チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

3年ぶりの戦没者慰霊祭

ムーンサーン寺院、展示館前の祭場

僧侶による読経

約30名ほどの参列者

献花

展示館の写真、友好的な関係だったことがわかる

展示館のお知らせ

 

3年ぶりの戦没者慰霊祭

■心優しかった将兵へ追悼と感謝
今年も8月15日がやってきた。この日、チェンマイでは毎年、戦没者慰霊祭が行われてきた。今年は3年ぶりに関係者が集って、チェンマイのムーンサーン寺院、バンガード高校、そしてインパール作戦で勇名を馳せた第18師団の生き残り、藤田松吉氏が独力で建立した慰霊塔の3ヶ所で慰霊祭が開催された。自分はムーンサーン寺院で行われた慰霊祭に参列させてもらった。

チェンライはいいぞ、とかチェンマイってホントにいいですね、とか言いながらタイで安穏に暮らしていけるのは先人の努力、犠牲あってのことだ。つまりインパール作戦に倒れた日本将兵の方々のお陰ともいえる。1年に1回くらい先人に頭を垂れ、ご冥福を祈り、感謝の気持ちを表してもいいのではないかと思っている。

チェンライに住むようになって、日本の兵隊さんと交流のあった人、その子供世代の人などの話を聞いたり、書物で読んだりした。日本の兵隊さんはいい人ばかりだった、と懐かしむ人ばかり。おじいさん一族が雲南から裸足でタイに逃げ込んできた、という中国系タイ人がいる。彼は、子供時代のお父さんが兵隊さんに遊んでもらって楽しかった、という話をしてくれた。そのタイ人もすこぶる付きの親日家である。タイ語のジアップ先生は日本の兵士がタイ女性をレイプしたという話は聞いたことがない、と断言していた。タイは口コミ社会、優しかった日本兵の話は語り継がれてきたのだろう。

ムーンサーン寺院には野戦病院があって、地域住民の病気や怪我を軍医が診てくれたという。また、戦後すぐとは思うが、兵士が住民と一緒に家畜を飼い、野菜作りを手伝っていたそうである。寺院付属の展示館にはタイの娘さん達と和やかに食事をする兵士の写真が残されている。

■政府でなくボランティアが主催
チェンマイ戦没者慰霊祭はボランティアの実行委員会が手弁当で行っている。今の世話役は十数年ほど前に委員会を引き継いだ。それ以前からも慰霊祭が行われていたらしい。ムーンサーン寺院にあった野戦病院で亡くなった将兵は少なくない。荼毘が間に合わずそのまま埋葬された遺体もあったという。戦後、遺族が寺院を訪れるたびに慰霊祭が行われていたが1970年にムーンサーン寺院の境内に遺族団による慰霊碑が建立されてからは例年の行事となったようだ。
慰霊祭の開催のほかに実行委員会では有志が慰霊塔の清掃、慰霊塔周りのタイルの張替え、慰霊塔地区の人々との交流などを行っている、そのご尽力には頭が下がる。

8月15日に戦没者慰霊祭をやっている国は他にもある。日本人は51万人、現地人も100万人亡くなったというフィリピンである。今年はやはり3年ぶりの開催、マニラ郊外の霊園には180名の参加があり、越川駐フィリピン日本大使やフィリピン日本人会会長等が献花をし、戦没者への祈りを捧げた、とある。フィリピンの戦没者慰霊祭は毎年,駐フィリピン日本大使館の主催だ。

チェンマイ戦没者慰霊祭には総領事館からの花輪、それに総領事、筆頭領事の挨拶はあったが大使館からは誰も来ない。主催者が違うから、という理由からかもしれないが、タイの戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、ちと冷たいのではないか。確か3年前にはバンコク日本大使館駐在の一等陸佐が参加していたが、個人的な参列だったのだろうか。

タイ国は、一度は日本に呼応して英米に対し宣戦布告をし、共に戦った仲である。バンコクチェンマイはB29 の空爆を受けており、その犠牲者も併せて慰霊の対象となっている。式では寺院僧侶団の読経があったからタイ人の御霊も安らぐことと思われる。

