チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

為替よりも重要なこと

ドイ・パータンからタイ側を臨む

ラオス

遠くにメコンが見える

シーズンには人が数珠つなぎになるというが

104高地、パテトラオを迎え撃つ軍事施設があった

 

岩だらけの道


為替よりも重要なこと
■円安苦境
日本のテレビニュースで昨今の円安を取り上げていた。円安のせいで輸入物資、エネルギーコストが高騰し、小麦製品、ビール、牛乳、養殖魚なども値上がりし、庶民の生活が苦しくなったとか。画面にはスーパーの店長が映り、「偉い人は我々と同じ生活をしてほしいとは言わないが、せめて物価上昇の現場を見てほしい」という切実なコメントを述べている。牛乳が5円上がっただけでも、庶民代表(の主婦)が「苦しいやりくりの中で値上げは困ります」と嘆いてみせる。続けて、昨年度日本企業が儲けた金額の合計が79兆5000億円と、過去最高額となった,旅館や飲食店を中心にコロナの影響から持ち直し、製造業の利益も30%あまり増加したという国税庁発表のニュースになる。

要するに庶民の暮しは厳しくなっているのに企業所得は増えている、儲けた金はどうして庶民に還元されないのか、というツクリになっている。繰り返し書いているが円安で儲かる業界もあるし、損する業界もある。逆に円高で収益が上がる会社、下がる会社もある。

円高の時はデフレで物価が下がった。庶民や年金生活者は物価が安くなった分、所得が増えたと言える。円高の時はトクしていたのだから円安で多少物価が上昇するのは仕方ないです、などと誰も言わない。損をするのはいつも庶民、中小企業の図式だ。このニュースはこの円安ではもう工場をたたむしかない、と嘆くパイプ工場の社長を取り上げている。

■円安が直撃
円安で困っている人といえば、タイで暮らしている年金老人が挙げられる。いい時は1万円が4000バーツ以上になったが今は円安で2500バーツ、約4割の収入減だ。タイのインフレ率は7%を越えており、物価上昇は日本より顕著。チェンマイ、チェンライ在住者のブログではせめて3000バーツならと、円安を嘆く声で溢れている。

でも日本のマスコミはタイで困っている年金老人など絶対に取材しない。タイに暮らしているというだけで「勝手に日本を出ていったくせに。結構、そっちではタイ女性とウマくやっているんだろう、そんな不逞老人の実収入が減るのは自業自得だ」という声が怒涛の如く押し寄せることが目に見えているからだ。それに日本に居住するご同輩は年金の1割を消費税に持っていかれる。タイにも消費税にあたる付加価値税(VAT)7%があるが内税だし、そこらの市場で買えばこの税金はない。

為替で実収入が減ったなんて文句言うんだったら、まず外国在住者の年金を消費税分、10%減額してもいいんじゃないか、という声があがりそうなので、自分は為替について不平不満は言わない。

■為替どころか
日本のニュースで解せないのは日本の防衛問題が真面目に取り上げられてないことである。産経新聞の阿比留瑠偉記者は11月1日の「阿比留瑠偉の極言御免」でこう述べている。以下引用。

極東情勢は、風雲急を告げている。残念ながら武力衝突の足音は、すぐ近くにまで迫っているが、日本の国会は何をしているのか。
米海軍制服組トップのギルデイ作戦部長(大将)は19日、中国による台湾侵攻が今年中か来年中にも起きる可能性を指摘した。ブリンケン米国務長官も、17日に「中国はずっと早い時期の統一を追求する決断をした」と述べている。中国共産党習近平総書記(国家主席)は「2期10年まで」「68歳定年」という2つの慣例を破り、3期目に突入した。16日にはこう宣言している。
 「武力行使の放棄は約束しない。祖国の完全統一は必ず実現しなければならないし、必ず実現できる」(引用終り)

この非常時において国会では統一教会の問題ばかりだ。憲法改正はおろか、自衛隊の弾薬、迎撃ミサイルが不足していて、国民の生命、財産を守ることができない現実があっても何も議論しない。安倍さんが台湾有事は日本有事、日米有事、といった時、中国は1300発の核ミサイルを落とすと日本を脅した。

