小さくした黒くて固い種がガチッと歯にあたった時は「しまった、歯が欠けた」と思った。以前、外れた差し歯を噛んだ経験がありちょっと焦ったものだ。
タイ人に聞くと種のあるバナナは原種に近いとか。また熟れても皮が褐色とか黒色のバナナがあってこれも原種に近いという。黒いバナナを見たことはあるが食べたことはない。

タイでは離乳食はバナナ、歯のない老人の食事もバナナ、ゆりかごから墓場までバナナのお世話になる。自分もボケたら誰かに匙でバナナを食べさせてもらうことになる。寝たきりになってもバナナで5年はいけるかもしれないが、なんとなく気が滅入る。

■差し入れはバナナ
母がお世話になったバナナだからというわけではないが、食卓に載っているバナナはクルアイ・ウァーン種が多い。食べるたびに母のことを思い出す。バナナもスイカに劣らず体にいい。バナナ1本にはりんご3個分のカリウム、キーウィ3個分のマグネシウム、ニンジン 1/2本分のビタミンB2、納豆3パック分のビタミンB6、ピーマン3個分の葉酸、板チョコ1枚分のポリフェノールが含まれている。

バナナは消化が良く、すぐにエネルギー源に分解されるため、持久力がアップするそうだ。バナナには筋肉の収縮をサポートしてくれるカリウムや、疲労回復やスタミナアップの効果があるとされるビタミン群が豊富で、運動の後、運動をする前などに口にするのに適している。

4月、6月にチェンライでITFのテニストーナメントが開催された。試合の始まる前、また試合途中の休憩時間にバナナを食べている選手は少なくなかった。テニス仲間のタイ人がバナナを一房くれたので応援席にいた日本コーチに進呈した。後日、女子選手から「おいしいバナナをたくさんに有難うございました」とお礼を言われ恐縮した。日本では売っていない芳香を持つクルアイ・ホームだったせいかもしれない。

余りにも安くて失礼だと思ってバナナの差し入れはしなかったが、次回のトーナメントでは各種バナナを提供して喜んでもらおうと思っている。チェンライのバナナおじさんとして有名になるかもしれない。

 

ある日本人の死

 

葬儀に先立ってのお斎、供養の一部

同上、女性は見守るだけ

お棺入り冷凍庫

多くの僧侶が読経

火葬の窯

窯に献花する僧侶と尼僧の列

 


ある日本人の死
■ウィアンカロン
チェンライ県とパヤオ県の県境にワット・ウィアンカロンというお寺がある。40年ほど前に今のロンポー(住職)が老師と二人で荒れ果てた寺に現れた。ロンポーは事業家肌で40年の間に小さな寺を巨大な大伽藍、修行道場、博物館を含む大寺院に発展させた。今ではFM放送局を持ち、バンコクからもバスを連ねて参詣の信徒がやってくる。シリントン王女をお迎えしての大伽藍落成式は生憎の豪雨で王女様は来なかった。王女様を迎える群集の中に自分もいたのでよく覚えている。タイにおける寺格は最高位に近い。

女中のブアさんはこの寺で長らく修行していた。更にロンポーの寝たきりのお父さんの面倒を見ていたので、この寺の人は誰もが彼女を知っている。寺には常時、数十人の僧侶がおり、メーチーと呼ばれる尼僧も多く修行している。一般の人も期間を定めてこの寺でおこもりの修行をする。北タイの高野山といった趣きだ。

ブアさんに連れられてこの寺を訪れたのは10年以上前だ。寺にはタンブンを捧げる信徒が引きも切らない。ロンポーは信徒に明るく話しかけ、信徒からの相談に答えていく。ブアさんもいつもロンポーと30分以上話をしている。ロンポーは自分に1週間ほど寺で修業してはどうかと勧めるが、「私は肉や魚が好きなのでジェー(菜食)はダメです」と言っていつも断っていた。

ブアさんのお陰か、自分はロンポーに気に入られて、寺の「メンバー」になった。メンバーの特典は死にそうになったら尼僧が面倒を見てくれて、葬儀一切を寺でやってくれるという、日本の互助会のようなものである。メンバーフィーは10万B、自分とロンポーの共同名義の預金となっていて、いつでも引き出せる。