■同時中継に合わせて
慰霊祭は東京の武道館で行われた全国戦没者追悼式の同時中継と共に行われた。武道館は感染症対策のため、例年の1,2割ほどしか参列者がいない。また国歌斉唱も今年は歌うことは自粛ということで演奏を聴くだけだった。
岸田首相の式辞を聞いた。こんなくだりがある。「未だ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。一日も早くふるさとにお迎えできるよう、国の責務として全力を尽くしてまいります」。

バンガード高校には1万8千柱の、藤田氏の慰霊塔には彼が個人的に集めた800柱の、ムーンサーン寺院周辺にも多数の遺骨があった。インパール作戦での戦死、戦病死者は7万を超えるという。ミャンマーには遺骨収集団が入れない地域もあり、未だ戻らぬ遺骨が多数ある。戦後77年、遺骨は故郷ではなく土に戻ってしまっているのでないか。

 

統計と感染症

チェンマイを囲む堀

同上

同上

ノーヘル、3人乗りはごく普通

流しのタクシー

夜のターペー門

 

統計と感染症

■マスク

タイでは2020年3月以来、非常事態宣言がずっと発令されている。
これまで18回延長されてきた。2022年7月31日までの非常事態宣言は、8月1日から9月30日まで2ヶ月延長されることが官報掲載により正式決定した。これが19回目の延長となる。非常事態宣言といってもすでに、外人観光客の入国はほぼ無条件で認められているし、パブやバーの営業時間制限も無くなっている。6月からは感染者、濃厚接触者を除き、マスクの着用義務が無くなった。それまではマスクをしていないと逮捕される可能性があったらしい。

非常事態宣言は継続発令中ではあるが、日常生活にはほぼ影響がなくなっている。でも市場やスーパーではマスクの着用率はほぼ100%だ。

フェースブックのユーザが行ったマスク着用の有無についての報告にもとづくマスク着用率の各国比較(図録▽マスク着用率の国際比較 (sakura.ne.jp))によると、日本と韓国はマスク着用率が最も高い国にランクされており、デンマーク、オランダ、オーストラリアといった国では着用が遅れ、水準も高くなく、やめるのも早い。今年のデータはないが、現在の欧州各国のマスク着用率はゼロに近いのではないか。

着用義務がなくなったにもかかわらず、タイも日本同様マスク着用の人が多い。セブンイレブンではマスクをしていないと入店を断られる。日本とタイ、どちらが早くマスク着用をやめるのだろうか。

 

■病床数は充分あるはずだが

タイではオミクロンに感染して、病院に行ってもせいぜい熱冷ましの薬が処方されるだけ。外人ならばさらに高額の薬を処方される。別に死ぬわけでもないし、と家に1週間籠っている人が多い。感染者イコール患者ではないから、タイ政府は感染者数を正確には把握していない、いや把握する意思がないというところだろう。

日本はとにかく無料のPCR検査で陽性者(感染者)を見つけることに躍起となっている。陽性でも発症していない人が9割という。熱も咳もないのに自宅待機となる。本当に経済を回そうとしているのだろうか。運悪く発症し、熱が出ても普通の病院では診てもらえない。専門病院に行くために救急車を呼ぶ。そのため救急隊員は休む暇がない。

病床逼迫というが、OECDの病床数データ(図録▽病床数の国際比較 (sakura.ne.jp))によるとOECD諸国の中で、日本は人口千人当たり、世界一のベッド数を誇る。それなのにオミクロン患者は入院先がなく病院をたらいまわしされる。これは一部病院しか患者を受け入れないシステム、つまり、感染症が2類相当になっており、普通の風邪相当の5類となっていないからだ。でも5類相当となると、PCR検査は自己負担、1回2万円かかるという。陽性だろうと陰性だろうと、またワクチンを打っていても発症とは無関係なのだから、無駄な検査をする人がいなくなる。ついでにワクチンもそれほど効果がないならやめとこう、という人も出るだろう。

ワクチンもPCR検査も国費で賄われている。自分の懐が痛まないので気軽に何度でも受ける。自己負担にする方が全体の支出は減るのではないか。

 

■統計は嘘をつく

原稿に詰まると「社会実状データ図録」(社会実情データ図録 Honkawa Data Tribune (sakura.ne.jp))を眺める。金融財政、科学技術、健康、社会保障、人口・高齢化、教育・文化・スポーツなど世の中のあらゆる事柄の統計が出ている。

