チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ある日本人の死

 

葬儀に先立ってのお斎、供養の一部

同上、女性は見守るだけ

お棺入り冷凍庫

多くの僧侶が読経

火葬の窯

窯に献花する僧侶と尼僧の列

 


ある日本人の死
■ウィアンカロン
チェンライ県とパヤオ県の県境にワット・ウィアンカロンというお寺がある。40年ほど前に今のロンポー(住職)が老師と二人で荒れ果てた寺に現れた。ロンポーは事業家肌で40年の間に小さな寺を巨大な大伽藍、修行道場、博物館を含む大寺院に発展させた。今ではFM放送局を持ち、バンコクからもバスを連ねて参詣の信徒がやってくる。シリントン王女をお迎えしての大伽藍落成式は生憎の豪雨で王女様は来なかった。王女様を迎える群集の中に自分もいたのでよく覚えている。タイにおける寺格は最高位に近い。

女中のブアさんはこの寺で長らく修行していた。更にロンポーの寝たきりのお父さんの面倒を見ていたので、この寺の人は誰もが彼女を知っている。寺には常時、数十人の僧侶がおり、メーチーと呼ばれる尼僧も多く修行している。一般の人も期間を定めてこの寺でおこもりの修行をする。北タイの高野山といった趣きだ。

ブアさんに連れられてこの寺を訪れたのは10年以上前だ。寺にはタンブンを捧げる信徒が引きも切らない。ロンポーは信徒に明るく話しかけ、信徒からの相談に答えていく。ブアさんもいつもロンポーと30分以上話をしている。ロンポーは自分に1週間ほど寺で修業してはどうかと勧めるが、「私は肉や魚が好きなのでジェー(菜食)はダメです」と言っていつも断っていた。

ブアさんのお陰か、自分はロンポーに気に入られて、寺の「メンバー」になった。メンバーの特典は死にそうになったら尼僧が面倒を見てくれて、葬儀一切を寺でやってくれるという、日本の互助会のようなものである。メンバーフィーは10万B、自分とロンポーの共同名義の預金となっていて、いつでも引き出せる。

寺男の邦人
ロンポーからここで働いている日本人がいるよ、と紹介されたのがIさんだ。自分より4歳年上、初めて会った時の彼は60代半ばだったと思う。仕事は掃除、庭木の剪定、潅水などの雑用だ。いつも忙しそうに働いていた。何となく気が合って、寺に行くたびに日本土産のふりかけや缶詰などをタンブンした。あー、これ旨いんだよなーと嬉しそうに受け取ってくれた。

彼は東北の出身、7人兄姉弟の末っ子だという。兄姉はみな亡くなって甥姪がいるが没交渉とのこと、貧しい家で兄姉はみな中卒で働きに出たが、お前は高校を出なさい、と言って姉の一人がキャバレー勤めをして学資を出してくれたそうだ。

いつ、どうしてタイに来たのかは聞かなかった。一時は羽振りが良かったが、事業に失敗し、家を売り、車を売り、バイクも手放し、食べるにも困窮した折、ロンポーから寺で働くよう声が掛かった。

以来、ワット・ウィアンカロン寺男としての生活が始まった。ビザは無く、旅券もロンポーに預けたきりで10年以上になる。でも寺で働いている限り、何も心配はない。死んだら寺で面倒をみてくれるし、と達観していた。週に一度、寺で働く人々のミーティングがあり、そこでロンポーが日本人の掃除した後は違う、と褒めてくれると話していた。雑用であっても真摯に取り組み、それが周りに評価されており、日本人の矜持をもって生きている爽やかな人だった。自分が寺のメンバーになったのもIさんの勧めがあったからと思う。

■葬儀参列
体調を崩していたIさんの訃報を聞いたのは12月の初めだった。片道100キロを飛ばして葬儀に参列した。僧侶が数十人、尼僧が30人以上、関係者を合わせ参列者100人を越える豪華な葬儀だった。ロンポーが導師を務め、読経の前に30分程Iさんの人となりを話した。享年79歳、20年以上寺男として働いた。日本に帰れなかったが本当にいい人だった、聞き取れたことはこのくらい。

彼は旅券もビザもなしで暮らす日本人として知る人ぞ知る有名人だった。10年ほど前、介護ロングステイを取材に来たNHKの記者もIさんを取材している。興味深い人生であるが入管法違反者でもあるわけで、オンエアは憚られたのだろう、放送はなかった。

読経のあと、葬儀場の横にある寺付設の火葬場に棺が運ばれ、そこで荼毘に付された。本来、荼毘にあたってはモラナバット(タイの死亡登録証)や総領事館の同意が必要である。でも総領事館への連絡はしなかったとのこと、享年79歳であるが戸籍上、Iさんは100歳、120歳と生き続けるのだろう。

参列者の中で唯一の邦人であったせいか、葬儀で僧侶への袈裟奉納という大役を仰せつかった。ロンポーから、翌日の骨上げにも参加するようにとの勧めがあったが辞退した。Iさんのために盛大で心のこもった葬儀を営んでくれたロンポーを始め多くの僧侶、尼僧、関係者には日本人として感謝の他はない。