チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ハイキング

 

 

 

フォルツァ350

ドイ・パータン

ラオス領を見下ろす、メコンが見える

メコン

同上

こんな山道を歩く


ハイキング
■ドイ・パータン
友人からハイキングに誘われた。場所は我が家から150キロほど離れたタイ、ラオス国境にあるドイ・パータン、ドイ・パータンは山の上から一年を通して早朝に雲海の美しい景色を眺めることができる知る人ぞ知る観光名所だ。

雲海からの日の出を見る景勝地としてはプーチーフファがある。タイ観光に興味を持つ人ならプーチーファの名前は聞いたことがあるだろうし、少なくとも雲海から昇る朝日の写真は見たことがあるだろう。日本だと正月は富士山とか高尾山ご来光を拝む、というのが一般的だが、タイでは正月を挟む乾季にプーチーファを訪れて、断崖絶壁から雲海を昇りくるお天道様を眺める、が定番である。

プーチーファから北へ24キロあがったところにパータンがある。やはり断崖絶壁に展望台があり、ラオス領とメコン河を眼下に見下ろすことができる。展望台付近がタイ、ラオス国境となっており、眼下のメコンとその両岸はラオス領である。高地であるので気温はチェンライより5度以上低くなる。メコン河から川霧が立ち込め、それが雲となって早朝にはラオスとタイの間を覆ってしまう。何度もパータンを訪れたNさんの話だとパータンからの日の出はプーチーファよりも美しいという。今回の遠足はIさん、Nさんと一緒、お二人ともバイクを持っておられるのでツーリングを兼ねたハイキングということになった。

日の出を見るためには前日泊が必要となるので、今回は朝出発、夕刻帰宅の山歩き主体の1日コースだ。山歩きとテニスでは使う筋肉が違う。2年前、チェンライから東京に戻った時、何処に出かけるにも徒歩が基準だったせいで太腿が筋肉痛になった。大丈夫だろうか。

■ひたすら走る
朝8時に家を出て70キロほど離れたNさん宅へ向かう。愛車フォルツァ350は今年の2月に手に入れたのだが、近場をちょこっと走るだけでツーリングらしいことはしていない。走行距離も一月当り300キロ程だ。年を考えて最高速度は80-90キロに抑える。乾季特有の朝霧が立ち込めている場所もあって走行注意。

Nさん宅を3台のバイクで出発、Nさんとはラオスやタイ南部のチュンポンなど何度か長期ツーリングを共にしている。いつも彼の後塵を拝し、なんとか付いていくだけ。Nさんのカーブ、アップダウンでのブレーキの使い方を後方から参考にしつつパータンへ向かう。1時間ほどでパータン展望台の麓に到着した。ウィークデーのせいか客は少なく、シャッターを下ろした土産物店、食堂もある。まだ観光客は戻っていないようだ。

■落伍寸前
麓といっても高度は1000mを越えている(ネットでは1800mとなっていたがそんなに高くないと思う)。麓でも空気が冷たい。ここにバイクを置き、11時から2時までの山歩きが始まった。パータンの「パー」は岩、「タン」は切り立ったという意味でパータンは「切り立った岩」ということになる。二つの岩の間からラオス領が見下ろせる場所が有名。また岩戸国境という洞窟のような岩穴があって、ここからもラオスが望める。この国境をラオス人が越えることもあるらしい。

ここから一山越えて104高地と呼ばれる山の頂上に向かった。「越えなばと思いし嶺に来てみればなお行く先は山路なりけり」。このあたりから激しい発汗と動悸、息切れで足取りが重くなる。落伍兵だ。山上から見下ろすラオス領とメコン河の流れは素晴らしかったが疲れが吹っ飛ぶというほどではなかった。

戻って麓の「城土餐廰」で豚足の煮込みを食べ、元気を取り戻したのは2時を回っていた。パータンは、戦後、国民党の残党が逃げ込んだ地域で食堂ではタイ語より中国語のほうが通じた(と同行者が言っていた)。Nさんはこの辺りで栽培されている梅の実を毎年購入しているとか。

■ツーリングを楽しむ
3時間の山歩きで消耗したが、ここから百数十キロを走破して帰宅しなければならない。同じチェンライ県内だが広さが尋常でない。ここ10年で県内の道路事情は格段に良くなった。メコン河沿いをチェンコンに向かって走ったが片側2車線の舗装道路となっている。以前ドロドロの砂利道をおっかなびっくり走ったことを思うと夢のようだ。チェンコンからチェンライへ向かう道をもここ3年で拡張、改良されている。まだ完全には開通していないが、片側2車線の直線道路が何キロも続く。新型フォルツァは120キロまでスムーズに加速することが分かった。この日の走行距離は270キロ。

我が肉体の衰えとバイク性能の向上を如実に感じた1日ではあったが、山上に吹き渡る涼風は、行けるうちにまた行こうと思わせるに十分な感動があったと思う。