中には「美男美女自慢の都道府県ランキング」、「下層意識を抱く年代別割合の推移」、「永井荷風の房事回数の年次推移」、「時事トピックス:ワクチン接種が進んでいる国ほど感染者数が拡大する傾向」といったものがある。

ある統計をじっと眺めて、関連するデータ、事象をネット検索すれば誰でも原稿が書けると思う。でも統計がいつも正しいとは限らない。例えば、交通事故死の多い国という統計がある。でも国によっては事故死の定義が違う。事故直後に死亡が確認されたら事故死、病院搬送後3日以内に死亡したならば事故死と数える場合、当然後者の数字が高く出る。それに基本となる数字が集められない国がある。ラオスカンボジア、中国では武漢肺炎感染者の数は不明である。数える役人も意思もない。

明治時代の日本は欧米に比べ、死刑の執行数が多い国だった。開国して欧米の基準に合わせようと日本の役所はこのような数字をきっちりと出したのだろう。でもその当時の米国は誰かが「あの黒人はレイプ犯だ」と叫べば簡単にリンチが行われていた。この死刑は統計には出てこない。

統計はウソをつくと言われるが、感染症の統計もどれだけ正しいかわからない。正しいにしても今、感染者数を発表する意味がわからない。

 

チェンマイ旅行

ターペー門近くの堀

鳩も観光客少な目

夜の城壁

ターペー門、城内を臨む

カフェ

愛想のいい子だったのでフラッシュ撮影してあげた

 

チェンマイ旅行


■チェンライとチェンライ
自分は昨年11月、兄は今年の3月に日本からチェンライに戻ってきた。一緒に暮らしはじめて数カ月になるが、その間二人で旅行に行っていない。昔は腰が軽くて、チェンマイ、スコタイ、メ―ホーソンにドライブ、それにチェンライ県内なら数十キロ車を飛ばして、観光や食事、或いは友人宅を訪ねたものだ。ところが最近は外食に出ることもまれになった。感染症の影響で、無意識のうちに外出を自粛しているのかもしれない。

チェンマイはチェンライから約200キロ、タイ国有数の観光都市であるから、見所もレストランもホテルも充実している。チェンマイはタイの京都、チェンライはタイの奈良と言われる。当たらずとも遠からずだが、両都市の発祥は13世紀末のランナー王朝だから古都と呼ぶには少し違和感がある。

チェンマイ県の人口は180万、チェンライ県は130万と人口でそれほど大きな差があるようには見えない。でもチェンマイは近代的な文化大都市、チェンライは田舎町というイメージがある。チェンマイ日本国総領事館が管轄する北部9県の在留邦人は3000人強で、そのうち3分の2はチェンマイ県在住、日本人補習授業校もある。チェンライ県在住邦人は300人前後ではないか。外人向けレストランも量、質において両県は比較の対象とはならない

母の生きていた頃はちょっとイタ飯を食おうとか、気軽にチェンマイまで車を走らせたものだ。両都市の距離は約200キロ、もちろん泊りがけとなる。
日本に帰国していたし、ここ3年、チェンマイには行っていない。兄も同様だ。休養も兼ねて2泊3日のチェンマイ旅行に行ってみよう。食べたいもの、行きたいところは特にないがチェンマイで買いたいものはある。

■118号からチェンマイ市内へ
道路は主として国道118号を走る。ここ数年、道路工事が続いていて、砂利道の交互通行の箇所があり、いつもより1時間以上余計にかかることがあった。また豪雨で道が流されたり、工事会社が倒産したりといつ開通するのかと案じていたが、自分の日本滞在中に何とか全線開通したようだ。チェンマイ県内の118号線は片側2車線となり、これまでバスやトラックの後ろに付くと、特に登りではイライラさせられたものだが、今はスイスイ追い抜ける。感染症の影響で観光バスや定期バスがまだほとんど走っていないのでドライブはさらに快適となる。ところどころにUターン個所があり、通り過ぎた食堂や国立公園に立ち寄りやすくなった。こうしてみると、中進国の発展ぶりは道路ひとつとっても確実に実感できる。

ホテルは兄がネットで予約したチェンマイ旧市街の4ツ星ホテル、プール、朝食付きで1泊800B、まだ観光客が戻っていないので特別割引価格となっている。プールではファランの娘さんがデッキチェアに横たわっていた。

