チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

暮らしやすさとは

 

近所のサンサーイ市場

魚屋さん

食用ガエル、結構な値段

豚肉店

茄子専門店

防寒衣料、1着100B

 

 

暮らしやすさとは
■どっちがいいですか
タイに住んでいるとタイと日本、どっちが暮らしやすいですか、といった質問を受ける。案外この答えは難しい。幼児に「お父さんとお母さん、どっちが好き」と聞くおばさんがいる。両方とも好き、と答えればお利口さん、と褒めてもらえる。自分も一概には言えませんが、と前置きして、この点はタイが、あの点は日本に軍配が、と両方好きの返答でその場をやり過ごす。もちろん相手はお利口さん、と褒めてはくれない。

ネット上の質疑応答サイト、クオーラに同じような質問があった。なかなかいい答え方だなと思ったのでご紹介したい。
以下引用。

日本とアメリカ両方住んだことある方に質問です。どちらに住むのが好きですか?理由も教えて下さい。

どちらにもいい面、悪い面があります。ですから、どちらを見て生きるかだと思います。
それから、日本、アメリカは国ですが、どこの都市のどの地域に住むかで大分違った感じ方をもつし、どんな仕事か、仕事をしなくていいかにもよります。
僕は人生の半分の36年を日本で、そしてほぼ同じ年数をアメリカで過ごしています。もう定年退職しているので、どちらでも住めます。
ただ配偶者がアメリカ人なので、日本では妻が言葉(日本語)と習慣で大変って思います。
こまごましたことをいろいろのべていくと大変なので、結論を言うと、日本がいいって思います。でも配偶者との関係でアメリカを選びます。
妻は日本に住んでもいいっていいますが、やっぱり大変です。僕の知ってるアメリカ人女性が長野県に住んていますが、旦那が亡くなったら、日本は好きだけど、カリフォルニアに行くって言ってます。
ただ歳をとってから、移動するとその地が変わっていたり、知り合いも年を取っていなくなったり、関係が変わることもあります。
この質問ではどちらが好きで、その理由だと思いますが、なかなか思ったようにはいかないっておもいます。全然いい回答になっていませんが、結構複雑。いろいろ家庭環境とかあるし、その人の健康度も関係します。その健康はある日、突然変化する場合もありますね。(引用終り)

■やはり日本か
回答者は良識ある人と思う。配偶者がいるかどうか、どんな仕事をしているか、財政基盤のあるなし、性格、健康状態、年齢、人それぞれでおかれた条件に違いがある。だから一概にどちらがいいとは言えない、人による、が確かに正直な答えではないか。もちろん、安全である、食べ物が美味しい、何処にでもコンビニがある、公共交通機関が発達している、四季がある、病気になっても保険がある、等を挙げて、日本が良いに決まっていますという人もいる。それでも米国やタイ、その他外国に住んでいる邦人が日本にみな帰国しないのはおかしいとまで言うのは言い過ぎかもしれない。

まあ潤沢にお金があるのであれば、フロリダかハワイに住んで時折クルーズ旅行に出かける、といった暮しも悪くない。年間1千万円くらいの収入があればどこに住んでも同じです、という答えを見たこともある。それくらいの収入があれば時々帰国して、友人と旧交を温め、新鮮な刺身で熱燗を傾け、温泉に浸かって、そして外国に戻って気儘に暮らすことも可能だ。だがそれも健康であればの話、体が動かなくなって外国の老人ホームに入り、オートミールの食事を異国の人に食べさせてもらうのでは味気なく、現地語で用を足すのももどかしい。施設でお粥と梅干、柔らかく煮た筑前煮などを食べたいと思えば、やはり日本に帰国するしかないか。

■環境と性格
日本に帰国していつも感動することは「みんな日本語で話している」ということだ。成田からの京成で車内放送が理解できるし、乗り合わせた高校生やサラリーマンのトークもわかる。ごまかされない程度にタイ語や英語の数字は聞き取れるし、出張の多かった台湾や韓国でも数字や簡単な会話を覚えた。あの頃はカタコトながら新しい言語を使うことが嬉しかった。若い時はそういうものだ、と今になってわかる。仕方ないので多少タイ語を操るがかなり苦痛である。昔は歓び、今は苦痛。

