チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

周りに合わせて暮らす

チェンライの名刹、ワットプラケーオ

本尊のエメラルド仏は開帳されていなかった

他の釈迦牟尼仏

 

蘭の花の寺としても知られる

10種類以上の鉢植えが展示されている

周りに合わせて暮らす

■緊張の毎日

帰国中は忙しいのでブログはしばらく休みます。それで誰も困らないのだが、ずっと続けていることだし生活のリズムの基本でもあるのでブログアップは続けてきた。出発前に原稿を書き溜めて予約投稿しておけばラクだよな、と考えて予備原稿を増やしておいた。通常はデスクトップの大画面のPCで原稿を書く。書いた原稿をラップトップのPCにペーストしたつもりだったが、東京に来ていくつかの原稿が消えていることに気が付いた。確かこんな内容だったよな、と思い出し原稿を書いたり、昔、アップした原稿を再登場させてその場を凌いだ。

東京の兄の家にはカレンダーが一つしかなかった。通常、週の始まりは日曜で土曜に終わる。なぜかというと『日曜日』は“イエス・キリストが復活した日”でその日は仕事をお休みして儀式を行う、『安息日』になるからという。ユダヤ教では『土曜日』が『安息日』で、『日曜日』を週の始まりとしている。日本は米国式の週の始まりは日曜のカレンダーが多い。ところが欧州ではISO基準に従って週の始まりは月曜となっている。

今年4月に兄が帰国した時、どこを探してもカレンダーを販売しているところがなく、やっと見つけたカレンダーは欧州式だった。このカレンダーのせいでブログのアップ日の曜日を間違えたり、原稿アップ予約に混乱を生じた。まあ帰国中は忙しかったので、病院の予約や友人との会食を忘れたり、約束時間に遅れたりするよりはよかった。日本では約束時間を守る、は人間として当たり前のこととされる。遅刻常習犯という言葉があるように遅刻は犯罪を構成すると心の中で思っている人もいる。それだけに帰国中は緊張して過ごした。

 

■ルーズな文化、タイトな文化

カリフォルニア大学の経営学教授、エリケ・シェーデさんに言わせると、日本はタイトな文化、シリコンバレーはルーズな文化だという。タイトな文化では正しい方法が大事にされ、ルーズな文化では予測不可能なことに寛容だという。文化は複雑な概念だから情緒的に解釈されやすいが、専門家チームが世界33か国の国民に対してアンケートを行い、各国民の行動規範を調べた。人々の行動を文化とみなしたのである。

 

具体的には「レストランでイヤフォンを付けていてもいいか」、「エレベータ内で飲食をしてもよいか」、「授業中に大笑いしてもいいか」、「路上で歌を歌ってもいいか」といった質問に構わない、あるいはそれはちょっと、という反応を集積することによって、タイトな、あるいはルーズな文化を推定する。

カリフォルニアの人々はそんなの構わないじゃん、日本は暗黙のルールがあるよ、と否定的な答えが多くなる。シリコンバレーでは激しい競争があるが、豊富かつユニークなアイデアの中から、世界的ベンチャー企業が生まれる。エレベータの中に投資家がいると気づいたらベンチャーはエレベータ・ピッチ(30秒で自分のアイデアを売り込むこと)を始める。即座に出資が決まることもある。日本では会議と稟議で出資に数年はかかる。

 

タイトな文化では社会にルールがあり、人は何をするべきかを心得ている。東京ではごみを5種に分別して出しているが、これができる国は他にはない。地震、台風などの自然災害が起こった時でもどう振舞うべきかを皆心得ている。

ハリケーンカトリーナが米国南部を襲った後、街では略奪・暴行が頻発した。ルーズな社会では極端に走ることが多いという。ルーズな社会、米国では950ドル以下の万引きは犯罪とならないので、従業員の生命と会社の存在を守るため、万引き多発店の閉鎖を進めているスーパーもある。

 

■朱に交われば

日本はすごいと言ったビデオの中に、日本で暮らしたら子供が(いい方へ)変わったというものがある。実は子供ばかりでなく、大人の外人でも日本にきて1週間もすると電車の中で大声を出さなくなる、電話をしながらお辞儀をする人も出てくる。要するに周りを見てそれに合わせようとするからだ。

 

自分も日本では時間を守り、エスカレータでは左側に立ち、ごみ捨て日を気にしていた。でもチェンライに戻って1週間も経つと「ああ、それがどうした、何でもいいじゃん」とルーズな自分になっていることに気づく。時間も相手は気にしないのだからと遅刻も平気。朱に交われば赤くなる。シェーデ教授のいうように文化はトレードオフ(こちらを立てればあちらが立たず)の関係にあって上下優劣があるわけではない。文化などと大上段に構えることなく、まあ周りに合わせておけばいいか、の気持ちだ。

チェンライにいるのだからのんびりと過ごしたい。