■ターペー門と城外を歩く
チェンマイ旧市内は東西南北1辺がおよそ1.5キロの城壁に囲まれている。城壁には5つの門があるが、5つの門のなかで唯一、扉のある門がターペー門だ。門の城内側はデモやイベントの集会場となる大きな広場となっている。

ホテルから10分、ターペー門まで歩いてみた。マスク着用者はほとんどいない。家族連れのファランが多い。14,5歳、金髪少女の短パン姿を凝視した。色白で足が長い。ちょっと目が合うと微笑んでくれる娘さんもいる。日本なら女子高生に「キモッ」と睨みつけられても仕方ないが、ここは観光都市、開放的で大変よろしい。

ターペ―門には餌を与えるので数百羽の鳩がいる。鳩が集まったところで、男が盥を叩いて大きな音を出す。すると鳩が吃驚して一斉に飛び立つ。鳩の群舞と共に写真を撮る。これがチェンマイの観光定番となりつつある。ただは鳩の数も観光客の人出も今一つ、門前は大きな広場となっているだけに一抹の淋しさを感じる。

門の木扉はランナー朝のチェンマイ遷都当時、つまり14世紀初めの制作かと思ったら、1985年に古文書をもとに再建されたものという。城壁に沿った道路の向かい側にはレストラン、カフェ、コンビニが立ち並んでいる。道路に面したテーブルには煙草を燻らすファランが座っている。

更に門を背中にして東に歩くと小ホテル、GHが目に付く。左右の小路に入ると一人100B以下で済むようなタイ庶民食堂があちこちにあって、テーブルではファラン一家が食事をしていたりする。欧州は今、夏休み、かなり前からバカンスの計画をたて、計画通り、チェンマイに来たのだろう。散財だけが旅ではない。つましくタイ料理を囲むファラン一家を見ながらそう思った。

マリファナ解禁(2)

隣家の大麻

サンサーイ朝市の大麻、1鉢20B

同上、3鉢なら50B

サンサーイ市場

魚も売っている

女性下着も売っている

 

 

マリファナ解禁(2)

■近所に生えてる
タイではガンジャと呼ばれるマリファナが身近なものになってきた。医療用にマリファナを吸引するとか、大量でなければ栽培、販売、所持が許されている。チェンライの土曜市ではあちこちでマリファナの苗が売られていた。その後、近所のサンサーイ市場に行ってみたら、小型トラックが止まっていて1鉢20B の苗を十数鉢ほど並べていた。

隣家の庭にこんもりした高さ50センチほどの草が生えていた。メバーンのニイさんに確かめるとやはりマリファナだという。スープや野菜炒めに入れると美味しいけれど、数枚以上入れるとラリってしまう、というようなことを言っていた。今年の6月にタイのマリファナは御禁制が解けたのだが、ニイさんはその前に食したことがあるのだろう。

我が家はシンタニというこちらではどちらかというと高級に属する団地にある。先日、家の周りを散歩していたら、うちの裏の家でも数本のマリファナを栽培していた。探して歩くほどのこともないが、団地内でマリファナを栽培している家はかなりあるのではないかと思う。

マリファナは成長の早い植物だ。昔の忍者は毎日、大麻を跳び越す訓練をした。どんどん成長するから跳躍力もそれにつれて付いてくる。タイの走り幅跳びやバレーボール選手が採り入れてもいいトレーニング方法ではないか。

■麻薬としての歴史はない
大麻は日本人にとって大変身近な植物であった。縄文時代から繊維原料、食料として栽培されてきた。綿花が戦国時代に伝わるまでは日本人は大麻から作った麻の衣服を用いていた。大麻は古来から神の宿る神聖な植物であるとして神社の注連縄に用いられたり、大相撲の化粧綱、漁網、蚊帳、和弓の弦、下駄の鼻緒や麻縄、紐、糸など、多くの用途で利用されていた。

日本の大麻マリファナ大麻は種類が違う、日本の大麻には麻薬成分はないと言われているが、そうでもなさそうだ。延宝4年(1676年)刊行された「萬川集海」(忍術書)には、大麻の葉を乾燥させて粉にした「阿呆薬」なるものの記述があり、食事などに混ぜて薄茶3服ほど摂取させると「気が抜けてうつけになる」と書かれているとか。