若い頃の自分は几帳面で堅苦しい性格だった。だからずぼらな人間を疎ましく思っていた。ところが今の自分はどうだ、交通ルールは守らない、サンダルは脱ぎっぱなし、読書もしなければ勉強もしない。更にそういうだらしない自分をまあいいじゃないかと許す自分がいる。

住めば都は住む人の性格によるという。でも性格は環境によってかなり変わるように思う。タイの良いところはだらしなさへの許容範囲が広いことだ。今、自分はその環境を確かに享受している。ありがたや。

 

日々の暮しに感謝

 

故宮博物院で撮った写真

同上、白磁

同上、青磁

有名な象牙多層球

望遠機能で接写

 

 

日々の暮しに感謝
■穏やかな老後の始まりか
ここ数カ月、日々のスケジュールはほとんど変わらない。朝は明るくなると起きる。暗いうちから目が覚めていることが多いが、「日の出とともに起きる」は何十代にもわたる先祖のDNAのせいだろうか。朝食はドリップで淹れた珈琲に牛乳と砂糖を少し、サラダ、お茶漬けあるいはタイの胡麻餅にチーズの朝食を摂り、7時半にはコートへ向かう。1時間から1時間半、時には2時間、テニスのダブルスを楽しむ。帰ってシャワー、そしてパソコンへ向かう。午後も机の前に座っていることが多いが、買い物、公共料金の支払い、友人と歓談なども。

夕食は早く帰宅したいメバーンのニイさんに合わせて4時半くらいから始まる。夕食を終えたら2階の自室に戻ってPC画面とにらめっこ。ラオカオを飲みすぎると8時過ぎには寝てしまう。二日酔いになるほど飲むことはないが酒量も食べる量も昔に比べると少なくなった。暴飲暴食の若き日々が懐かしい。

変化に乏しい日常に飽きると旅に出たものだ。でもチェンライに戻って1年も経つが短期の国内旅行だけで国外には出ていない。もう欧州は暗い冬に入るし、中南米は遠すぎる。分断に揺れる米国は差別があって危険という気がする。台湾とかスリランカベトナム辺りならと思うが、いや、台湾有事が、などと考えると億劫になる。旅に出る、も結構エネルギーが必要ということか。

友人が円高で年金の手取りは減るし、車の月賦もあって旅行にも行けない、と嘆いていたが、彼にはタイ人の奥さんがいて、それなりに楽しそうだ。離婚した男性の平均余命は、添い遂げている男性に比べて10年ほど短い。これは国立社会保障・人口問題研究所が約40年間かけて調査した結果に基づくデータだ。パソコンに向かってこんなデータを閲覧しているようではそれこそ「老人性うつ」に陥ってしまう。

■十分長生きできた
でも独身でありながら古来稀なりの年をはるかに越え、高貴高齢者の年齢まで生き永らえている。ボールへの反応が鈍くなったもののペアにそれほど迷惑かけずにテニスができ、酒も食事も量が減ったと言いながら好きなだけ楽しめる。不平不満どころか「有難い」の一言に尽きる。昭和、平成、令和の御代を生き抜き、正に「御民 ( みたみ ) われ 生ける 験 ( しるし ) あり 天地の栄ゆる時に 遭へらく思へば」の通りである。兄と一緒に食事をとるのであるが、お互い、この年まで生きられるなんてと感謝し、歯が悪くなった、ラケットにボールが当たらない、は年のせいなのだから仕方ない、と慰めあっている。

世界の飢餓人口は8億人を越えていてここ3年増え続けているそうだ。人間の9人に1人は今日一日食べるものがなくて、水を飲んで寝る、盗む、物乞いになるの3択しかない生活を送っている。心痛むことであるが、独裁者とか特権階級が国民を飢餓の状況に追い込んで恬として恥じないという国がいくつもある。この年になると個人の良心とか同情心でものごとが解決するものではないことも分かってきた。今から国連職員になって活躍することはできないし、国連という組織自体もかなり怪しいものだ。常任理事国侵略戦争を始める組織で、更に実効ある制裁もできない。

