チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

書き溜め原稿

 

近所のサンサーイ朝市

朝9時には店は閉店する

サンダルは市内より安い。店が出るのは日曜だけ

市場内だけでなく道路にも臨時の店が出る

手前は下着

 

書き溜め原稿


■変化のない生活
人間の暮しというものは変化そのものである。むしろ今と同じ状況を続かせるということの方が困難だ。ITFのテニストーナメントが初めてチェンライで開かれ、自分の暮しは一変した。プロの美しいプレーをまじかに観られるという僥倖はそうあるものではない。怠惰な自分としては珍しく、テニスコートに日参、観戦並びに写真撮影に勤しんだ。毎日がお祭り、縁日の屋台を巡り歩くような昂揚感があったが、物事には終りが来る。決勝が終わって選手はコートから姿を消した。
7月に入って暮しは変化したかというとこれまでの暮しの平均を漫然と続けているように思う。朝テニスに行って、帰宅してシャワー、時折、温泉に行って、週に1度タイマッサージを受け、買い物、そしてたまには外食、あとはPCの前に座って、よしなしごとで時間を過ごす。
ここ10年以上、週2回書き続けているブログの原稿書きが「今と同じ状況」という感覚のベースになっているのかもしれない。ブログはアップした日、またはその翌日には次の原稿を張り付けておく。ポスティングというらしい。ポスティングを済ませると予備は2本しかない。だからアップしたらすぐに新しい原稿に取り掛かる。

5月にランパーン、ランプーン2泊3日の旅行に出かけた。GHではチェックアウトの12時まで部屋にいた。涼しいからである。部屋にいてもすることがない。よって原稿を2本書いた。その後、旅から戻っても通常通り週2本の原稿を書いているので、今、ポスティング待ちの原稿が4本ある。はてなブログは2週間先までポスティングが可能だ。だから2週間の長期旅行に出ても原稿が枯渇することはない。枯渇したからなんなんだ、とも思うが、夏休みのラジオ体操みたいなもので、休まないことに意味を見いだしているように思う。書き溜め原稿があるのだから、旅行に行けばいいのではと思うし、予定はあったのに出かけていない。1泊だけチェンライ市内の朝食付きホテルに泊まって、何度も熱いバスに漬かったが、ゲンナリするほどの疲労感を感じただけであった。あー、家が一番、そんならはじめから家に居ろ、というものだ。

ホテルでは安倍元総理の暗殺直後だったから英語ニュースを見続けた。1番のニュースはスリランカの政変、2番目が安倍さんの銃撃事件だった。

国葬に思う
安倍元総理の国葬は当然のことと思う。安倍総理の首相在任期間は自分の異国での生活時期と重なっている。安倍さんは「安倍個人が評価されたのではなく日本が評価されたのです」と語っていた。でも台頭する中国を念頭に、自由と民主主義に基づく国際秩序の維持を目的とした「自由で開かれたインド太平洋」構想を提唱し、日本の国際社会での評価と存在感を高めてくれたのはひとえに安倍さんの業績だと思う。

税金で国葬をするのはけしからん、と言ってきた日本の友人がいる。法律に国葬の規定がないからいけないという。でも世の中何でも法律で決まっているのか。会社で運動会をやる、親戚集まって法事を執り行う、友人が教授になったのでみんな集まってお祝いの宴を開く、これらは法律で決まっていないから俺は参加しないと言ったらどうなるか。法律の前に常識、慣例、付き合いといったものがある。橋下徹大阪市長も規定がないから国葬に反対と言っていた。司法試験に受かった人には時折、こういった法律万能主義の人がいる。得てしてこういう人は法に違反しないのならとんでもなく非常識なことをしでかす。

法律があろうとなかろうと、多くの人が、それも世界のリーダーが弔意を示しているのであれば、その弔意を表して頂くに相応しい、それも世界の常識に照らして妥当な場を用意する、これが日本のリーダーの取るべき道だ。その意味で岸田首相の国葬で安倍元総理を送るという判断は適切なものであったと言える。