また緒方洪庵の息子や適塾の塾生が大麻を原料とした喘息煙草の開発、製造、販売を始めた。そして戦前まで、大麻に含まれる薬効成分を抽出した薬が、喘息やアレルギーに効く薬として市販されていた。江戸時代から大麻に麻薬効果があることが知られていながら、どうして欧米のマリファナのような嗜好物とならなかったのかはわからない。

■日本文化の破壊工作
古事記」や「日本書紀」のいずれにも登場する「天の岩屋」のシーンは、日本人なら誰でも知っている。 「須佐之男命の暴虐に怒った、天照大御神が天の岩屋に隠れてしまう。そのため、世界は、暗闇に閉ざされてしまった。困った八百万の神々は、天照大御神に出てきてもらう方法について相談し、天児屋根命が天の岩戸の前で激しく踊った。それを見た八百万の神々は笑い、その笑い声を聞いた天照大御神が岩戸を開けて出てくる」。天児屋根命が踊った時に手にしていた榊には麻で作られた幣が結び付けられていた。

大嘗祭で陛下がお召しになった神聖な神衣、麁服(あらたえ)は大麻で織られたものである。神社の注連縄も神主がお祓いに使う祓串も大麻(正式にはおおぬさという)である。神代の時代から大麻に日本人は親しんできた。

その大麻を禁止したのは誰かというとマッカーサーだ。マッカーサーは社会の害毒と言って大麻を禁止した。サラセンがペルシャイスラム教への改宗を迫った時に、ゾロアスター教では神の使いとされた犬を不浄のものとし、石で撃ち殺すよう命じたことを思い起こさせる。マッカーサーには日本の神々と通じる大麻を麻薬に堕し、蔑む悪意が透けて見える、神道潰しだ、と評論家高山正之氏は言う。ヒロポンメタンフェタミン)は野放しで繊維を取るための大麻は禁止、は確かに底意地の悪さを感じさせる。日本を取り戻そう、は大麻栽培解禁から、というつもりはないが、このようなGHQの日本文化潰しはまだいたるところに存在しているのだろう。

尚、マリファナには痛みの緩和や睡眠導入、食欲増進といった効果がある。不安や精神的なショックを和らげるともいわれ、鎮痛薬や吐き気止め、気管支拡張薬、抗炎症薬として、また最近の研究では新型肺炎への薬効があるという。医療大麻合法国はタイを始め、世界に20数カ国ある。オミクロンが心配なら大麻の吸えるタイに来ては如何でしょう。

 

日タイの感染症対策

近所のサンサーイ市場

一袋20Bの枝豆は美味しかった

ドリアン、キロ100Bは安い

タイ人はドリアンが好き、よく売れる

竹細工

自分で編んだものだろうか

 


日タイの感染症対策


■観光立国のタイ
感染症拡大前の2019年、タイを訪れた外国人観光客は4千万人近くに達していた。観光収入は日本円にして約7兆2千億円、一般的にタイのGDPに占める観光収入の割合は20%(国内含む)と言われている。ここ2年、タイの観光収入は激減した。日本ではGDP がここ20年ほとんど増えていないが、タイでは観光客を誘致すればGDPを前年比10%以上増やすことが可能である。タイ政府が観光客誘致に躍起になっている理由もよくわかる。

今年、2022年1-6月にタイに入国した外国人観光客は約200万人、タイ観光庁は「Visit Thailand Year 2022」キャンペーンを打ち出し、7月から12月の下半期には700万人以上の外国人観光客と、約4兆7238億円の国際観光収入を見込んでいるという。

7月1日から保険付保を条件とするビザ、タイランドパスが廃止され、ワクチン接種者は無条件で、未接種者でも陰性証明があれば、タイ入国が可能となった。チェンライでもちらほらと大きなリュックを背負ったファランを見かける。

だが市内のホテルは軒並み閑古鳥、宿泊料50%引き、60%引きは当たり前だ。今、チェンライ市内のホテルの部屋で原稿を書いている。プール、朝食付きで1泊2400円。2名でも同料金であるが、残念ながら一人。朝食もまずまず、鳥の手羽先、豚肉料理,野菜炒めなど数種類、珈琲、紅茶の他に生ジュースもあった。