■四方に向かって感謝
世の中には自分にはどうにもならないことが多すぎる。世の行く末を心配することは、もう若い人に任せて、出来たら人に迷惑をかけずに残り少ない余命を静かに終えたいと願っている。もう生活のために働く必要はない。まだ楽しく元気で働いている同輩は少なくないし、羨ましいと思う。自分も楽しいと思って30年以上、組織の中で過ごしてきた。でも60になって仕事を一切やめたら、それまで毎日飲んできた胃潰瘍の薬が要らなくなった。あれこれ工夫し、人と協働して面白く暮らしてきたはずなのに、体の方は「もう勘弁してくださいよ」とSOS信号を出していたのだろう。

生計をたてる苦労は何もしていないのに、雨風を凌ぐ家に住み、山海の珍味でなくとも口に糊して安楽に暮らしている。パソコンのステレオでバッハやヘンデルの曲を聞くと、こんな贅沢は当時の王侯貴族でもできなかったのでは、と少し幸せな気分になれる。

早く死んだ父親は蓄音機でモノラルのクラシックを聴いていた。でも自分のような満ち足りた気持ちを味わったことはなかったのでは、と可哀そうに思うことがある。祖父母や曽祖父母、更に貧乏士族として何百年にもわたってサラリーマン生活を送った祖先に対して申し訳なく、一人でも欠けたら今の自分が存在していないことを思い、祖先と祖国日本に感謝せざるを得ないのである。

戸棚の中の骸骨

竹虫、空揚げにするとカッパエビセンバター味となる

竹虫、袋入り、100B、結構いい値段

茹でカエルならぬ干しカエル、ビールのつまみに最適

スープや炒めものに

カイコの蛹

タガメ、嗜好品としては高級品に属する

 

 

戸棚の中の骸骨


■惜しまれつつ終了
7年8カ月に亘って放映されていた「真相深入り!虎ノ門ニュース」が、単独スポンサーだったDHCがオリックスに買収されたことを機に11月18日に終了となった。略称、虎8で親しまれていた。内容は保守的、サヨク陣営からはネトウヨ番組と度々指弾され、デモ隊が公開放送をしている共同通信ビルに押し掛けてきたこともあるらしい。DHCは創業者の信念に基づいて、大手マスコミ、地上波とは違った立場の番組を放映してきた。
DHCを買い取ったオリックスは上場会社で、プロ野球はもちろん、金融、保険、自動車関連サービスなど手広く事業を展開している。株主はもちろん客先も多様だ。こういった上場会社はある方向に偏った(とみられる)番組を続けることはできない。虎8終了も残念ではあるが仕方ないところではある。視聴者ばかりでなく、番組に出演していた論客も終了を惜しんでいる。

城は落ちてしまったが、それぞれ手勢を引き連れ、お家再興のために各地で兵を挙げよう、というわけでもないが、有本香、百田尚樹、須田慎一郎、飯山陽、竹田恒泰など虎8常連出演者たちが独自のユーチューブを始めている。高橋洋一、上念司氏は以前から自分の放送をお持ちである。自分のユーチューブを気軽に発信できる世の中なんだ、と情報弱者の自分はただ驚くばかりである。

今は各氏の手弁当と心意気で運営されている。でもしっかりした取材をし、的確なゲストを招請する、題材を選び、番組構成を作る、これにはお金がかかる。視聴者からのスパチャだけではユーチューブ番組を長期に維持することは難しいのではないか。DHCの会長のような篤志家の出現が待たれるところではある。

尚、スパチャとはスーパーチャットの略、動画配信者への寄付(投げ銭)が行え、更にスパチャを行った人のコメントが色付きになって、配信者に読んでもらえる確率が高くなるという。1000円スパチャをしてもアップルとかYouTubeの手数料、それに国の税金が差し引かれるため、配信者には数百円しか入らない。ふるさと納税に比べると実に効率が悪い。

■深入りできない
虎ノ門ニュースは保守陣営の牙城、数少ない砦であった。しかし論客たちが独自の配信を始めて知ったことではあるが、虎8でも扱えない話題が少なからずあったようだ。有本香さんは大阪の上海電力問題を取り上げようとしたが、虎8の制作部門からの了解が得られず断念したという。この問題には当時の橋下徹大阪市長の関与が取沙汰されている。橋本さんは何かというと訴訟を仕掛けてくるので、訴えられてはヤバイということもあったかもしれない。またその後ろには中国共産党の影もチラついていて、この問題を深く取材しているジャーナリスト、山口敬之氏には政界を始め、各方面から圧力がかかっているという。