常識、慣例と書いたが、日本政府はロシアに国葬への招待状を送付しておきながら、プーチン大統領の入国は認めない方針だという(7月22日時点)。日本には「村八分」という慣例があった。これは葬儀と火事の2つ、つまり2分の時は縁切り状態を棚上げするということだ。警備の都合というが、プーチン大統領の安倍元総理の国葬参列拒否はこの日本の慣習に悖るものではないか。昭恵夫人とご母堂に宛てたプーチン氏の弔電を思うにつけ、政府の決定を残念に思う。

(本稿のように書いたら早めにアップすべき、という原稿が出てくる。ニュース性のない書き溜め原稿の中には2年以上塩漬けのものもある。世の変化を追っているうちに一生お蔵入りとなるかもしれない)

 

雨季でもテニス

何処を狙うか。上田らむ選手

サーブでジャンプ

休憩中

雨で中断

シングルス優勝

準優勝のタイ、ナクロ選手と


雨季でもテニス


■色白に戻るか
鏡を見てビックリした。顔が日焼けして真っ黒だ。ただ黒いだけでなく黒光りしている。尋常ではない黒さだ。これは4月、6月とチェンライでITFの国際テニス・トーナメントが開かれていて、毎日テニス観戦に出かけていたからだ。

紫外線は太陽光とはそれほど関係がない。快晴に比べ、薄曇りでは8割から9割、曇りでも6割の紫外線量が肌に突き刺さる。また雲間から太陽が照り付けるときは、雲による散乱光により、皮膚に到達する紫外線量は快晴時よりも多いという。朝のテニスと合わせ、1日数時間は屋外にいたのだから、牛蒡の如く黒くなったのは仕方がない。 

タイ人は日焼けをとても嫌う。タイ人の色白肌への憧れは半端ではない。テレビの化粧品CMに出てくる女性はもちろん、ドラマに出てくる美男、美女は鈴木その子も吃驚するほどの白塗りだ。偶に色黒の俳優が出てくるが押しなべて悪役となっている。日本人がタイでもてる理由の一つは肌の色が白いことである。自分もメードさんに色が白くて羨ましいと言われたことがある。

以前は腕カバーをし、アラファト・スタイルと揶揄されながらも後頭部に日本手拭いを垂らしてテニスをしていた。日焼けは肌を老化させると聞いての防護策であった。でも面倒だし、肌よりも体のほうが先に老化している気がして今は何もしていない。トーナメントが終わって、屋外で過ごす時間が激減したので、これから普通の黒さに戻っていくのではないか。

■スコールで中断、女子シングルス決勝
7月に入って雨の日が多くなった。1日中降ることはあまりないのだが、明け方に降雨があるとテニスコートに水が溜まり、テニスはできない。3日連続でテニスを断念したこともある。チェンライの平均降雨量は7月は311㎜、8月は358㎜となっている。東京の6月の平均降雨量167㎜に比べるとかなりの雨量である。チェンライの田植えは7、8月がピーク、天水に頼る山岳では玉蜀黍の種まきが始まる。

トーナメントが行われた6月も雨季だった。チェンライ6月の平均降雨量は178㎜と東京の6月より多いのであるが、一過性のスコールが主体なので一部、順延、中断はあったもののなんとか無事に全日程を終えた。

6月のトーナメントの最終日、女子シングルスの決勝があった。上田らむ選手が勝ち進んでいたので応援に行った。相手はタイのタサポーン・ナクロ、2-6,6-2となって最終セット4-4となったところでスコールで試合は中断。実は、この日は雨が降らないと思ってスクータでコートに来ていた。タイ人はみな帰ってしまって観客席に残ったのはナクロ選手のコーチと自分だけ。

雨が上がり、近くの食堂で昼食を済ませてコートに戻ってみると、両選手が試合再開前のウォーミングアップを行っていた。二人の観客の前で試合再開、最終第3セット、上田選手が4-4から5-4とリードし、一時はマッチポイントを握ったのであるが、逆転されてしまう。結局、最終セットは6-6となり、タイブレークの戦いに移る。これもポイントを取ったり取られたりとハラハラさせられたが、なんとか凌いで7-6で最終セットを制し、彼女としては初のITFシングルス優勝を掴んだ。水入りの接戦で大興奮の試合であった。

■テニスボールの寄付
トーナメントが終わり、9面のコートは我がへぼテニス仲間の貸し切り状態となった。10時までは木陰となる絶好のコンディションのコートを使用。4人以上来てもコートはいくつもあるから待つ必要がない。日本の女子プロに日中、コートは無人となると言ったら驚いていた。彼女たちが更に感心したのは、10年以上ずっとテニスをしているのに、管理料、維持費などのお金を取られたことは一切ない、ということだった。