寺男の邦人
ロンポーからここで働いている日本人がいるよ、と紹介されたのがIさんだ。自分より4歳年上、初めて会った時の彼は60代半ばだったと思う。仕事は掃除、庭木の剪定、潅水などの雑用だ。いつも忙しそうに働いていた。何となく気が合って、寺に行くたびに日本土産のふりかけや缶詰などをタンブンした。あー、これ旨いんだよなーと嬉しそうに受け取ってくれた。

彼は東北の出身、7人兄姉弟の末っ子だという。兄姉はみな亡くなって甥姪がいるが没交渉とのこと、貧しい家で兄姉はみな中卒で働きに出たが、お前は高校を出なさい、と言って姉の一人がキャバレー勤めをして学資を出してくれたそうだ。

いつ、どうしてタイに来たのかは聞かなかった。一時は羽振りが良かったが、事業に失敗し、家を売り、車を売り、バイクも手放し、食べるにも困窮した折、ロンポーから寺で働くよう声が掛かった。

以来、ワット・ウィアンカロン寺男としての生活が始まった。ビザは無く、旅券もロンポーに預けたきりで10年以上になる。でも寺で働いている限り、何も心配はない。死んだら寺で面倒をみてくれるし、と達観していた。週に一度、寺で働く人々のミーティングがあり、そこでロンポーが日本人の掃除した後は違う、と褒めてくれると話していた。雑用であっても真摯に取り組み、それが周りに評価されており、日本人の矜持をもって生きている爽やかな人だった。自分が寺のメンバーになったのもIさんの勧めがあったからと思う。

■葬儀参列
体調を崩していたIさんの訃報を聞いたのは12月の初めだった。片道100キロを飛ばして葬儀に参列した。僧侶が数十人、尼僧が30人以上、関係者を合わせ参列者100人を越える豪華な葬儀だった。ロンポーが導師を務め、読経の前に30分程Iさんの人となりを話した。享年79歳、20年以上寺男として働いた。日本に帰れなかったが本当にいい人だった、聞き取れたことはこのくらい。

彼は旅券もビザもなしで暮らす日本人として知る人ぞ知る有名人だった。10年ほど前、介護ロングステイを取材に来たNHKの記者もIさんを取材している。興味深い人生であるが入管法違反者でもあるわけで、オンエアは憚られたのだろう、放送はなかった。

読経のあと、葬儀場の横にある寺付設の火葬場に棺が運ばれ、そこで荼毘に付された。本来、荼毘にあたってはモラナバット(タイの死亡登録証)や総領事館の同意が必要である。でも総領事館への連絡はしなかったとのこと、享年79歳であるが戸籍上、Iさんは100歳、120歳と生き続けるのだろう。

参列者の中で唯一の邦人であったせいか、葬儀で僧侶への袈裟奉納という大役を仰せつかった。ロンポーから、翌日の骨上げにも参加するようにとの勧めがあったが辞退した。Iさんのために盛大で心のこもった葬儀を営んでくれたロンポーを始め多くの僧侶、尼僧、関係者には日本人として感謝の他はない。

 

 

強制移住

チェンライ骨董通りから

もしかしたらお宝か

電話機

陶器のかけらも

旧日本軍のものか

何か買っておけばよかったかも



強制移住
■ウズの朝鮮族
ウズベキスタンに赴任した時にJICAのタシケント所長からこういわれた。「アフリカ諸国と違ってウズベクでは米も味噌も手に入る。それだけでも恵まれているのです」。

どうして中央アジアの国に米があるのか。それは沿海州に居住していた朝鮮族を日ソ開戦時に日本のスパイになると疑ったスターリンウズベク強制移住させたからである。彼らが中央アジアで米作を続けたお陰で、自分がウズで白いご飯が食べられたというわけ。