光都市、チェンマイとなるとホテルの値引きはチェンライ以上に激しい。こうしてみると観光促進の効果が出るにはもう少し時間がかかりそうだ。

■タイは経済優先
タイ政府は比較的早い時期に感染症対策緩和を打ち出していた。今年3月の最低新規感染者数は1日19,742人、4月は約12,888千人、5月は3,649人、6月は1,714人と減っていて今も新規感染者は2,000人以下となっている。
これならば入国規制緩和は当然だと思われるかもしれない。でもこの公式発表を信じている人はどれくらいいるだろうか。実は自分の周りでは友人、知人が軒並み感染症に罹っている。実をいうと自分も罹った(と思う)。

6月の初め、メバーンのニイさんが具合がわるい、喉が痛いと言っていた。まあ仕事には来ていた。1日ほど休んだかもしれない。その後、1週間ほどして兄が熱はないものの咳、喉の痛みに見舞われた。感染症に罹った友人に聞くと、まさに同じ症状、いわゆるBA-5型に間違いないという。兄に続いて自分も喉がおかしくなった。声がかすれる。症状は全く同じだ。体調に変化はないので、朝のテニス並びにトーナメント観戦には出かけていたが、マスクを常時着用、選手には近づかなかった。

日本人会でもかなりの会員、家族がBA-5に感染したようだ。体感ベースでは周りの人の50%から60%が感染したと思う。タイの人口は日本の半分弱だから、1日10万人以上の新規感染者がいたとしてもおかしくはない。病院に行ってもワザとPCR検査はせず、高額の薬を処方するだけだったという。それでも死んだ人、重体に陥った人の話は聞かなかった。
まあ死ぬ人も少ないし、とタイ政府が観光開国のために感染者数を操作したとしか思えない。

■ワクチンは効くのか
日本では4回目のワクチン接種が勧告されている。一方ではワクチンは危険、接種しない、という人もいる。自分も気がすすまなかったが、タイに戻るためにやむを得ず2回接種した。あの頃は未接種で亡くなった人の数も発表されていて、接種しないと死ぬぞと脅されているような気がした。ワクチンの効果は絶大と言われていたが、自分は立派に感染した。何のためのワクチンか。

いや、ワクチンを接種していたから軽く済んだのですよ、という人もいるかもしれない。「奥さま、お顔のシワがそれくらいで済んでいるのは、この高級クリームの効果でございますよ」という美容部員の営業トークとあまり変わらない。感染した場合、接種済みの人は軽くて、未接種の人は重篤になるというデータはあるのだろうか。

1回感染すると中和抗体ができる。ワクチン1回分の効果があるという。但し、この中和抗体の効果は弱く、また感染する可能性もある。感染症に罹る確率が接種回数と関係がないのであればあまりワクチンもあまり意味がない。ワクチンに国は何兆円支払ったのか。
日本ではPCR検査時に呉れる500円のクーポン券目当てに10回も検査している人がいる。陽性でも9割の人は無症状だし、死亡者は少ないのだから、無駄な検査をやめて、早くタイのように外人観光客を無条件で受け入るべきだ、また無症状陽性者、濃厚接触者の自宅待機を廃止し、風邪と同じく具合が悪くなった人だけが自費で病院に行くことにすればいい。国の金とはいえ、お金を無駄遣いしてはいけない。

 

マリファナ解禁

大麻の苗、一鉢25B

土曜市、タケノコを売っている

生ジュース

珍しいのでファランを撮影

土曜市、テントのない店もある

タイシルクか



マリファナ解禁


■自由に買える
チェンライ名物土曜市(サタデーマーケット)に行った。チェンライ時計堂から100mほど南にあるタナーライ通り、いつもは車で混雑しているが土曜の夕方から通行止めになり、屋台や露店が1キロ以上並ぶ。大型縁日といったところだ。売っているものは通常のナイトマーケットと同じという人もいるが、タイ人やファランの間を通り抜けながら、これぞタイ、といった衣服、民具、果物、おつまみを探し、時には購入する。日本の寿司が人気で握りを売る屋台がある。1貫10Bくらいか。あるガイドブックには食べると必ずお腹を壊す、と書いてある。でも複数の屋台が出店しているし、結構、売れているところを見ると衛生的には問題ないのだろう。自分は日本に人一倍郷愁を感じる人間であるが、まだ屋台の寿司を食べたことはない。