保守番組であっても扱えない話題はある。関西生コン熱海市伊豆山地区土砂災害、王将社長射殺事件等はある団体との関係で、真相を解説する人があまりいない。反社会的勢力に詳しい須田慎一郎氏も「これ以上言うと命が危ない」。

■見ざる、言わざる、聞かざる
『スケルトン イン ザ クローゼット』とは、英語 で戸棚の中の骸骨、“他人に見られたくない家庭の事情”などを意味する言葉だ。これは国にもいえる。ウズベキスタンにいた時、決して口に出せない言葉は「マフィア」だった。マフィアは国を実質的に支配しており、反抗すれば大統領でも命が危ない。マフィアに興味を持ったため、お上に密告され、任期途中で帰国を余儀なくされた協力隊員がいた。ウクライナ戦争のニュースでもマフィアの動きが一部、報告されていた。ウクライナのマフィアがNATOや米国から供与された武器を中東のヒズボラやシリアに横流ししているというものだった。国際関係はロシアが悪玉でウクライナは善玉という単純なものではない。ロシアのマフィアはウクライナのそれと繋がっている。旧ソ連の『スケルトン イン ザ クローゼット』はこの闇の組織といっていいだろう。独裁国ではつまらぬことを口にすると逮捕、投獄ならまだしも、高層ビルから飛び降りたり、トラックに轢かれたりという状況になる。

世の中、知らないでいたほうがいいことが沢山ある。スウェーデンの独立研究機関「V-Dem研究所」の研究によると、国際社会を大きく「民主主義」対「独裁」の構図で見た場合、人口の合計はそれぞれ「23億人」対「55.6億人」となり、世界の71%が「独裁」側に住んでいるという。

もちろん、タイは独裁側に属する。言ってはいけないことを言えば最悪、あの人、メコンに浮いていたんだって、となる可能性はある。忖度、自粛は必要だ。

 

性能についていけない

フォルツァ350

ジャケット着用

こんな感じ

見やすい

パータン、メコンが見える

パータン、山の下はラオス


性能についていけない

■バイク用ジャケット
乾季になると朝の最低気温は20度を下回る。今朝、近くのサンサーイ市場にスクータで行った。フォルツァ350付属のデジタル温度計は18度を示していた。手袋無しだと手がかじかむ。ブルゾンくらいでは寒さは防げない。足は裸足にサンダル、せいぜい10分が限度だ。

昨年チェンライに戻った直後、衝動的にライディングジャケットを購入した。肘、肩、背中にパッドが入っている。これで転倒しても上腕骨骨折、肩甲骨骨折、脊髄損傷は防げる。更にレフレクターと呼ばれる黄色の反射テープが腕と首周りに付いている。夜間運転はしないと思うがこれは事故防止に役立つ。

ライディングジャケットはゴアテックス、本革、防撥水機能やUSB加熱装置付きと素材、機能に応じて各種あり、手ごろなところで1万円、中には1着10万円を越えるものもある。日本のライダーは夏用、春秋用、冬用と3種類のライディングジャケットを持っているようだ。グローブ、ライディングパンツ、ブーツなど揃えると小型バイクが買えるほどの金額になる。いくら形から入るのが大切といっても、中古のジャケットをやっと手に入れたくらいだから、パンツやブーツまでは手が回らない。新品同様、しっかりしたつくりのジャケットだが、厚手なのでチェンライの暑季には着用する機会がなく、部屋の片隅に飾ってあるだけだった。

購入からほぼ1年が経って、初めてツーリングに出た。我が家から140キロほど離れたドイ・パータンの山歩きに誘われたからである。やっとライディングジャケットのお披露目の機会が来た。

フォルツァの特徴
パータンからチェンコンを通ってチェンライに戻る道はかなり整備されている上に交通量が極端に少なかった。前からも後ろからも車が来ない。直線道路が何キロも続く個所がある。ジャケットのお陰で寒さも衣服のバタつきもない。

