チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

書き溜め原稿

 

近所のサンサーイ朝市

朝9時には店は閉店する

サンダルは市内より安い。店が出るのは日曜だけ

市場内だけでなく道路にも臨時の店が出る

手前は下着

 

書き溜め原稿


■変化のない生活
人間の暮しというものは変化そのものである。むしろ今と同じ状況を続かせるということの方が困難だ。ITFのテニストーナメントが初めてチェンライで開かれ、自分の暮しは一変した。プロの美しいプレーをまじかに観られるという僥倖はそうあるものではない。怠惰な自分としては珍しく、テニスコートに日参、観戦並びに写真撮影に勤しんだ。毎日がお祭り、縁日の屋台を巡り歩くような昂揚感があったが、物事には終りが来る。決勝が終わって選手はコートから姿を消した。
7月に入って暮しは変化したかというとこれまでの暮しの平均を漫然と続けているように思う。朝テニスに行って、帰宅してシャワー、時折、温泉に行って、週に1度タイマッサージを受け、買い物、そしてたまには外食、あとはPCの前に座って、よしなしごとで時間を過ごす。
ここ10年以上、週2回書き続けているブログの原稿書きが「今と同じ状況」という感覚のベースになっているのかもしれない。ブログはアップした日、またはその翌日には次の原稿を張り付けておく。ポスティングというらしい。ポスティングを済ませると予備は2本しかない。だからアップしたらすぐに新しい原稿に取り掛かる。

5月にランパーン、ランプーン2泊3日の旅行に出かけた。GHではチェックアウトの12時まで部屋にいた。涼しいからである。部屋にいてもすることがない。よって原稿を2本書いた。その後、旅から戻っても通常通り週2本の原稿を書いているので、今、ポスティング待ちの原稿が4本ある。はてなブログは2週間先までポスティングが可能だ。だから2週間の長期旅行に出ても原稿が枯渇することはない。枯渇したからなんなんだ、とも思うが、夏休みのラジオ体操みたいなもので、休まないことに意味を見いだしているように思う。書き溜め原稿があるのだから、旅行に行けばいいのではと思うし、予定はあったのに出かけていない。1泊だけチェンライ市内の朝食付きホテルに泊まって、何度も熱いバスに漬かったが、ゲンナリするほどの疲労感を感じただけであった。あー、家が一番、そんならはじめから家に居ろ、というものだ。

ホテルでは安倍元総理の暗殺直後だったから英語ニュースを見続けた。1番のニュースはスリランカの政変、2番目が安倍さんの銃撃事件だった。

国葬に思う
安倍元総理の国葬は当然のことと思う。安倍総理の首相在任期間は自分の異国での生活時期と重なっている。安倍さんは「安倍個人が評価されたのではなく日本が評価されたのです」と語っていた。でも台頭する中国を念頭に、自由と民主主義に基づく国際秩序の維持を目的とした「自由で開かれたインド太平洋」構想を提唱し、日本の国際社会での評価と存在感を高めてくれたのはひとえに安倍さんの業績だと思う。

税金で国葬をするのはけしからん、と言ってきた日本の友人がいる。法律に国葬の規定がないからいけないという。でも世の中何でも法律で決まっているのか。会社で運動会をやる、親戚集まって法事を執り行う、友人が教授になったのでみんな集まってお祝いの宴を開く、これらは法律で決まっていないから俺は参加しないと言ったらどうなるか。法律の前に常識、慣例、付き合いといったものがある。橋下徹大阪市長も規定がないから国葬に反対と言っていた。司法試験に受かった人には時折、こういった法律万能主義の人がいる。得てしてこういう人は法に違反しないのならとんでもなく非常識なことをしでかす。

法律があろうとなかろうと、多くの人が、それも世界のリーダーが弔意を示しているのであれば、その弔意を表して頂くに相応しい、それも世界の常識に照らして妥当な場を用意する、これが日本のリーダーの取るべき道だ。その意味で岸田首相の国葬で安倍元総理を送るという判断は適切なものであったと言える。

常識、慣例と書いたが、日本政府はロシアに国葬への招待状を送付しておきながら、プーチン大統領の入国は認めない方針だという(7月22日時点)。日本には「村八分」という慣例があった。これは葬儀と火事の2つ、つまり2分の時は縁切り状態を棚上げするということだ。警備の都合というが、プーチン大統領の安倍元総理の国葬参列拒否はこの日本の慣習に悖るものではないか。昭恵夫人とご母堂に宛てたプーチン氏の弔電を思うにつけ、政府の決定を残念に思う。

(本稿のように書いたら早めにアップすべき、という原稿が出てくる。ニュース性のない書き溜め原稿の中には2年以上塩漬けのものもある。世の変化を追っているうちに一生お蔵入りとなるかもしれない)