台湾は10月からほぼ感染症の制限なしで観光客を受け入れることになった。エアアジアが12月から週3便、チェンマイ台北間に就航することになった。料金は日本円で往復2万4千円ほどである。感染症後、初の海外旅行は台湾と思って、計画し始めたが、年内にも共産軍の台湾侵攻があるとの米軍高官の情報に接し、フライト予約を躊躇している。

独裁者は、プーチンを見るまでもなく「合理的判断」をするとは限らない。習近平は経済がボロボロになっても、いやボロボロだからこそ台湾侵攻に乗り出すだろう。その時、尖閣、沖縄はどうなるのか。核ミサイルで為替どころか貯金も吹っ飛んでしまうという危機感はチェンライにいてもひしひしと感じるのだが。

ハイキング

 

 

 

フォルツァ350

ドイ・パータン

ラオス領を見下ろす、メコンが見える

メコン

同上

こんな山道を歩く


ハイキング
■ドイ・パータン
友人からハイキングに誘われた。場所は我が家から150キロほど離れたタイ、ラオス国境にあるドイ・パータン、ドイ・パータンは山の上から一年を通して早朝に雲海の美しい景色を眺めることができる知る人ぞ知る観光名所だ。

雲海からの日の出を見る景勝地としてはプーチーフファがある。タイ観光に興味を持つ人ならプーチーファの名前は聞いたことがあるだろうし、少なくとも雲海から昇る朝日の写真は見たことがあるだろう。日本だと正月は富士山とか高尾山ご来光を拝む、というのが一般的だが、タイでは正月を挟む乾季にプーチーファを訪れて、断崖絶壁から雲海を昇りくるお天道様を眺める、が定番である。

プーチーファから北へ24キロあがったところにパータンがある。やはり断崖絶壁に展望台があり、ラオス領とメコン河を眼下に見下ろすことができる。展望台付近がタイ、ラオス国境となっており、眼下のメコンとその両岸はラオス領である。高地であるので気温はチェンライより5度以上低くなる。メコン河から川霧が立ち込め、それが雲となって早朝にはラオスとタイの間を覆ってしまう。何度もパータンを訪れたNさんの話だとパータンからの日の出はプーチーファよりも美しいという。今回の遠足はIさん、Nさんと一緒、お二人ともバイクを持っておられるのでツーリングを兼ねたハイキングということになった。

日の出を見るためには前日泊が必要となるので、今回は朝出発、夕刻帰宅の山歩き主体の1日コースだ。山歩きとテニスでは使う筋肉が違う。2年前、チェンライから東京に戻った時、何処に出かけるにも徒歩が基準だったせいで太腿が筋肉痛になった。大丈夫だろうか。

■ひたすら走る
朝8時に家を出て70キロほど離れたNさん宅へ向かう。愛車フォルツァ350は今年の2月に手に入れたのだが、近場をちょこっと走るだけでツーリングらしいことはしていない。走行距離も一月当り300キロ程だ。年を考えて最高速度は80-90キロに抑える。乾季特有の朝霧が立ち込めている場所もあって走行注意。

Nさん宅を3台のバイクで出発、Nさんとはラオスやタイ南部のチュンポンなど何度か長期ツーリングを共にしている。いつも彼の後塵を拝し、なんとか付いていくだけ。Nさんのカーブ、アップダウンでのブレーキの使い方を後方から参考にしつつパータンへ向かう。1時間ほどでパータン展望台の麓に到着した。ウィークデーのせいか客は少なく、シャッターを下ろした土産物店、食堂もある。まだ観光客は戻っていないようだ。

■落伍寸前
麓といっても高度は1000mを越えている(ネットでは1800mとなっていたがそんなに高くないと思う)。麓でも空気が冷たい。ここにバイクを置き、11時から2時までの山歩きが始まった。パータンの「パー」は岩、「タン」は切り立ったという意味でパータンは「切り立った岩」ということになる。二つの岩の間からラオス領が見下ろせる場所が有名。また岩戸国境という洞窟のような岩穴があって、ここからもラオスが望める。この国境をラオス人が越えることもあるらしい。

ここから一山越えて104高地と呼ばれる山の頂上に向かった。「越えなばと思いし嶺に来てみればなお行く先は山路なりけり」。このあたりから激しい発汗と動悸、息切れで足取りが重くなる。落伍兵だ。山上から見下ろすラオス領とメコン河の流れは素晴らしかったが疲れが吹っ飛ぶというほどではなかった。