トーナメントが終わって嬉しいことがあった。大会関係者が我々、朝テニスグループに、トーナメントで使用したテニスボール、3個入りの缶を2ダース寄付してくれたのだ。
トーナメントでは7もしくは9ゲーム毎に新ボールに交換される。試合に使用したと言ってもほぼ新品だ。これでDUNLOPの字が消えた、毛の生えていないミジメなボールを使う必要がない。選手の練習球は、結構、コートに隣接する草地に落ちていて、仲間のロバートやジョンが拾い集めていた。そんな球でも新品、よく弾むと喜んで使っていた。

テニスはタイにおいてはまだ、金持ちのスポーツだ。これまで使っていたボールの状態を見れば我々の生活水準がわかろう、というものだ。だから我々テニス仲間一同、72個のテニスボールを寄付してもらい、裕福な気持ちを味わっている。

あなた、何処から来たの?

タイ、ディエラビーペン選手

タイ、ブンニン選手

タイ、リシピー選手、多分ハーフ

タイ、ブーンヤワット選手、多分10代

おなじみ、サラちゃん16歳

 

 

あなた、何処から来たの?


■日本人はすぐわかる
日本には、山岳民族援助のNPOで実習をすると単位を呉れる大学もあるらしいし、またゼミ旅行の一部として山岳民族との交流なども行われている。子供たちと食事会でもするのだろうか、日本の学生さんたちがスーパーでコーラをワンカートンとか大量のお菓子を買い集めている姿を見ることがあった。ああ、あれも買わないと、などと日本語で話しているので日本人と分かるのであるが、無言で歩いているだけでも分かる。全体の雰囲気が日本人、と言ってしまえばそれまでだが、服装、身のこなし、目の動かし方がタイ人や中国人と違う。

タイ語のジアップ先生は日本女性の真似をするのがうまい。膝を曲げたまま、小首をかしげてひょこひょこ歩く。初めて見た時は天才芸と大笑いしたものだ。
長くタイに駐在していたご夫婦はどこでも日本人とみられていたが、お子さんはタイ人扱いされていたという。タイの子供たちと一緒だったせいか、身のこなしがタイ風になっていたからとのこと。

博物館や国立公園などの入場料は外人とタイ人で別料金だから、見た目タイ人はトクをする。日焼けして肌はタイ人並みだが、タイ人に間違われたことはまだない。だからいつも外人料金、こういったセコイことを考えているのだが、タイ人から見るとやはりお金持ち(日本人)に見えるのだろうか。

■邦人観光客の特徴
いかにも旅行中の日本人という雰囲気だと、詐欺やスリにあう確率が高くなる。ネットで日本人観光客の特徴7つという記事があった。旅先で被害にあわないためにも気を付けたい項目が並んでいる。


1.やたらおしゃれ
こぎれいなブランド品を着ている女性は目立って、スリの対象になりやすい

2.キョロキョロしている
これが観光客と在住邦人との違い。

3.カメラか地図を持っている
今は携帯が主だと思うが、携帯やカメラを手から離さない。欧州やアメリカ人観光客はカメラなどをすぐにカバンの中にしまう。防犯意識の違いがこんなところに表れている。

4.しっかりメイク
日本人は他のアジア人女性に比べてしっかりと化粧をする傾向にあるという。つけまつげや目の周りが黒いメイクは日本人女性の特徴で、現地に住む人はだんだんと現地人化するので化粧が薄くなるという。

5.愛想がいい
何かを注文するときに愛想笑いをするなど、やたらと愛想のいいアジア人がいたら日本人観光客だ。そもそも欧米人には愛想笑いという習慣そのものがない。

6. 現金払い
今はカードが主流だが、財布の中にやたらとキャッシュが入っている観光客はまだ多い。

7. コミュニケーションしない
店員やウェイターとちょこっと会話する、は外人にとっては普通で、何も話さないと感じが悪いと思われるらしい。話せないのだから、はわかるが、ハロー、こんにちは、くらいは言った方がいいみたいだ。