フォルツァ350はワンタッチで風防が上下する作りになっている。プラスチック製の風防を通してみる前方の風景はいくらか歪んで見える。しかし、風防の高さをうまく調節すると顔面に風が当たらない。向かい風がなく、また風を切る音がしないので快適である。ヘルメットを着用しているが、向かい風が来ないのだから野球帽で運転しても飛ばされることはないだろう。風防の少し上から裸眼で前方確認ができるので目の疲れもこれまでのバイクに比べて少ないようだ。

通常、ツーリングの場合、風切り音と風圧はスピードを上げるに従って大きくなり、恐怖感を感じるほどになる。だがフォルツァは風切り音、風圧が殆どないため、それほどスピード感が無く、いつの間にか速度100キロを越えている。チェンライ県には高速道路はなく地方道路と呼ばれる市外の道路での最高速度は乗用車やバイクは90キロとなっている。でも交通量が少なければバスやトラックでも100キロ超で飛ばしている。

■交通法規への考え方
制限速度の90キロで飛ばしてきても突然60キロ制限となる箇所があり、そういう場所に限って自動監視カメラが設置されている。

最近、400㏄以下のバイクの速度制限が80キロに改正された。道路標識通り90キロ前後で走っているとスピード違反となる。交通取り締まりがあればどちらが正しいのか確かめてみ見たいが機会がない。検問で止められたことがあるが、バイクに貼ってあった日章旗のワッペンを見た警官は免許証の提示を求めることもなく笑顔で「行ってよし」。

タイ人の無免許率は高いし、スピード違反、ノーヘル、バイクの3人乗りは普通だ。飲酒運転はチェンライに公共交通機関がないのだからこれも当たり前だ。交通法規が厳しくなって罰金額もタイ人から見たら相当高くなったが、さっぱり交通ルール遵守となっていないのは、取締りがほとんどないせいで、遵法精神が薄れるのではないかと思う。39キロオーバーの速度違反を犯し、証拠写真と罰金支払い命令書を受け取った人から聞いたが、罰金は500Bだったそうだ。追い越し禁止、赤信号無視、運転中の携帯使用も500B、無免許運転はなんと200Bだ。ノーヘル、駐禁、ノーシートベルト不着用400Bよりも安い。罰金を支払えばそのまま車やバイクに乗って帰れる。
罰金が安い上に支払命令書をシカトするタイ人もいる。日本だと逮捕されて前科がつくケースであるが、タイではよくある話、呼び出しもこない。

正直言って自分は高性能のスクータとジャケットのせいで常習スピード違反者になりつつある。タイでは偶に法が厳格に執行されるので気を付けなければ、と思うが一方で罰金500Bなら、という安易な気持ちもある。南方ボケで遵法精神が薄れていると指弾されても仕方がない。

 

お世話になった番組

昨年12月、チェンライの花祭りから

同上

蘭ばかりでなくクロッカスも

やはり蘭はきれい

百合も定番

 

お世話になった番組

■お気に入り番組
「真相深入り!虎ノ門ニュース」のファンだった。このニュース番組は週5回2時間の放映、自分から見ると常識的、良識に基づいたニュース解説をしてくれる。この番組は7年8カ月続いたが、11月18日で打ち切りとなった。いつも楽しみにしていただけに番組終了は残念である。

地上波テレビのニュースショーでは左翼コメンテータが独善的な断定を行って次の話題に移ってしまうことが多い。解説ではなく反日、反米、親中韓の宣伝だ。また名前も知らない芸人がコメンテータとして出演し、「戦争は良くないですよね」と当たり前の意見を述べる。戦争の原因、停戦への条件といった突っ込んだ議論にならない。

自分は大好きだったが、10年ほど前、ショーンKという謎のコメンテータがいた。彼が健在ならば「そうですね、プーチンさんにはちゃんと相談するお友達がいなかったんでしょうかねー」といったコメントを(TVディレクターの指示通り)述べていたと思う。

今は芸人がショーンKの代わりを務めている。芸人ばかりでなく、アナウンサーが「警察が動いていれば大量圧死事故はおきなかったと悔やまれます」と述べる。プーチン大統領も米国、NATOとよく話し合っていればウクライナ戦争はおきなかったと悔やまれます、と同じかそれ以上に無意味なコメントだ。