現在、ウズベキスタンには17万ほどの朝鮮族が住んでいる。タシケントの市場では朝鮮族の作るキムチや豆腐が売られていた。顔は朝鮮系であるが、もう母国語が喋れないばかりか、名前もウラジミールとかナターシャなどロシア風になっている。それこそ国も言葉も名前も奪われた。彼らの対日感情は「東方の技術の発展した国」で、どちらかというと憧れの国といったところだ。もうウズベクに同化して彼らの文化はキムチにしか残っていないのかもしれない。

自分がウズにいた2007年、カリモフ大統領が韓国を訪問した。会見した韓国首相はウズベクに残された朝鮮族の世話をよろしくお願いします、と大統領に頭を下げている。韓国は日本にも我が同胞が生活保護などでお世話になって有難うございます、くらいのことを言ってもいいのではないかと思ったものだ。

■中、露、米の共通点
ともあれ、朝鮮族の悲哀はよそ事ではない。もし、戦後ソ連が北海道を占領していたら、日本人も中央アジアかシベリアに強制移住になり、言葉も文化もロシア風になったかもしれない。米ソばかりでなく中国も日本の分割統治に割り込もうとしていたから、モンゴルやウイグルで中国語しか話さない元日本人が出ていたかもしれない。強制移住は勝者の常套手段、それを避けるには何をおいても国の守りが大切だと痛感する。

強制移住に関して、元産経記者、高山正之氏のコラム「偏見自在」の中から「大国の悪習」を抜粋してご紹介したい。
(以下引用)

「大国の悪習」
 今、大国ぶるロシアや支那、それに米国は実は氏も育ちも悪い。「だから振る舞いがはしたない」と石平氏と対談(『核大国は氏素性の悪さを競う』)して大いに盛り上がった。どう育ちが悪いかというとスラブ人はつい500年前までタタールに狩られてオスマントルコの奴隷に売られていた。奴隷にはノブレスオブリージュどころか常識もない。プーチンが典型だろう。

 支那人は売られこそしなかったが、長城を越えてくる征服民族に侵され、自分の国で奴隷にされてきた。
教養も勉強する機会もないから習近平は左手で敬礼していた。彼らはなぜか民をまとめて引っ越しというか移住させることが権力の発現と考える。

 
 支那人は主変の満洲人やウイグル人の国を侵して領土と資源を得ると、次にそこの民の淘汰を始めた。その手段が強制移住だ。かつて支那人を統治した満洲族の多くは支那各地に分散移住させた。その文化を奪うか絶やした。天安門に書かれる満洲文字を今、読み書きできる者は10人もいない。

 ウイグル人にはもっと過酷で、万単位の民を4000キロ離れた満洲に移住させた。少し前、満洲奥地でウイグル人のデモがあって世界はこの強制移住を知った。彼らの故郷では男たちは強制収容所に入れられ、女たちは支那人に犯されるか不妊手術を強制されている。

 ロシアもまた強制移住が好きで、スターリンクリミア半島が先住民のタタール人で占められているのを知って過半をシベリアに強制移住させた。キエフにいくとアシュケナージ系のユダヤ人やモンゴル襲来以降居ついたアジア人がまだ多くいた。これも目障りだからカザフなどに強制移住させた。

 そして米国。ここの民は支那やロシアと違って奴隷出身ではないけれど、もとは欧州の食い詰め者たちだ。教育もなし。欧州ではせいぜい工場労働者か犯罪者にしかなれない。それで新世界にきたら奴隷は使い放題、インディアンは殺し放題。むしろ多く殺せば殺すほど大きな土地持ちになれた。

 ただ先住民は強い。それでチェロキーとか有力部族に英語を教え、キリスト教化し、「文明化部族」とおだてて他の「野蛮な部族」をやっつけさせた。蒋介石を洗礼し、カネと武器をやって日本と戦わせたのも同じ手法だ。

 大方の先住民が処分されるとアンドリュー・ジャクソン大統領はおもむろに強制移住法を成立させ、チェロキーを1500キロ彼方のオクラホマに追った。1万5000人の文明化部族は英語で「アメージング・グレース」を歌って歩き続け、ほぼ全滅した。バターンの100キロを「死の行進」と言う米国人はこれを「涙の道と呼ぶ。

 事態解決は強制移住。それしか思いつかない国が今、世界を支配する。(引用終り)