上の7項目とは反対、つまり単独行動、現地人同様の目立たぬ服装やお化粧、前をしっかり見てスタスタ歩く、バッグや身の回りの品にいつも注意、このような態度で旅をすればあまり日本人とみられずに済むかもしれない。

■ナニ人に見られるか
欧米人にとっては中国、韓国、日本の区別がつかない。旅行者の多い国に合わせて、取りあえず「ニーハオ」、それでダメなら「アンニョンハセヨ」。初めからこんにちは、だと中韓の人は怒りだすから、と聞いたこともある。ミャンマーでは概ね、「ニーハオ」と言われていたなあ。

半世紀以上前、スペインで「あなたは英国人ですか」と聞かれたことがある。メリメの小説、カルメンに出てくる山間の村だった。「いえ、日本人ですが、どうして私を英国人と思ったのですか」と訊ねると、彼は「この村には英国人しか来たことがないからです」。

時代は下がって、プーケット近辺にある小島の砂浜で寛いでいた。隣にはブルック・シールズによく似た若い女性が日光浴をしていたので、サングラス越しに目の保養をしていた。そこへ数人の台湾の女の子が現れて、ブルック・シールズに一緒に写真をとりましょうと彼女の周りに群がった。写真を撮り終えると何処から来たの? オーストラリアよ。

一団は自分の周りに来た。一緒に写真を撮らしてもらっていいですか。オブ・コース。写真を撮り終えると、何処から来たの? トーキョー、ジャパン。彼女たちの表情が凍り付いた。「ニホンジン?」、サングラスを外してイエス、と言っている間に、一団はさっと消えてしまった。あの時、彼女たちは自分をナニ人と思っていたのだろうか、いまでも気になる。

 

暗殺を喜ぶ勢力

 

 

 

チェンライ、土曜市

数ヵ所で大麻の苗が売られていた。一鉢25Bから

盛りのラムヤイ竜眼)はキロ25B

ノイナー(釈迦頭)はキロ50B

ファランもちらほら

シャツは2枚で100B



暗殺を喜ぶ勢力


■暗殺
安倍さんが暗殺された。多くの政治家、評論家、編集者が涙ながらに安倍さんの死を悼んでいる。素晴らしい人を失ってしまい、異国の片隅に生きる自分も喪失感でブログを書く元気が出ない。

敢えて、安倍さんの死去ではなく暗殺と書いた。暗殺とは政治的に影響力をもつ人間を、政治的、思想的立場の相違に基づく動機によって、非合法的かつ秘密裏に殺害すること(言葉バンク)であるから、安倍さんは暗殺されたことに間違いはない。自分の知る限り、「暗殺」と書いたのは産経、7月9日付、櫻井よしこさんの、安倍元首相追悼、「日本取り戻す」受け継ごう、のコラムだけだったと思う。
英語のニュースも安倍さんの死を伝えていたが、おしなべてassassination、assassinate(暗殺)と伝えていた。

暗殺となると、犯人の背景には大掛かりな組織が関係している、そう推測するのが普通だ。自分は第一報を聞いたとき、憲法改正、防衛増強に反対する勢力の手によって安倍元総理は暗殺されたのではないかと思った。

戦前、2.26事件、5.15事件のあと、政治家は軍部の暴走を抑えることができなくなった。犬養毅高橋是清のようにやられるかもと政治家がビビッてなにも言わなくなったのだ。憲法改正、防衛費増額を口にすると、安倍元首相と同じ目にあうぞ、ある組織が無言の脅しをかける。改憲派はこれでひるんでしまうのではないか。岸田首相は安倍元総理のやり残した改憲を実行する、と明言したが、有言不実行と言われている首相のことだから、他の人の意見を聞いてグズグズになってしまうのではないかと心配している。

反日、反アベ勢力
山上容疑者は20代の一時期、海上自衛隊に勤務していたことから元海自の枕詞で呼ばれている。自衛隊を退官後に就いた職業、例えば会社員、運送業、コンビニ店員、そう呼ぶのが普通で殊更、元海自と呼ぶのは自衛隊を貶めたい意図があるのではないか。どんな仕事に就き、どのような交友関係があったのか、本当に背後関係はないのか、これからの調べによってわかると思うが、いまのところ何故、あのような行動に出たのかよくわからない。もしかすると闇の組織が彼を使嗾して犯行に及ばせたのかもしれない。ケネディの暗殺者、オズワルドのように口封じされないことを願っている。