戻って麓の「城土餐廰」で豚足の煮込みを食べ、元気を取り戻したのは2時を回っていた。パータンは、戦後、国民党の残党が逃げ込んだ地域で食堂ではタイ語より中国語のほうが通じた(と同行者が言っていた)。Nさんはこの辺りで栽培されている梅の実を毎年購入しているとか。

■ツーリングを楽しむ
3時間の山歩きで消耗したが、ここから百数十キロを走破して帰宅しなければならない。同じチェンライ県内だが広さが尋常でない。ここ10年で県内の道路事情は格段に良くなった。メコン河沿いをチェンコンに向かって走ったが片側2車線の舗装道路となっている。以前ドロドロの砂利道をおっかなびっくり走ったことを思うと夢のようだ。チェンコンからチェンライへ向かう道をもここ3年で拡張、改良されている。まだ完全には開通していないが、片側2車線の直線道路が何キロも続く。新型フォルツァは120キロまでスムーズに加速することが分かった。この日の走行距離は270キロ。

我が肉体の衰えとバイク性能の向上を如実に感じた1日ではあったが、山上に吹き渡る涼風は、行けるうちにまた行こうと思わせるに十分な感動があったと思う。

 

乾季最大の祭り

近所のロイクラトン

人出は多かった

 

月食だった

元に戻った月、望遠で

マスクは半数

ステージに上がってみんなで踊る



乾季最大の祭り
■ロイクラトン
11月8日は旧暦12月の満月の日、タイ全国でロイクラトンの祭りが開かれる。「ロイ」は流す、「クラトン」はバナナの葉や花で飾られた灯篭を意味する。満月の夜、人々は川岸に集まり、思い思いに自作の、或いは屋台で買った灯篭に蝋燭を灯し、静かに川の流れに載せる。乾季で風は殆ど吹かない。蝋燭を灯した灯篭が暗い川面にいくつも浮かび、幻想的である。

日本にも灯篭流しという慣習がある。日本の灯篭流しは「送り火」の一つで死者を弔う、死者の魂やご先祖の霊をあの世へ送り届ける儀式の一つである。お盆の花火大会と一緒にやる地方も少なくない。
タイの灯篭には蝋燭と一緒に線香も上げる。それで慰霊の要素もあるのでは、と思っていたが、ロイクラトンは死者や先祖への慰霊の意味は全くない。宗教的な意味がないのかというとそうではなく、川の女神“プラ・メー・コンカー”へ秋の収穫への感謝の気持ちを捧げ、並びに自身の罪を川に流し、悔い改める(清める)とか。

プラ・メー・コンカーはヒンドゥー教の神様でロイクラトンの祭りはスコタイに始まった、という。赤木先生の「スコタイの栄光は無かった」という学説を信じているので、ロイクラトンスコタイ発祥説も怪しいと思う。でも今やロイクラトンは乾季の旅行シーズンの始まりを盛り上げるタイ観光庁あげてのカラフルな祭りとなっていて、バンコク、アユタヤ、スコタイ、チェンマイ、タークなどタイ各地で地方色豊かな祭典が開かれる。楽しければそれでよし、である。

■北タイのロイクラトン
何年か前、友人たちとチェンマイのロイクラトンを見物した。チェンマイのロイクラトンは「イーペン祭り」とも呼ばれる。イーは数字の2、ペンは月の意味で昔は2月に行われていた祭りがロイクラトンにくっついたものらしい。また別名コムロイ祭りとも言われ、無数の行灯(コムロイ)を空に飛ばす。これも川面を流れる灯篭と並んで幻想的でロマンチックだ。若いカップルがうまくコムロイを空に放つことができると二人の恋は成就するというコムロイメーカーが広めたような話もよく聞く。今年は実質的に3年ぶりの祭りとなる。タイ経済を盛り上げるために盛大に祝ってほしいものだ。

我が家から歩いて数分のところにメコン河に流れ込むターサイ川が流れている。毎年、この川岸でも毎年ロイクラトン祭りが開かれる。川岸に続く小路には焼鳥屋と共にロイクラトンを売る露店がいくつも並ぶ。灯篭の値段は一つ20Bほど、夕方は高いが8時過ぎになると値段が下がる。需要と供給の経済理論通りだ。

