チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

学歴より先にあるもの 

 

 

ワットプラケーオから

ワットプラケーオの蘭

同上

同上

同上

同上、やはり蘭はきれい

 

学歴より先にあるもの 
■タイの学制
タイの学校制度は日本と同じく、6-3-3-4制である。7歳から12歳の子が通う初等教育、13歳から15歳の子が通う前期中等教育、16歳から18歳の子が通う後期中等教育である。それと4年制の大学がある。後期中等教育普通科と職業科に分かれる。初等教育6年(小学校)と前期中等教育3年(中学校)が義務教育となっている。
タイでは、公立校における義務教育および、就学前教育3年(幼稚園)から高校の15年間は無償教育になっている。

上記のタイの学校制度を見てタイも頑張っているな、と思うかもしれない。でも形は似ていても実際は違う。まず無償教育というが、義務教育の9年間でも政府の予算が限られているため、教科書は部分的無償化であり、授業料も必要だ。図書はじめ学校設備にもばらつきがある。給食も無償ではない。また小学校から制服があり、制服が買えない家庭もある。少数山岳民族であるアカ族の家庭では制服が一つしかないため、姉妹が交代で学校に行っているという家庭があった。1週間のうち、曜日によって民族衣装、ボーイスカウトの制服など学校へ来ていく服が変わる。服のない子は登校できない。

9年の義務教育は無償といいながら、父兄の生徒当たり年間支出額は1万バーツ(4万円)に上る。大した金額ではないと思われるかもしれないが東北部や北部、山岳の貧困世帯にはなかなか払えない額だ。タイでは簡単に離婚する。母親は都会に働きに出る。残された子供は教育に関心のない祖父母と同居、家事、介護その他やることがあって学校に行かなくなる。

■学校格差
日本ならどんな田舎に住んでいても小中学校のレベルはどっこいそっこい、先生の学力が都市部に比べ、格段に落ちるということはない。高校だって自分の学力にあった高校に行けるし、ラジオ講座(もう流行らないかもしれないが)で勉強すれば国立大学進学も十分可能だ。

でもタイでは入った小学校によってもう将来が決まると言っても過言ではない。というより、どんな家庭で生まれたかでその人の一生が決まる。常々、タイの竹壁の家に生まれなくてよかったよ、と思う。少々頭がよくても、性格がよくても、貧しい家に生まれればそれっきりだ。家の中にも地域にも本がない。雑誌もない。勉強しても誰も褒めてくれない。生活費もないのだから教育費など出してもらえない。高校に行くなど夢のまた夢だ。

でもまともな義務教育が受けられればまだいい方だ。山の中の学校には教えるのがばからしい、と先生が来ない。毎日自習。タイは階級社会で少数民族、東北部、北部の人間は差別があるのが現実だ。日本だって教師のレベルはあるだろう。でも児童、生徒をあからさまに差別して、ほとんど授業をやらないという教師はいないと思う。家庭環境も学校も先生も劣悪であるから、勉強をするインセンティブがない。小学校でも落第があるから、学校に行くのが嫌になってしまう。仕事を探すが教育がないから低賃金の仕事しかない。生活が苦しい。子供を学校に通わせる余裕がない。こういった悪循環はまだ断ち切れていない。

■学校は出たけれど
チェンライでもあの学校はいい、悪いがはっきりしている。いい学校は授業料の高い学校、悪い学校とは授業料は安いが先生の質も設備も貧弱な学校だ。所得格差イコール教育格差だ。小中学生の子供を持つ邦人は少なくないが、子供は幼稚園から私立に行かせている人が多い。タイで生活するに当たってこんなに教育費がかかるとは思ってもみなかったと嘆いている。日本と同じく、いい高校に行くためには小学校の時から塾に通う必要があるらしい。

少数民族の子供が学資の心配をすることなく教育を受けられる支援プロジェクトは盛んである。小中学校で優秀な結果を収めて、市内の有名高校に進学する子供もいるが、高校の授業についていくには並々ならぬ努力がいると聞く。それはクラスメートが通っていた小中学校のレベルと少数民族の子が通っていた小中学校のレベルが格段に違い、学力の差が歴然としているからだ。高等教育を受けてもタイは階級社会であるから、貧困家庭の子供は普通に就職できない。

いくつかの教育支援団体では高校は職業訓練高に進ませる、要するに手に職をつけさせる援助をしている。自動車修理、看護、それに最近では寿司職人養成学校もできたと聞く。高校、大学を出れば道が開ける、はタイの常識にはない。タイ社会にあった教育支援が求められている所以である。