山上容疑者は母親が統一教会の信者でその関係で安倍元首相に恨みを持ったという。首をかしげたくなるような薄弱な動機だ。それともリベラルがいつも口にしていた「安倍政治を許すな」、「安倍独裁を終わらせよう」が心に沁みついていたのだろうか。岸田政権になって安倍元総理の発言、活動は一層活発になっていた。台湾有事は日本有事、日米同盟の有事、と発言された時は、いよいよ日米台の軍事同盟締結か、と気が引き締まったものだ。いざとなったら岸田さんのあとを、と期待していた向きも多かったと思う。

日本国中、安倍さんを悼む人ばかりかというとそうでもない。作家の百田尚樹さんのブログには多くの若者が安倍さんを悼むコメントを寄せたが、その親の世代、70代、80代の年寄りは「やっとアベが死んだか、悪いことをやってきた報いだ」といっているそうだ。我が親ながら情けない、子供が「安倍さんが何悪いことをしたの」と聞くと「知らんけどテレビや新聞が安倍は悪いと言ってた、テレビや新聞が嘘つくはずはない」。

今回の参議院選挙でも70,80歳代の老人は自民不支持で、かつ立民始め野党に投票した割合が他の年代に比べて高かった。この熟年世代は朝日新聞の購読者層と重なる。情弱と呼ばれ、新聞、地上波以外に情報源を持っていない。

■マスコミが殺した
百田尚樹さんはマスコミが安倍さんを殺したと言っている。モリカケ、サクラで疑惑をでっちあげて、説明が足りないと安倍さんを責めたてた。それを素直に信じてアベは悪い奴だと思い込む人々もいた。その中の一人が山上容疑者だったのではないか。

「アベの葬式はウチで出す」と言っていた新聞は「モリカケの疑惑も明らかにせず亡くなった」と書いた。この新聞を含め、NHKその他マスコミは、媚中、親韓、反日で、そして反安倍だった。マスコミには中韓の息が掛かっていると言ってもいい。意識しているかしていないかは別にして中韓の批判はせず、彼らの意見を垂れ流してきた。マスコミは中韓の別動隊だ。その別動隊の発表を鵜呑みにして、山上容疑者が犯行に及んだのだとしたら、中韓の策謀は大成功だったと言える。

安倍元総理暗殺の裏にはやはり大きな闇があるような気がしている。

 

 

安倍元首相、凶弾に倒れる

選挙に勝って会心の笑み

この二人の再登場を期待していた

誰にも笑顔

気さくな人柄

おにぎりを食べる

ネットからお借りした写真ばかりです

 

安倍元首相、凶弾に倒れる

■自分の海外生活と重なる
安倍晋三元首相が、参院選で応援に訪れていた奈良市内の路上で銃撃された。病院に緊急搬送され懸命の治療を受けたが、死亡が確認された。心からご冥福をお祈りしたい。

ネットの時代だから、お手伝いのニイさんが2階に上がってきて日本の政治家が殺されたそうよ、と報告してくれた。その時、安倍さんは奈良県立病院に運ばれて懸命の救命措置が施されていた。一報を知った時、拳銃は撃った時の反動があってそれほど命中するものではないし、今の医療ならば回復もありうると思っていた。訃報を聞いて本当に悔しい思いがした。

安倍さんが第一次安倍内閣を組閣したのは2006年、そして2007年7月の参議院選挙に敗北し、体調不良もあって退陣した。この期間は自分がウズベクで暮らしていた時期と重なる。更に2012年に奇跡の復活を遂げ、第2次安倍内閣が発足する。そして2020年8月にまたもや潰瘍性大腸炎の悪化のために首相を辞任する。この第二次安倍政権の時代はチェンライでの介護ロングステイ時代と重なる。海外から安倍政治、日本政治を見てきた。

短かったが第一次安倍内閣の1年間で、教育基本法の改正、防衛庁の省への昇格、憲法改正を可能にする国民投票法の制定、海洋基本法の制定を行っている。今の岸田首相は参議院選挙が終了するまでは何も政治的決断をしないで支持率の維持に努める、という戦法を取ってきた。安倍さんの遺志を継いでいく、というなら憲法改正を始め、拉致被害者の奪還、防衛費大幅増額をすぐに実行してもらいたい。安倍さんほどでなくてもせめて前首相の菅さんくらいちゃんと仕事をして欲しい。