この地区でのお祭りというと、お寺の行事を別にすればこのロイクラトンしかない。地域の人々もロイクラトンを相当楽しみにしている。川岸には特設ステージが設けられていて、地区婦人部のおばさん達が、入れ替わりステージに上がって踊る。日本の盆踊り程洗練されたものではなく、ゴーゴーダンスに多少振り付けがある程度のもの。踊るほうも見物のほうも相当酒が入っている。踊っているおばちゃんに「今夜、1000Bでどうだ」といった掛け声がかかる。踊り手も「そんなに安くはないよー」。日本の盆踊りも大昔は我が地区のロイクラトン並みに猥雑というかおおらかだったという。

民俗学の父
日本の民俗学の父といえば柳田國男だ。彼は歴史が文献を中心に説かれることに疑問を持ち、現地調査をもとにした民俗資料の充実とその解明に努めた。87歳の生涯で100冊以上の著書を残した。自分も「遠野物語」、「桃太郎の誕生」等を読んだ覚えがある。
柳田國男は医師を輩出するエリート家庭に生まれ、旧制第一高等学校、東京帝国大学法科大学政治科を卒業し、農務官僚となる。貴族院書記官長、終戦後から廃止になるまで最後の枢密顧問官などを務めた。

柳田國男民俗学への貢献は計り知れないが、エリートの道を歩んだせいか、下世話なこと、つまり男女の営みを伴う民俗事案については冷淡、或いは高踏的立場をとったと言われる。夜這い、歌垣などのフィールドワークは彼の弟子である宮本常一の著書に詳しい。宮本常一全集が家にあった。読むうちに感化されて、自分もできたら少数山岳民族の民俗調査を、と考えていた。ラチャパット大学の図書館に通い、資料を読んだりしたが、元より怠惰な性格、今はすっかり熱が冷めている。我ながら情けない。でも日本から持参した吉川弘文館の「民俗調査ハンドブック」はまだ手許にある。

民俗調査といっても、今はせいぜいロイクラトンの謂れをググる程度。嗚呼、少年老い易く学なり難し。

 

テニス、やってます

6月のチェンライテニストーナメントから

タイの健康少女、サラちゃん

荒川選手の鋭い振り

サーブはジャンプ

リターン、ジャンプ

 



返球を待つ体勢

 

テニス、やってます
■乾季到来
タイ気象局は、タイが10月29日に雨季が明け寒季(乾季)入りすると宣言した。昨年の寒季より気温が低めになると予想。寒季明けは来年2月末の見通しという。

いよいよ、乾季到来だ。安居明けの10月10日以降、チェンライではほとんど雨は降らず、週5日のテニスを滞りなく楽しんでいる。とにかく天気の心配をせずにテニスができる、は大変気分的によろしい。

ところで2020年に公益財団法人 日本テニス協会が発表したデータによると、日本のテニス人口は、約343万人。これは笹川スポーツ財団が実施した2017、2018年の調査結果と同じであり、2012年どの調査時の結果と比較して30万人減少した。しかし、東京、神奈川、大阪など都市部では競技人口が多く、テニスは都会人のスポーツという面がある。

テニス人口における年代別割合という統計がある。2001年のデータと2016年のデータを比較すると、50代以上の割合が、男性で2001年に18.3%だったのに対し2016年には29.5%と増加。そして、女性も2001年は13.3%から28.2%と倍以上になった。
また、70代以上の割合も男性は1.1%から7%、女性が0.6%から5.6%とやはり増加している。

以上のようなことから、テニスをプレーする人の年代が確実に上がってきているといえる。20年前自分はテニスをしていなかったが、2016年にはプレーしていた。自分のような老人が増えたということだろう。チェンライでテニスに要する費用というと、月に1缶(3球)のボール代くらいだが、時間とお金に余裕のある熟年者が日本には多いということか。

■テニス市場
日本でのテニスは結構お金がかかるスポーツだ。コート代が高いし、安価な公営コートを借りる場合は応募者が多いため抽選となる。でもやっとの思いで確保したコートが、雨天のためプレーできないこともある。