テレビのニュース番組をあまり見ないのは、アナウンサーやコメンテータが、小学生に言い聞かせるような薄っぺらな発言をするからだ。何十年もまともに働いてきた熟年世代のご同輩がテレビに子ども扱いされてイラつかないのだろうかと不思議に思う。

■見識とは
話がそれてしまったが「虎ノ門ニュース」では藤井厳喜、有本香、飯山陽、国政に出る前の青山繁晴、石平太郎、門田隆将、高橋洋一西岡力等、保守の方々の解説を聞いて、自分としてはなるほどと思うことが多々あった。基本的に虎の門ニュース出演者は日本の文化、伝統を尊重する愛国者であり、日本人を信じ、子々孫々まで日本国が独立を保つことを願っている人ばかりであった。

ユーチューブの視聴者はレベルが高く、広範な取材源とか確固たる専門分野を持たないコメンテータは排除される。番組へのコメント欄に「あんな見識のない奴はもう出すな」といった辛辣な意見が寄せられる。例えば、ケント・ギルバートさんは悪い人ではないが、政治経済に知識が浅く、発言が陳腐だなあと思っていたら出番が少なくなった。

コメンテータも日々、勉強、読書、取材が欠かせない。自分も教壇で1時間喋るために数時間の準備が必要だった。知り合いの大学教授に聞くとまあ、1時間の授業なら3時間は準備に必要と言っていた。だからAKB48にコメントする経済学者はどうやってネタを仕入れるのか、しがない講義案作りに苦慮していた自分から見るとその守備範囲の広さには脱帽のほかない。

■納得できる解説
通常、出演を電池の放電、取材、勉強を充電に例える。実力のないコメンテータは放電してしまうと蓄電が間に合わず使えなくなる。その中で休む間もなく放電を続ける数量政策学者、高橋洋一氏は驚異に値する。この人は芸能問題などにはそんなことわかりませんよ、と平気で言う。用意された原稿に沿って喋るコメンテータとは一味違う。数字をあげて解説してくれるので説得力がある。

財務省は20年以上前から国の借金でハイパーインフレになると国民を脅してきた。大手マスコミや経済学者も財務省の言う通り、国債を減らし財政健全化を、と発言してきた。でも国債は増えてもハイパーインフレは起こっていない。一般会計では確かに支出が歳入を上回っている。家計なら大変だが、国の借金である国債の償還をしている国は日本だけだ。

更に一般会計だけでなく特別会計特殊法人会計などを合算して国の貸借対照表を作ると国の赤字はない。朝日新聞は、新聞事業は赤字であるが、潰れないのは不動産事業など他部門で利益を出しているからだ。一部の不採算部門を見てこの会社は破綻すると言うのはおかしい。朝日は2022年3月期で2200億円以上の流動負債、固定負債を抱えているが、3500億円の純資産があるから心配ない。負債(借入、国債)を見て国が財政破綻するというのは企業の負債だけ見て資産を見ないと同じことだ。個人のローン(借金)とマンション(資産)も同じ。

国債が償還されないというリスクに対して保険がある。国債に対する保険料が100%というギリシャのような国もあるが日本の国債の保険料は額面の0.1%ほど。ということは財政破綻の確率は殆どゼロだ。だから財務省の言う財政破綻論は間違いだ。これも高橋さんから教えてもらった。番組終了が残念だ。

 

原稿書きの工夫

ドイ・パータン、メコンが見える

同上

マリファナ

隣家で栽培中のマリファナ

一鉢、持って行っていいよと言われたが

陰干し中のマリファナ、日本なら結構な値段

 

原稿書きの工夫

経験談だけではなく

ブログの読者からアンタは物知りだね、と言われることがある。自分ではそうは思わない。人から聞いた話とかネットからの引用も少なくない。ブログは一種の日記である。でもストーカーでない限り、個人の日常生活には誰も興味はない。だから自分の食べたもの、健康状態などは書かない。他人も書いている自分も面白くない。

それでも南国の果物とか、骨折やステントの手術、或いはウクライナ戦争や国葬儀等への感想といった身の回りの出来事、印象等、個人的なことも書いている。

美味しかった、痛かった、ロシアや野党はけしからんといった表面的な事実をだらだら書くのでは面白くない。そこで、ネットで調べて、角度を変えた文章を混入して形を整える。見る人から見れば、あ、これコピペじゃん、と見破られるかもしれないが、引用部分はその旨、お断りを入れるようにしている。また殆どが引用からなるブログもあるが、硫黄島で散った市丸海軍少将のルーズベルトに与うる書(読むたびに感動 - チェンライの市場から (hatenablog.com))などせいぜい2,3編だと思う。

