旅に出るために
■まずは原稿
原稿の書き溜めが必要な場合、過去にアップした原稿を再録するという安易な方法を取ることが多い。何故書き溜めが必要かというと、長期の旅に出るためである。自分が利用しているヤフーブログでは2週間先までの原稿が予約投稿できる。だから4本の原稿があれば2週間はブログの心配をせずにどこにでも行ける。「旅行中につき休載」で何の不都合もない、と友人は言うが、一度休むと旅行中でなくても平気で休載するようになる。何かと安易に流れやすい性格、自分自身に信用がおけない。継続することに意味があるとは言わないが、せめて母の存命中は週2本のノルマを果たしたいと思う。
弟夫婦が4月に一時帰国し、兄も5月の中旬から1月ほど日本に帰った。ひとりチェンライに蟄居していて特に問題はないのであるが、ブアさんたちにしてみれば自分がいなければご飯の支度や洗濯の手間がかからず、朝寝もできる。それで、どこかお出かけになっては、などと勧める。母の状態も安定しているし、数日なら家を空けても大丈夫だろう。タイは象の鼻のように南北に長い国である。チェンライからプーケットまで1624キロ、直行バスが走っている。24時間かかるらしい。プーケットには十数年前までよく行った。スキューバダイビングの資格を取ったのもその頃。冥途の土産にまた海に潜ってみるか。でも最近プーケットに行ったご夫婦の話だと、物価が高くて一日も早くLSしているチェンマイに戻りたいと思ったとのこと。チェンマイより物価の安いチェンライから行ったら、更にショックを受ける恐れがある。でもお金の心配をしているようでは旅になんか行けない。お金は墓場まで持って行けないのだし。
■ヒマと金はある
季節は良いし、いっそ欧州へ、できたら東欧がいいかもしれない。それとも何年も行っていない台湾に行って故宮博物館を見物するか。それにしてもまずはブログの原稿だ。ウズベキスタンで書いた原稿の再録や冗長なプレー旅行のブログを見て、あ、これは書き溜め原稿だな、と思われた方もおられるだろう。
なんとか2週間分の原稿が準備できた。でも自分より先にニイさんがラオスに里帰りすると言い出した。同居しているお母さんがやはりラオスのほうが気が楽だ、というので実家へ送っていくらしい。外国といってもチェンライからラオスのボケオは半日で行ける距離だし、アセアンだから出入りは簡単とのこと。ニイさんからアセアンの単語を聞くと奇異な感じがするが、まあ川を隔てて陸続きだから東京から神奈川県へ行く感じだろう。それにしても10日か。ブアさん一人でも母の面倒を見ることは可能だし、手伝いが必要であれば、彼女があちこちに声をかけるだろう。かまいませんからどこへでもお出かけ下さい、とブアさんに言われると却って母のことが心配になる。出かけても電話1本ですぐに戻れるところがいい。ということは電話の通じるタイ国内か。
■心配ごと
ワット・プラタート・チョーへーに行った時にも、ランパンのタム・パータイ国立公園の洞窟に行った時にも感じたことがある。それは「5年後はムリ」、だ。寺にたどり着くには階段を登らないといけない。洞窟も職員のお姉さんも途中で休むほどの急階段を登った。テニスで毎日のようにコート内を走っているが、階段の上り下りにはテニスと違う筋肉を使うようだ。足がだるくなる。よろけて大腿骨でも骨折したら、寝たきりから認知症の道を歩むことになる。筋力だけの問題ではない。5月から6月はタイでは暑季から雨季となる。湿度も気温も半端でない。老人が無理をして急階段や山道を上り下りすれば熱中症になり、脱水症状、意識混濁、死なないまでも腎機能、肝機能に重大な機能障害を起こす恐れがある。
■もうトシ
先日、大型スクータ、フォルツァに乗ってタイの最北端、メーサイへ出かけた。出かけるときは晴天だったが、この時期の天気は全くあてにならない。黒雲が見えたな、と思ったら豪雨になった。スコールだから10分ほどすれば太陽が照ってくると思い、上半身だけ雨具を着てスクータを走らせた。雨はさっぱり止まず1時間以上スコールを追いかけるようにチェンライまで戻ることになった。ジーパンがびしょ濡れになりジーパンからTシャツへ水がしみてきて結局、全身ずぶぬれになった。雨中走行はそれなりに爽快であったが、帰宅してブアさんにこっぴどく怒られた。年を考えなさい、年を。
ブアさんに叱られて萎縮したわけではないが、結局1,2泊、近場に出かけるだけになってしまった。原稿を書き溜めるより航空券の手配が先だったかもしれない。
写真はプレーのワットルアン、830年に創建、仏像は寺の宝物殿から。