テニスコートを全国に展開している企業がある。その会社はテニス人口の多い都市部に室内コートを建設する。テニスをやる人が多いところとは、すでにテニスコートが存在している。現代人は忙しい。予定表にテニスと入れていても雨で流れてしまっては、がっかりする。もし室内コートであれば、天候に拘らず予定通りプレーできる。もちろん早朝、夜間でも近所からクレームを受けることなくテニスを楽しめる。それで野外コートに通っていたテニス愛好者は少々高くても室内コートへ移っていく、というわけだ。

市場(顧客)がないところへ進出しては、ビジネスは成功しない。市場があっても同業他社が存在している所では新規進出しても苦戦を強いられる。しかし、同じビジネスであっても他社にないメリットがあれば市場を奪い取ることができる。遥か昔、学生さんにベンチャービジネスの講義をしたことがあるが、今だったらこの事例も紹介で来たなあ、などと思う。

■お金のかからないスポーツ
スポーツをすると運動不足が解消されるだけでなく、ストレス発散にもなるため健康的な生活を送ることができる。お金をかけずに運動不足を解消したいと考えている方に、おすすめのスポーツ8つ、という記事があった。

まず、お金のかからないスポーツの代表ともいえるのが、ウォーキング・ジョギング、ただし、スポーツウェア、ジョギングシューズの初期投資は必要。

2番目はヨガ、教室に通うなら別だが、家で動画をみながらやる「おうちヨガ」ならパジャマでもハダカでも構わない。

3番目はダンス、役所広司草刈民代に習うようなスタジオではなく、レッスンDVDを買って自分でやる。でもうまくなると人に見せたくなるし、相手とお付き合いが始まったりすると費用的な疑問が出てくる。

以下、4番水泳、5番バトミントン、6番バスケット、7番筋トレ、8番鬼ごっこと続く。
公営施設を利用すれば費用は心配しなくても良さそうだ。鬼ごっこに毎日孫が付き合ってくれるとは限らないし、一人でやる運動は孤独に耐えるストイックな精神がないと続かない。だから自分には向かない。

番外として、20代会社員のこんな声がある。
「私がこれまでに経験したスポーツの中で、お金がかからないと感じたスポーツはテニスです。テニスを始める際にかかった費用はラケットとシューズを含めても2万円程度でした」。公営コートを借りれば費用は一人千円くらいで済むと言い、このように結ばれている。「テニスは老若男女問わず始められるスポーツなので、社会人で運動不足が気になる方や、テレビでテニスの試合を観て興味を持った人などにもおすすめできます」。

確かに。小学生や女子高生、タイ、欧米の老若男女とテニスをしている。問題は面白すぎて毎日やりたくなって健康に差し支えることだ。

 

海の幸は貧弱

ロブスターが主役

魚は右手のスズキだけ

転倒のカブトガニ、ひっくり返されている

日本のカブトガニ

三葉虫の化石

田ウナギ、サンサイ市場で



海の幸は貧弱

■魚はあまり食べない国
タイではあまり魚が食べられていないと思う。先ず、魚の種類が少ない。市場のおかず売り場ではテラピアナマズの炭焼きは必ず売っている。鯵に似たプラトゥーという魚の干物もよく見かける。これは鯵にそっくりだがサバ科の魚とのこと。ほぐしてお茶漬けにして食べると美味しい。あとはスーパーの冷凍のサバ、サーモンくらいか
サンサーイの市場では鮒、鯉、ウナギが食用ガエルと一緒に店頭に並んでいる。ウナギは田ウナギと言ってニョロニョロしているのはそっくりだが、色が緑がかっていて太さも細い。日本のウナギとは別種で、昆虫で言ったらカブトムシとチョウチョほど違うらしい。山岳民族の村でこの田ウナギをぶつ切りにして辛く煮込んだ料理を食べたことがあるが、あまり口に合わなかった。

海の魚が食べたいと思ってシャム湾に面した海浜リゾート、フアヒンに行った。海辺のレストランやナイトバザールのレストラン街を歩いてみたが、魚料理は少ない。タイレストランでスズキの醤油煮を注文した。この魚は偶にチェンライのビッグCで見かける。30センチほどの煮魚が出てきた。値段は日本円で2000円弱、日頃の食生活からすれば大散財と言ってもいいが、海の魚を食べたことに満足した。

