チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

日々の暮しに感謝

 

故宮博物院で撮った写真

同上、白磁

同上、青磁

有名な象牙多層球

望遠機能で接写

 

 

日々の暮しに感謝
■穏やかな老後の始まりか
ここ数カ月、日々のスケジュールはほとんど変わらない。朝は明るくなると起きる。暗いうちから目が覚めていることが多いが、「日の出とともに起きる」は何十代にもわたる先祖のDNAのせいだろうか。朝食はドリップで淹れた珈琲に牛乳と砂糖を少し、サラダ、お茶漬けあるいはタイの胡麻餅にチーズの朝食を摂り、7時半にはコートへ向かう。1時間から1時間半、時には2時間、テニスのダブルスを楽しむ。帰ってシャワー、そしてパソコンへ向かう。午後も机の前に座っていることが多いが、買い物、公共料金の支払い、友人と歓談なども。

夕食は早く帰宅したいメバーンのニイさんに合わせて4時半くらいから始まる。夕食を終えたら2階の自室に戻ってPC画面とにらめっこ。ラオカオを飲みすぎると8時過ぎには寝てしまう。二日酔いになるほど飲むことはないが酒量も食べる量も昔に比べると少なくなった。暴飲暴食の若き日々が懐かしい。

変化に乏しい日常に飽きると旅に出たものだ。でもチェンライに戻って1年も経つが短期の国内旅行だけで国外には出ていない。もう欧州は暗い冬に入るし、中南米は遠すぎる。分断に揺れる米国は差別があって危険という気がする。台湾とかスリランカベトナム辺りならと思うが、いや、台湾有事が、などと考えると億劫になる。旅に出る、も結構エネルギーが必要ということか。

友人が円高で年金の手取りは減るし、車の月賦もあって旅行にも行けない、と嘆いていたが、彼にはタイ人の奥さんがいて、それなりに楽しそうだ。離婚した男性の平均余命は、添い遂げている男性に比べて10年ほど短い。これは国立社会保障・人口問題研究所が約40年間かけて調査した結果に基づくデータだ。パソコンに向かってこんなデータを閲覧しているようではそれこそ「老人性うつ」に陥ってしまう。

■十分長生きできた
でも独身でありながら古来稀なりの年をはるかに越え、高貴高齢者の年齢まで生き永らえている。ボールへの反応が鈍くなったもののペアにそれほど迷惑かけずにテニスができ、酒も食事も量が減ったと言いながら好きなだけ楽しめる。不平不満どころか「有難い」の一言に尽きる。昭和、平成、令和の御代を生き抜き、正に「御民 ( みたみ ) われ 生ける 験 ( しるし ) あり 天地の栄ゆる時に 遭へらく思へば」の通りである。兄と一緒に食事をとるのであるが、お互い、この年まで生きられるなんてと感謝し、歯が悪くなった、ラケットにボールが当たらない、は年のせいなのだから仕方ない、と慰めあっている。

世界の飢餓人口は8億人を越えていてここ3年増え続けているそうだ。人間の9人に1人は今日一日食べるものがなくて、水を飲んで寝る、盗む、物乞いになるの3択しかない生活を送っている。心痛むことであるが、独裁者とか特権階級が国民を飢餓の状況に追い込んで恬として恥じないという国がいくつもある。この年になると個人の良心とか同情心でものごとが解決するものではないことも分かってきた。今から国連職員になって活躍することはできないし、国連という組織自体もかなり怪しいものだ。常任理事国侵略戦争を始める組織で、更に実効ある制裁もできない。

■四方に向かって感謝
世の中には自分にはどうにもならないことが多すぎる。世の行く末を心配することは、もう若い人に任せて、出来たら人に迷惑をかけずに残り少ない余命を静かに終えたいと願っている。もう生活のために働く必要はない。まだ楽しく元気で働いている同輩は少なくないし、羨ましいと思う。自分も楽しいと思って30年以上、組織の中で過ごしてきた。でも60になって仕事を一切やめたら、それまで毎日飲んできた胃潰瘍の薬が要らなくなった。あれこれ工夫し、人と協働して面白く暮らしてきたはずなのに、体の方は「もう勘弁してくださいよ」とSOS信号を出していたのだろう。

生計をたてる苦労は何もしていないのに、雨風を凌ぐ家に住み、山海の珍味でなくとも口に糊して安楽に暮らしている。パソコンのステレオでバッハやヘンデルの曲を聞くと、こんな贅沢は当時の王侯貴族でもできなかったのでは、と少し幸せな気分になれる。

早く死んだ父親は蓄音機でモノラルのクラシックを聴いていた。でも自分のような満ち足りた気持ちを味わったことはなかったのでは、と可哀そうに思うことがある。祖父母や曽祖父母、更に貧乏士族として何百年にもわたってサラリーマン生活を送った祖先に対して申し訳なく、一人でも欠けたら今の自分が存在していないことを思い、祖先と祖国日本に感謝せざるを得ないのである。