チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

タイ呆け

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タイ呆け

■何かを得れば何かを失う
帰宅した翌日に、前号の「介護ロングステイ6年9カ月」の原稿を書いた。第一稿を読み返してみるとなにか違和感がある。それは「タイに帰国した」と書いた部分だ。もう7年近くタイに暮らしていて、生活の本拠はもちろんチェンライである。日本滞在中、多忙であったこともあり、1度ならず、早くチェンライに帰ってのんびりしたいな、と思った。だからと言って、「タイに帰国」はおかしいのではないか。そう思ってネットのコトバンクで調べてみると、「帰国とは外国から母国に帰ること」となっていた。だから「タイに帰国」は間違い。すぐに「タイに戻った」と訂正した。

それにしてもタイの生活に馴染んでしまったため、いくらかはタイ化してしまっている部分はある。気分的にはタイに帰国、チェンライに戻ってビールを飲んで、ああ、家が一番、という気分になったのはタイが第二の母国になっているからだろう。

品川の家では洗濯をしなければ脱いだシャツはそのままだし、お皿を洗ってくれる人もいない。ゴミ出しだって、ご近所のチェックがはいる。自分で動き、人目を気にすることによって1日が過ぎていく。その点、チェンライの生活はラクである。チェンライに来た頃は、掃除、洗濯はもちろん、上げ膳、据え膳で炊事の心配もなく、まるで旅館に長逗留しているような居心地の悪さを感じたものだ。女中さんが家事全般をやってくれる、これが当たり前、となるまで数カ月は要した。その時間の経過に伴って、何か日本人らしさを失ってしまったようにも思う


AKB48
日本に帰国して、多くの知人、友人に会った。歓談していて自分は一般日本人と少しずれているな、と自覚することがいくつかあった。例えばAKB48という秋葉原を拠点とする日替わりアイドルグループ。ネットで芸能ニュースは読んでいるが、日本のテレビは全く見ていない。だからAKB48を「エーケービー・ヨンジュウハチ」と言って失笑を買った。タイでは誰も「エーケービー・フォーティエイト」と読むのだと教えてくれないのだから仕方ない。48と聞けば「48歳の抵抗」という石川達三の小説を思い出す年代だ。この小説は山村総主演の映画になった。

杉村春子が妻、娘が若尾文子、それに小悪魔的少女を雪村いずみが演じていた。当時の48歳と言えばそろそろ初老に差し掛かる年代、平凡なサラリーマンが十九歳の少女に魅せられて、現代の倫理と48歳の肉体に抵抗してゆくというロマンスグレーの心理を描くというもの。
この映画については当時も今も、なんだかなあ、という印象しかない。タイでは48歳どころか68歳、78歳の男性でも少女に魅せられて、美と醜の奇妙な対照の中で自らの孤独と敗北を認めざるを得ない人がいる(と思う)。まあ人それぞれで、48歳で肉体の衰えを感じる人も80過ぎてもピンピンで現役という人もいる。だからタイでは48ではなく、「84歳の抵抗」のほうが現実に即しているかもしれない。

こういった話をするから、お前はずれている、タイ化している、と言われる。知的レベルではかなり退化していることは自分でもわかっております。


■ああ、勘違い
赤シャツ党はタクシン元首相派、黄シャツ党は王室擁護の中、上流階層が支持層といったタイ政治の色分けは、タイに暮らす自分としては自明のことである。でも自分にとって常識だからと言って他の人がタイの政情を同じように理解しているとは限らない。北タイの貧乏人はタクシンが好き、都会のインテリ階級はタクシンが嫌い、と言ったら、友人が怪訝な顔をしている。
貧乏な人はタクシーが好きでよく利用するのはわかった、でも都会の人はタクシーが嫌いというからハイヤーに乗るのだろうか?自分の発音が悪いせいもあるのだが、友人は「タクシン」を「タクシー」と理解していたのだ。全く、笑い話であるが、実際に友人と交わした会話である。

兄からよく、「お前の言うことがいつも正しいとは限らないんだぞ」と言われる。政治向きの話だけでなく、変な思い込み、つまり、これは相手が理解しているはず、という前提で書いたり、言ったりしていることにも通じる。

遠慮がちにではあるが「旅の話はどこがどこやら見当がつかず読む気がしない」とか、「政治の話は前提をすっ飛ばしているから分かりにくい」、更に「お前はタイに行って右翼になったのか」といった指摘を友人から受けた。

拙いブログであっても読んで頂く以上は「丁寧な説明」を心掛けないといけない、と痛感した次第である。




写真は深大寺とその周辺