■ロブスターが主役
フアヒンのナイトバザールでは氷を敷き詰めた屋台に伊勢海老、海老、ムール貝、シャコ、イカ、それにスズキを並べ、屋台の後ろのテーブル席に客を誘っていた。いくつも魚介屋台が続くが、載せてある食材はほぼ同じ。魚はスズキだけだ。ということはシャム湾に生息する魚の種類は少ないのではないか。伊勢海老はロブスターで40センチ以上ある。何処の屋台にもこの大海老が上座に鎮座していた。このロブスターは一匹で数千円はする。ファランの老夫婦がロブスターを前に、半分はこうして、半分はああしてと料理法を指示していた。爺さんの風体はランニングシャツに短パン、婆さんはムームー、見かけによらず金持ちなんだなあ、とチャーハンを頬張りながらその様子を見ていたが、彼らが金持ちなのではなく、自分が貧乏なだけだ、とすぐ気付いた。魚一匹でもお腹が一杯になってしまうからロブスターなんか食べきれない、と心の中で呟きながら、やはり一人旅はいろいろな料理を楽しむことができないな、と残念に思った。

実は昔、プーケットでロブスターを食べたことがある。夕方、海辺の市場を通りかかったら、ヒゲが一本とれた伊勢海老を売っていた。安くするからどう?と言われて購入。ポリ袋でガサゴソする海老をレストランに持って行って半分は炭火焼き、半分はパッポンカリーで、と頼んだ。伊勢海老の足が越前ガニの足ほどの大きさがあって、その足を割って中身をカミさんがずっと食べ続けていた。一時の静寂に包まれた空間ではあった。

カブトガニ
屋台で日本では絶対見かけない食材を見た。体長40センチほどのカブトガニである。カブトガニは数年前に友人のIさんとプラチュアップキリカーンで食した。カブトガニは日本においては絶滅危惧種に指定されている天然記念物である。

カニというがカブトガニカニではない。祖先は5億年以上前のカンブリア紀の海で大繁栄していた三葉虫である。三葉虫が進化して一つがカブトガニになり、一つがウミサソリとなった。ウミサソリはその後、陸上のサソリやクモにと進化し、約35,000種にも分化したが、カブトガニはわずかに4種だけが現存しているだけだ。生まれからしカブトガニは、蟹というよりクモに近い動物らしい。このカブトガニは2億年前のジュラ紀から殆ど形態が変化していない。生きている化石と言われる所以だ。日本のカブトガニの他に、北アメリカ、ユカタン半島にはアメリカブトガニ、東南アジアのシャム湾、ベンガル湾などに生息するマルオカブトガニ、ミナミカブトガニの3種がいる。

カブトガニの寿命は25年くらい、卵を産めるまでに成長するには15,6年かかるという。東南アジアのカブトガニはもう少し早く成長するそうだ。卵は2,3ミリの緑がかった粒で1回に300個ほど産卵する。カブトガニを丸蒸ししてひっくり返し、甲羅の裏に詰まったこの卵を食べる。食味については美味しくて病みつきになる、という人もいれば一度食べれば十分という人もいる。

数年前と同じく屋台に並んでいるのだから、日本のカブトガニより繁殖しているのだろう。瀬戸内地方の人にカブトガニ、食べたよ、などと言うと、氷河期を乗り切ってきた今は絶滅寸前の天然記念物を、と怒られるだろう。多少の罪悪感も味の内だっただろうか。

 

常識と思っていても

メコン河,船に注目

望遠で同じ位置から

同上、望遠83倍の威力

対岸のラオスでは建設ラッシュ

ホテル食堂のテラスから

ホテルの食堂

 

 

常識と思っていても

■自分が基準
日本のいいところはどんなところですか、という質問がよくクオーラに出てくる。安全、公共交通機関が整備されている、食事が美味しい、病気になっても安心、とか答えはいくつもある。自分が答えるとしたら、まずは「日本語が通じることです」を挙げたい。

異国に住むということは、安全でなく、電車、バスはロクに走っておらず、食事は口に合わず、病気になったら命とり、更に言葉が通じない、これらの不便に慣れることである。異文化の中で暮らすのだから、予めある程度は不便、不当なことは覚悟している。覚悟しているということは予測していることだから、仕方ないと思って対応していく。ここは日本でない、外国だと思えば諦めもつくし、その中で小さな幸せを見いだしていくことも可能である。例えば、バスが定刻通りに着いた、現地食で美味しいものを見つけた、現地語が結構通じた、などである。