 

マリファナ

多少の制限はあるが、今年6月にタイでマリファナが解禁された。タイ政府の発表をそのままコピペするだけでは面白くない。なにか大麻について面白い情報はないかいな、とググってみる。するとマリファナが19世紀末には今のアスピリン以上に一般的な薬として用いられていたことが分かった。日本では皇室、神社で神代の昔から大麻の繊維が使用されている。医学的には阿片はもちろんアルコールよりも中毒性は少ない。米国で禁酒法が撤廃されて酒類取締官が全員失職の憂き目にあいそうになった時、ウィスキーの代わりにマリファナを取り締まる麻薬取締官に全員移行したという。そういった面白い話が次々に出てくる。

へえ、そうなんだという小咄を書き連ねるといくらでも長くなる。どれを取り上げ、どれを捨てるか、これも原稿を書くときの楽しみである。コピペ、コピペで1本仕上げることも可能であるが、こういった発見トリビアの中に、隣家のオヤジが庭で大麻を栽培している、とか土曜市で大麻の苗が1鉢25Bで売られていた、といった自分の実体験を混ぜると、噺に陰影が付く(ような気がする)。写真があれば更に現実性が増す。

隣家の大麻は収穫後、軒先で陰干しされていた。メバーンのニイさんはオヤジと仲良しなので、貰った乾燥葉を煎じて飲んでいた。飲みすぎると酔っぱらってしまうが、少しなら気分がよくなると言っていた。そのうち、異様に美味しい「ハッピー野菜炒め」が食卓に上るのではないかと心配している。

 

■取っ掛かりと問題意識

PCでニュース、ユーチューブを見ている。我が家のテレビはアルジャジーラしかまともに映らないが、お陰でアフリカ、南米、中東での出来事も知ることができる。同じテレビニュースでも日本のそれとは大違いだ。ただ、アルジャジーラは英語放送なので全部を理解できない。でも安倍さんの暗殺事件は直後から、アルジャジーラを始め、英語ニュースでは「アサッシン(暗殺)」の単語が使われていた。暗殺の彼我における使い方を取っかかりにして原稿を書いた。

時事問題について人並みの関心は持っている。マスコミの垂れ流す情報に対してそりゃあないだろ、と反論したくなることもある。でも自分の意見だと思っていても、あとで他の論客が言っていたことと重なってしまう。自分の意見ではなくユーチューブのオウム返しでは、テレビのコメンテータを批判する資格はない。

そこで先述の「見た目を整える」作業が必要となる。ニュースを見るとき、自分の視点の一つに「人種差別」がある。中国の人権弾圧も大東亜戦争ベトナム戦争ウクライナ戦争も根底には人種差別があると思う。ウクライナ戦争はどうせスラブ人同士の戦い、劣等なスラブ人の人口が減って結構だ、と思っている欧米人は絶対いる。先日はウズで見た戦没者慰霊碑と通訳のベク君の話を思い出しながら、人種差別の視点からウクライナ戦争について書いてみた。

原稿は自分の経験3割、ネットや本からの引用7割で構成すると納まりがいいような気がする。これで自分の経験も相対化できて自己本位とか偏狭といった印象が薄れる。でもあまりにも一般化した内容であると特徴がなく、自分らしさが失われる。

1年くらい経って読み返して「本当にこれ、オレが書いたの?」と不思議に思ってしまうことがあるが、これは多分健忘症が始まっているからだろう。

 

感染症の影響

 

チェンライの市場

同上

同上、山岳民族の店

イクラトン、夜店

同上、焼きそば各種

寿司はここでも人気

 

感染症の影響
感染症は終息
去年の11月17日に羽田からスワンナプーム空港に到着した。タイに戻ってちょうど1年になる。年を取ると1年が短く感じられるというが、まさにこの1年はあっという間に過ぎた。何をして過ごしてきたのか。お国の為になることは何もせず、無為徒食の生活、内心忸怩たるものがある。でもその前30年以上、善良な市民として働き続けたのだから、まあ許して下されよ、といった気持ちだ。