さて、これまでマーケットで見たことのないある植物が販売されるようになった。これぞタイ、の一つになるだろう。それはマリファナだ。タイではガンジャという。これまでマリファナは麻薬指定を受けていて、刑務所にはマリファナがらみの受刑者が何千人も収監されていた。
もう多くの人がご存じのように、タイでは 2022年6月9日より大麻マリファナが解禁され、生産、輸入、輸出、販売、消費、所持が合法化された。マリファナで収監されていた受刑者4100人も釈放されるという。また当局に大麻の栽培の許可申請をした人が15万人にのぼった、とバンコク・ポスト紙6月11日付が伝えている。

医療目的で栽培することは許されるが、嗜好目的はダメ、人が集まる場所での吸引はダメ(家での吸引はOK)とか、当局の発表を読んでも判然としない。
土曜市では数ヵ所の露店で大麻の鉢植えが売られていた。葉がよく茂った大きな鉢は200B、10センチほどの苗は25Bだ。結構売れていた。商業目的でなければ家の庭で栽培していいらしい。

■身近な麻薬
タイの麻薬は日本のそれとは大違い、最近もバンコク覚醒剤の錠剤2万3365キロ、粉末1万4482キロ、ヘロイン738キロなど40トンの押収薬物を焼却したという記事があった。チェンライではミャンマーラオスから入ってくる麻薬の摘発で時折、警察と麻薬犯との銃撃戦がある。概ねトラック1台分の覚醒剤が押収される。タイの貧乏人が一攫千金を実現できるのは宝籤に当たるか麻薬ビジネスに加わるかしかない。

ラオスミャンマーの農民にとって阿片や大麻は、米や玉蜀黍などの穀物よりはるかに有利な換金作物だ。数年前、ラオスのある村でマリファナは要らないか、としつこく勧められたことがある。韓国の若者に人気のラオスのある街では、イタ飯店でマリファナ入りピザが供される。その名もハッピーピザ、食べると幸せな気分になるらしい。

タイでもアンダマン海沿いのある島ではファランが集まってパーティを開いていた。怪しいGHに泊まったが、そこのメインフロアでは車座になった男たちが大きなパイプを廻しのみしていた。このGHのオーナーは島の警察署長だと聞いたが、庭には大麻が茂っていた。
これも数年前になるが、胃ガンで余命いくばくもないタイ人がマリファナを吸うと食欲が戻ると言って死ぬまで吸引していた。今ならこの用法は適法となる。

■注意喚起
御禁制の麻薬は、マリファナを含め、比較的身近にあって「おひとつ、如何?」と言われたことは一度ならずある。でも君子危うきに近寄らず、それにお縄になったら友人はすべて「元友人」になってしまう。

以下は駐タイ日本大使館からの注意喚起。

1.    タイでは、大麻に関する規制緩和が進められており、大麻を含む飲食物や化粧品等が広く流通しているほか、本年6月9日には、大麻が規制薬物のリストから除外され、家庭栽培が解禁されるなどしております。しかし、タイにおいても、解禁されたのは医療等を目的とする使用や栽培であり、引き続き娯楽目的での使用は認められておらず、公共の場で大麻を吸引することなども禁止されています。

2.    日本では大麻取締法に基づき大麻の所持等が禁止されており、日本に大麻を持ち込もうとした場合等には同法による処罰の対象となります。また、国外において大麻をみだりに、栽培したり、所持したり、譲り受けたり、譲り渡したりした場合などに罰する規定があり、罪に問われる場合があります。

3.    日本及びタイの法令を遵守の上、トラブルに巻き込まれたり、御自身の健康を損ねたりすることがないよう、安易に大麻に手を出さないように御注意ください。(引用終り)

いずれにせよ自己責任、マリファナは酒より習慣性、毒性が低いと聞いているが・・・。

夏休みの宿題

こういう田植え風景は少なくなった

田植え後

日本の田んぼとは何か違う

今盛りのラムヤイ竜眼

チェンライの市場

同上

 

 

夏休みの宿題

 

■夏休み真っ盛り

7月も下旬、日本の学校は夏休みに入っている。感染症は過去最高と言われるが、人心は一応の落ち着きを見せ、人流も3年ぶりに解禁された。お盆もあるし、親子で帰省、海、山など家族旅行を計画している家庭も多いだろう。国内はもとより、海外にも足を延ばして日頃できない経験を、という積極的な高校生、大学生も少なくないのではないだろうか。