でも日本で生まれ、日本で育ち、日本で学び、働いてきたということは日本の常識に染まっているということでもある。人間、誰でも自分を基準にして考えている。昔、英語のできる人と仕事をしていた。彼が外人とペラペラと喋ってお互い大笑い「ね、中西さん、わかったでしょ?」、ワカンネーヨ。自分が理解できることは他人も理解できるものと思い込んでいるらしい。肥満体の奥さんの家の食卓には大量のおかずが並ぶ。自分の食べる量を基準としているからだ。我々、全共闘世代には自分を基準として若い人に「なんだ―、こんなこともわからないのか―」と怒る人がいる。こういう人は外国で暮らすことは難しいような気がする。

■思い込みが糾される
異国住まいである。だから日本が世界標準でない、自分の思考方法、振舞いが相手に受け入れられるとは限らない、と身構えているつもりである。でも無意識のうちに足払いを食わされて1本とられたような気になることがある。

例えば清涼飲料水を1本買う場合と2ダース入りのケースで買う場合、日本なら1本当たりの価格は大量に買った方が安い(ことが多い)。無意識のうちにそれが常識となっていた。ところがタイではケース入り2ダースのビールと1缶のビールでは1缶で買う方が安いことがある。まとめ買いが高くつくのだ。

兄がビールを買いに行った。缶ビール半ダースは特売であるが、2ダースケースは通常価格のため1本当たりの価格が高くなっていた。この時、珍しいことではあるが、レジのお姉さんが「2ダースだと高くなりますよ」と言って2ダースケースを4つにハサミで切り分けて特売価格にしてくれたそうだ。普通は黙って表示価格通り、お客の都合は考えない。

スーパーの特売で調味料が値引きになっていることがある。ところが同じ調味料が売り場によって特売前の価格となっている。全く同じ商品であっても値段が違う。経済学では「一物一価」というではないかといっても始まらない。
大量に買うと高くつく、同じ店の同じ商品でも売り場によって値段が違う、には驚いたが、工夫により安く買えればそれなりに嬉しく、少し異文化に慣れたような気になる。

■水1本でも
スワンナプーム国際空港にある自販機の600ML入りペットボトルは20バーツだが、食堂街にあるコンビニでは45B、エビアンなら100Bだ。たかが水1本に400円? ところが地下1階にあるコンビニでは45Bのボトルが7B(30円弱)とチェンライ価格で販売されている。必要もないのに思わず1本衝動買いしてしまったくらいだ。

以前はチェンライの食堂では水と氷は無料で、プラスチック製の2L入り容器がテーブルにドンと置いてあった。最近は無料を改め、ペットボトルの水を置く食堂も多くなった。1本10Bである。チェンマイでも10B、これが普通だと思っていたが、フアヒンの食堂では1本20B だった。さすがリゾート、物価が違う。チェンライなら40Bのカウパット(チャーハン)が60から80B、概ね、こんな値段だろうと思っていても裏切られる。日本なら、ラーメンの価格帯は地方によってもあまり変わりがないのではないだろうか。

チェンマイにLSしているご夫婦がプーケットに遊びに行って、あまりの物価の高さにビックリ仰天、すぐにチェンマイに舞い戻ったという話を聞いた。日本の平準化された物価に慣れていると、タイはおかしいよ、といいたくなるが、おかしいのは自分の方だ。

年収が1000万以上ある人は海外どこでも暮らせますという記事があった。確かに些細な物価の違いに違和感を覚え、時にはイラつくようでは異国で暮らせない。「恒産無くして恒心無し」はロングステイにも言えるということか。

 

 

種や苗木が同じでも

 

 

 

パヤオ湖の夕暮れ

同上

夜市が開かれていた

寿司はどこでも人気

アボガド

シャインマスカット、中国産

 

種や苗木が同じでも
■出安居
10月10日は日本もタイも国民の休日だった。日本はスポーツの日、1964年の東京オリンピック開催を記念して制定された国民の祝日だ。2000年と2001年は東京オリンピックに合わせ、スポーツの日が7月に移動していた。今年から10月の第2月曜に戻ってきた。