■日本の誇り
異国に住んでいればこそであるが、いつも世界の中の日本ということを考える。第二次安倍政権の8年で世界の中の日本株は急上昇した。G7でも国連でもいつも安倍さんの周りには人垣ができた。どうしたらアメリカの大統領とゴルフができるんだ、から始まって安倍さんの意見を求めるリーダが続出した。フランスの首相が安倍さんの発言をメモする姿を見て日本もここまで来たか、と感慨深いものがあった。

トランプ大統領を始め、エルドアン、モディ、プーチンともいい関係を築くことができた。評論家の宮崎正弘さんは、この4名は国益を追求して戦ったナショナリスト同士であり、政治の原点を見つめる共通の認識があり、政治的な立場こそ異なっても魂の反応があった、と4名の弔電を読み取っている。
安倍さんが外交舞台に登場するたびに、日本国民の一人として誇りを感じたものだ。日本は日本人が思っているより素晴らしい国だ。それを体現していたのが安倍さんだったと思う。

海外に暮らすようになって、「生まれ育ちは大切だ」という思いが強くなった。元来は下級武士の家柄、家にピアノがあったり、テニスを習ったり、家族で合奏したりするような家庭ではなかった。それはそれでよかったと思うが、安倍さんのような生まれ育ちのいい人を見ているとどうしても敵わない気がする。どんな人にあっても気後れしない。シンクタンクの研究員というトランプのジョーカーみたいな仕事をしていたので、各国の国会議員とか大学の先生、外交官とは対等に議論したが、これが王様、大統領クラスだったら気後れしたと思う。

■育ちのいい人の特徴
育ちのいい人の特徴はあるネットによると以下の通り。
(引用開始)
基本的に穏やか。
育ちの良い人はストレスを抱えていません。なので常に笑顔で穏やかです。

物を大切にする
育ちの良い人は基本的に質素です。お金に対する価値観や使い方を幼少期から叩き込まれているので無駄遣いしません。

丁寧な言葉遣い
普段から正しい日本語を使います。

挨拶を欠かさない
普段は控えめで物静かな印象ですが、挨拶はすごく自然で丁寧です。

横断歩道を必ず渡る
横断歩道の信号が点滅したら渡りません。慌てないからです。仮に待ち合わせの時間が迫っていても泰然自若としています。
子供の頃親から教わった事を大人になっても忠実に守っている印象ですね。(引用終り)

安倍さんはいかにも楽しそうな顔で大笑いする、それに引き換え、習近平朴槿恵が心から笑っている写真は見たことがない、と書いたことがある。あの穏やかな笑顔に世界のリーダーは惹かれたのだ。退陣間際に料亭や高級レストランをはしごしていた首相がいた。政治家はセコイことをしてはいけない。人心が離れる。

育ちが悪い、これはどうしようもないが、安倍さんを見習おうという気持ちがあれば、少しは変わるのではないか。

改めて安倍晋三元総理のご冥福を祈ります。

 無心の笑い - チェンライの市場から (hatenablog.com)

厳しいプロの道

サラチップ選手のリターン

同上

日本の女子プロが、この子メチャクチャ可愛いと言っていた

コート横で

15歳

ITF女子シングルス初優勝の上田らむ選手


厳しいプロの道


■1日のスケジュール
5月末から4週間の予定で開催されているITF国際テニストーナメントを観戦した。通常、朝7時から8時半まで一般(我々のテニス仲間)に開放されているコートでへぼテニスを楽しむ。7時前から大会の受付には関係者が当日の準備をしているし、選手は選手で多分6時過ぎからコートで練習をしている。朝テニスの合間に大会受付に行き、壁に貼られた当日の試合スケジュールを撮影する。ざっと邦人選手の出る試合、並びに自分のイチオシ、タイの美少女サラチップ選手が出場する試合を確認する。

帰宅してシャワーを浴び、PCで本日の取組表をじっくり眺める。日本からの参加選手が多いせいで仕方がないのかもしれないが、日本人同士の対戦が結構ある。トーナメントだから勝ち上がっていけば、いずれ対戦することになるのだけれど。