タイの学制は日本と同じく6・3・3・4制であるが、2学期制をとっていて、5月から新学期(第一学期)が始まる。タイの夏休みは3月から5月にかけて1月半ほど。気温が40度ともなる暑季で、いくらタイの子供でも勉強などできない。新学期、新学年が始まる前だから夏休みの宿題はない。夏休みの宿題がない、これは日本の小中学生にとっては羨ましいことではないだろうか。昔に比べ、夏休みの宿題は少なくなったと言われているが、さあ、休みだ、遊べるぞ、という解放感の前に立ちふさがるのが夏休みの宿題である、という現実は50年前とそれほど変わらないのではないか。

宿題帳の名称は皮肉なことに「夏休みの友」だったと思う。何が「友」なものか。小中学生だった頃の自分は、やらないといけないことはやる、と思う程度の誠実さと小心さを持ち合わせていた。7月21日から朝のラジオ体操が終わると、ちゃぶ台の前に正座して宿題帳やプリントをやり始める。午後も頑張る。そしていつも7月末には宿題の90%を終えていた。これで8月はのんびりできる。残った10%は何かというと算数だった。でもほぼやり終えたという安堵感は子供心にも嬉しかった。

 

■徳政令下る

夏休みの宿題を全くやらないで済んだ年が小学校2年と5年の2回あった。8月に引っ越しをしたからである。親の勤めの都合ではあるが、新しい小学校に行くのだから前の学校で渡された宿題帳などやる義理はない。晴れ晴れとして子供心にも嬉しかった。借金棒引きの徳政令の恩恵に与ったようなものだ。その後、社会人になって、仕事が行き詰まってきた時など、あんな徳政令みたいなことが起こらないものかなあ、と夢想したものだ。

現実それほど甘くはなかったが、夜逃げなど世間に不義理な行為を働くことなく、現在に至っている。それに世の中、思いもよらない幸運が訪れることもある、と夢想できるのであれば、鬱病にかかる心配はないように思う。

日本では夏休みの宿題が親子の悩みであるが、タイに限らず、夏休みの宿題のない国には英、米、露、仏、独、蘭、豪州、カナダ、フィンランドインドネシアなどがある。こうなると宿題が出る日本、中国、韓国などは少数派ということになるらしい。宿題があるから日中韓の子供が、学力が高いとか、発想力が卓越しているということはないと思うし、そう言ったデータもない。

宿題よりも親子で日頃できないことを達成する、家族で知らない世界を経験する、そのほうがちゃぶ台の前でシコシコとドリルや同じ漢字を書き続けるよりもずっと情操の面でも優れているような気がする。ネットでも家族で楽しむ体験的夏休みの過ごし方、といった記事が散見される。

 

■教育とは?に立ち返る

こうしてみると、教育とは学力のように点数で測れるものだけに限られるものではないということに気付く。学校で学ぶものあれば祖父母、両親、近所の人々から学ぶものもある。自然から、異文化から、食物や乗り物、動物、植物、何からでも学ぶことはできる。子供は海綿が水を吸うように目にする。聞く、味わう、あらゆる経験から知識や教訓を学んでいくのだろう。

小学生の夏休み、8月は何していたんだろう、と思う。今、異国の片隅に住まいして、何かやることはあるか、と問われれば、ウーン…と口ごもってしまう。ごろりとベッドに横になり、ぼんやりと来し方、行く末などを考えるが、考えることに疲れてウトウトしてしまう。ああ、小学生の夏休み、8月はこういう感じで日を過ごしていたのでは、と思い当たる。朝のラジオ体操が今のテニスに変わったくらいか。半世紀以上経っても生活は小学生の時と同じで進歩がないのかも。

でも決して後悔の念は起こらない。宿題をしないでいい夏休みが2回もあった。そんなことだって今となっては幸せを呼び起こす記憶である。子供の時から勉強しても役にたつ体験をしても、古希を過ぎれば人生ちょぼちょぼ・・などと呟いてしまう。

明日の命さえ知れない国や国民がいることを思うと、不謹慎ながら今の生活は宿題をやり終えた小学生程度には幸せである。