タイの10月10日はオークパンサー(出安居)の祝日だった。出安居とは 旧暦8月の満月の「カオパンサー(入安居)」から3か月間、寺に籠って厳しい修行をしてきた僧侶達が修行を終える日で、仏歴上の雨季開けを意味 する。10日がちょうど旧暦11月の満月にあたっていた。この日は酒類の販売、提供が禁止されるので休業する飲食店が多い。
日本では体を動かしたあとビールを一杯、タイではアルコール抜きの1日となる。ともあれ、暦の上ではタイは雨季明けとなるのだが、本当に乾季と感じるのは11月満月の日、ロイクラトンを過ぎてから、とタイ人は言う。

チェンライの10月10日は降雨のため、テニスができなかった。でもその後、雨は降らないのでずっと週5日のテニスができる。暦通りの雨季明けか。最低気温が20度を下回り、風速4,5メートルほどのひんやりした風が吹く。タイに秋はないけれども、風の音にぞ驚かれぬるの気分を味わっている。そろそろ市場ではミカンが並び始めた。マンゴーはもうない。ここ1月出盛りだった釈迦頭(バンレイシ)もロンコンも来月にはなくなる。常夏の国ではあるが果物で季節を感じる。

■栽培技術確立は韓国?
チェンライでシャインマスカットを食べた。多分中国から入ってきたのだろう。美味しかったが日本産と比べて、というほど高級ブドウを食べていないのでその差はわからない。シャインマスカットは日本が生んだブドウの最高級品であるが、中国や韓国に苗木が持ち出されて、中韓が今やシャインマスカットの主要輸出国となっている。日本が被った損失は農水省試算で年間100億円以上とか。

シャインマスカットについてこのような報道もある。コリア・エコノミクスからの引用。

韓国の老舗ニュースメディアであるYTNは19日、シャインマスカットの栽培が盛んな慶尚北道金泉を取材し、かつて巨峰やキャンベル品種が多かったものの、その圧倒的な利益差から果樹農家がこぞってシャインマスカットの栽培に移行したと報じた。
YTNの取材に対し栽培農家は、シャインマスカットの栽培で所得が「2倍近く増えましたね」とし、地域農家の「80%ほどが(シャインマスカット栽培に)変わりました」と答えている。

YTNのリポーターは、「最初に品種開発したのは日本でしたが、栽培技術が難しく、日本が品種登録をあきらめたシャインマスカット」とし、「その間、韓国が栽培と品質管理技術を確立したのです」と説明した。YTNの説明は、これまでの日韓の関連報道では見られなかったものある。韓国産シャインマスカットの「オリジナリティ」を強調したかったようにも解釈できるが、具体的な内容なり根拠などは報じていない。(引用終り)

■品質管理
爆発的にシャインマスカットの栽培面積が増えた中国、韓国であるが、最近のニュースを見ると、これまでのような利益は享受できなくなってきたようだ。それは供給過剰による値崩れもあるが、どうしても品質が日本産に追いつけないことが挙げられる。

農産物は土、肥料、摘果、水やりなど気を遣うことが多いが、ブドウは日中の気温差が糖度に大きく影響する。韓国のシャインマスカットは皮が厚く、甘くないというのだ。
やはり本家本元の気候、土、農家の努力でしか作れない何かがあるのだろう。高級品は日本、普及品は中韓でという分業、棲み分けがブドウでも起こるかもしれない。

農業は気候がいいからいいものができるとは限らない。日本の高級京野菜をチェンライで栽培、輸出できないか、という話があったが、こちらの土では、またこちらの農民では同じものはできない、と断言できる。

チェンライで牛蒡、大根、日本キュウリなどが販売されているが、見た目はともかく、味はいまいちだ。家に三つ葉が生えているがちょっと固いし、香りも少ない。種は日本製でもタイで撒けば何となくタイ風に育つと見える。日本の味に近い野菜もできると思うが、常に一定の品質、味を持つ野菜が供給される保証はない。

そう考えると日本の果物、野菜には「ハズレ」がないことに気付く。タイでは熟れないまま腐るアボガドや中身が白いスイカにあたることがある。日本では品質管理が工業製品ばかりでなく農水産物にもきっちり行われている。日本と中、韓、タイとの差はここにあるのではないか。