第1節、2節に参戦していた有力選手がごっそりと帰国し、第3節、4節は若手中心の選手が中心となった。初めて見る選手も多い。日本からも高校生プロが参加しているが、外国人選手にも10代の選手がいる。

■目白押しのトーナメント
ITFの大会は年間数百回開催されている。年間11カ月がテニスのシーズンで、オフは1カ月と言われている。テニスには野球やホッケーのように長いオフ期間がない。家族や友人とも会えず、国から国へテニスの試合をして世界を回る。ライブドアニュースにその苦悩の一端が紹介されていた。以下引用。


「アルコール依存と薬物乱用が蔓延」プロテニス選手が語る、選手の苦悩


イギリスの新聞『The Telegraph』のインタビューに対し、世界ランキング195位のノア・ルビン(アメリカ)は「テニス業界ではアルコール依存と薬物の乱用が蔓延している」と語り、プロツアー選手の生活が、決して多くのファンが思い描くような華やかなものではないと訴えた。

23歳の彼は、2014年度「ウィンブルドン」ジュニアの部、男子シングルスで優勝した後、2015年にプロに転向。その後はキャリアの大部分をATPツアー下部大会であるチャレンジャー大会の参戦に費やしている。
自己最高位125位のルビン、ATPはトーナメント・シーズンを短縮し、賞金を増やすべきであると主張する。

「他のスポーツには適切なオフシーズンが設けられているが、それに比べて11か月続くテニスのシーズンは過酷すぎる。50位以内に入っていない選手は、よりポイントを得るために多くの大会への参加を強いられ、そのことで身体への負担も増えてしまう」

自らも怪我で苦しんできているルビンはこう語りつつ、長いツアー生活は身体への負担だけではなく心への負担も甚大だと続けた。
「11か月のシーズン中、多くの選手たちは1人で行動をしている」「多くの選手が無気力な試合をして、"八百長ではないか?"と言われたりするけれど、実際のところは、ただ疲れてしまっていたり、飛行機に乗り遅れたくないだけの様な場合が多い」
「孤独と失敗の積み重ねなんだ。常に自分が "できそこない" な気持ちになってしまう。

ツアー生活は本当に大変で、休養する選手も少なくない。精神的に不安定になる人間も多い。アルコール依存や薬物乱用も多く見られる。それが、多くの選手たちにとって、プロテニス生活をするということなんだ」(引用終り)

■日本選手は健全
日本人選手は仲間同士励ましあっているし、アルコールや薬物とは縁のない「健全」を絵にかいたような若者ばかりだ。

ルビン選手に泣き言は言うな、わかって選んだプロの道だろう、というのは容易い。でも日本人選手は多くの場合、スポンサーから国外遠征費用を多少は援助してもらえるし、クラウドファンディングをするとXX選手を遠征させようと100万単位で拠出金が集まるらしい。

だが外国人選手はよっぽど期待されている選手でなければスポンサーはつかない。アジアの選手の中には家族連れの大金持ち選手がいた。やはりテニスはお金持ちのスポーツか。中国人選手が活躍しているが彼女たちの遠征費用は国で支払っているのだろうか。みな彭帥選手ほど美人ではなかったし、ちょっと気になる・・・・。

ルビン選手はITFなど下部大会の賞金が少ないことにも言及している。
第2節で荒川姉妹が女子ダブルスで準優勝したがその賞金は700ドルちょっとだった。英語で聞いたときセブンハンドレッドサウザンドの聞き間違いではないかと思ったが、賞金総額1万5千ドルならそんなものかもしれない。優勝してもせいぜい2千ドル、これでは海外遠征の費用を賄えない。

果てしなく遠い道、と分かっていても若者はグランドスラムを目指す。頑張って、としか言いようがない。

 

観光客は戻るか

タイ、ミャンマー国境

閉鎖され、車人の出入りはできない

タイ側から見たミャンマー国境,門が閉まっている

タイのイミグレから見たメーサイ市内、車が走っていない

中国市場アーケード、客がいない

閉まっている店もある

 

観光客は戻るか


■来やすくなったが
7月1日からタイランド・パスが外人入国者に対しても廃止となった。タイランド・パスとは1万ドルの医療保険を付保してタイ大使館に申請する1種のビザだ。このビザは申し込めばすぐ下りる、保険の手続きもそれほど面倒ではない。でもネットを介して作業する必要があり、慣れない人にとっては面倒だ。これが廃止になったのだから、航空券さえ用意すれば誰でもすぐにタイに行ける。