タイに戻った日はバンコクで1泊の強制隔離になった。チェンライに戻ってからも周りのタイ人は全員マスク、セブンイレブンではマスクをかけていないと入店を断られたし、その辺の雑貨屋のおばさんもマスクが鼻より下に掛かっていると手まねでマスクは鼻の上まで、と指示する。あの頃のチェンライは中世のレプラかペスト並みの感染症恐怖症に侵されていたと思う。

今年の4,5月に我が家周辺で軒並み感染者が続出した。ワクチン2回接種の自分もみなと同じく喉の痛み,声枯れの症状が出た。行っても普通の風邪の薬を処方されるだけなので病院には行かなかった。あれだけ感染者が出ていたのにタイ保健省の発表する新規感染者数は減少の一途、要するに感染者を認定しないだけの話だった。死者や重篤者がどんどん出るわけではないし、実際に感染してもたいしたことはないと国民も、少なくとも自分の周りのタイ人は達観していた。感染症慣れだ。それに乗じて人為的に感染者数を少なく発表して、観光客誘致に努めようというタイ政府の方針があったのだろう。

タイでは10月から日々の新規感染者数の発表をやめたし、タイ入国への規制も撤廃した。マスクの義務化も廃止され、コンビニもマスク無しで入店できるようになった。でも市場では半数以上、病院ではほぼ100%の人がまだマスクをしている。

感染症利権
武漢肺炎は結局、タイでは普通の風邪扱いとなった。でも日本ではいまだ結核SARS並みの感染法上2類相当となっているので緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が適用され、外出自粛の要請や飲食店の営業時間短縮など、制約ある生活を強いられる可能性がある。

安倍元総理が退陣するときの挨拶で、2類からインフルエンザ並の5類に引き下げると語っていたが、岸田首相になってもまだ5類になっていない。5類になると、今まで国で見てくれた治療費、入院費が自己負担になりますよ、と関係者は脅す。でも健保もあることだし、早めの診療や風邪薬で治る病気だ。何故5類にしないのかというと、多くの人が指摘している通り、「2類」に留めておけば、厚労省が差配し、保健所・医療機関・検査会社・宿泊療養施設など、多くの関係者が補助金などの利益にありつくことができるからだ。報告対象を高齢者や重症化リスクが高い患者に絞り込めば、保健所や医療機関業務が逼迫することもない。

PCR検査は無料である。無料どころか500円のクーポンを呉れる検査所もあるから何度でも検査を受ける人が出てくる。合計9回受けたので4500円儲かったという人もいる。もちろんコストがかかっているが国が負担する。
自費でPCR検査を受けると2万円ほどかかる。昨年11月、日本からタイに戻る時、タイ入国にあたってPCR 検査の陰性証明が必要だった。その辺で受けるPCR検査は無料かクーポン付きなのに、英文証明書を作ってもらうために2万円以上の費用が掛かった。差額は医療機関の利益だろうか。どうも納得がいき兼ねる。


■品性を汚した

一昨年3月に帰国した。そして1週間の差でバンコク戻りの航空便がキャンセルになり、その後タイに戻れず1年8カ月を感染症騒ぎの日本で過ごした。騒ぎの当初、ノーベル賞山中伸弥教授が、この感染症終焉には2年はかかると述べられた。まさかとは思ったが先生の言われる通りだった。

2020年の夏までバンコク便を予約してはキャンセルの繰り返し、ムダかつバカなことをしたものだ。自分だけでなく、国もあとになってみればムダかつバカなことをした、といえることがいくつもある。巧遅は拙速に如かずとばかりに補助金助成金をばらまいたので、自治体、マスコミ関係者ばかりでなく、国から金を騙し取る事案が相次いだ。捕まった事案は氷山の一角だろう。

自分も国から10万円の「特別定額給付金」を受け取っているから偉そうなことは言えないが、お上がばらまくお金を貰っていては、日本人特有の勤勉、節約といった道徳が毀損され、品性が下がるような気がする。2類のスキームで利権を享受している人を非難するだけではなく、感染症とその対策によってどれだけ日本人の品性が損なわれたか、それを考えるときが来るのではないか、などと思っている。