でも、タイへの外人観光客は増えるだろうか? 感染症前の2019年には約4千万人の外国人観光客がタイを訪れた。内、中国人が1千万人と全体の4分の1を占めた。中国はここ3年で経済が落ち込んだし、共産党政権は国民が外国に行くと、つまらぬ知識がついて反政府的になりがちだ、として旅券の発行制限をしている。外貨の持ち出しも共産党政権にとって不都合だ。ある意味で鎖国政策を始めたと言っていい。

2019年にタイを訪れた日本人観光客は190万人と過去最高を記録した。タイランド・パスがなくなったからといって、日本からの観光客は増えるかというとそれも疑問だ。
まず、日本とタイ間を結ぶ航空便が少なく、結構値段が高い。感染症以前に出回っていた格安航空券は東京―バンコクが往復で3万円を切っていた。時間や便によってはさらに安かった。

その次に障壁となっているのは日本の「水際作戦」である。日本は世界から見て感染症をうまく抑え込んだ国であるにも拘らず、入国制限が厳しい国だ。日本人がバンコクプーケットに来ても日本帰国に際して72時間以内のPCR検査陰性証明が求められる。観光の合間に病院を探して検査してもらって、あとでその結果を貰いに行く。面倒なうえに費用も掛かる。中国ほどではないにしても日本政府は国民を外に出したくないのだろう。

ラオスは開国
タイでは1日の感染者数が2千人を割る日も出てきた。マスク着用義務は原則として解除されたが、老人や基礎疾患のある人、また混雑した場所ではマスク直用が推奨されるとしている。でもチェンライの市場やスーパーではほとんどの人がマスク着用だ。
一応、今年の7月末まで非常事態宣言が延長されているが、ビヤバーやカラオケは営業再開というし、観光客受け入れ準備は着々と進んでいるようである。

これまで、1,2泊のタイ国内の旅行は行っているが、タイランド・パスが足かせとなって海外旅行にはまだ行っていない。台湾、ミャンマーカンボジアなどまだまだ入国制限がある。ただタイからラオスには問題なく行けるようになった。ラオスは滞在15日以内であれば日本国籍所有者に対するビザの取得が免除されている。これは日本がラオスに多大の援助をしている見返りという。10年ほど前、タイとラオスの国境、フエサイで豪州やヨーロッパのバックパッカー達に「俺たちは25ドルのビザ代金を支払うのにどうしてお前はビザが要らないんだ」と羨ましがられたことがある。あの時は日本国民であることを少し誇らしく感じたものだ。

ラオスなら明日にでも行ける。でもラオスに行って何すんだよ、という気持ちが先に立つ。もう何度もバスやスクータで行った。メコンに落ちる夕日を眺める、ただそれだけの目的でタイのチェンコンからメコンをわたって対岸のフエサイに1泊したこともある。世界遺産の古都ルアンプラバン、メコンを一望するワット・プーにも行った。ワット・プー遺跡は世界で一番観光客の少ない世界遺産という。

イナーシャが付いたのか
20年ほど前、「イナーシャ」という言葉をよく聞いた。「慣性」の意味だが、「デフレもイナーシャがついているからしばらくは不況が続くだろう」といったように政治経済分野でも使われていた。ダラダラと同じような状態が続くことでは、旅行もしばらく出かけていないと、別にすぐ行かなくてはいけない理由はないし、と旅に対する関心が薄れている今の状態と同じだ。近場に行くのも億劫であるから、人種差別を受ける恐れのある欧州や米国など始めから計画しない。ひょいと思い立ってスクータに跨ってスコタイやラオスに出かけた頃が夢のようである。以前は、行けば同じ所でもまた格別の気持ちが沸いて、というワクワク感があった。あの元気はどこに行ったのか。

このひと月、毎日、プロテニスを観戦し、邦人選手を応援してきた。それが終って「トーナメント・ロス」に襲われたのか。片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず、の心はどこに消えたのか。イナーシャとは関係なく、ただ年のせいで気力が薄れてきているのだろうと思う。それも自然なことだ。