チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

すみだ北斎美術館

f:id:hidenaka24:20210116181418j:plain

 すみだ北斎美術館

f:id:hidenaka24:20210116181742j:plain

 神奈川沖浪裏

f:id:hidenaka24:20210116181941j:plain

凱風快晴、

f:id:hidenaka24:20210116182017j:plain

北斎アトリエ、人形は少し動くらしい

f:id:hidenaka24:20210116182044j:plain

3回から4階へ行く階段

f:id:hidenaka24:20210116182111j:plain

マンガの元祖か

f:id:hidenaka24:20210116182137j:plain

ポーランドの画家による浮世絵

 

すみだ北斎美術館

 

■両国は見所一杯
江戸時代の始め、大川、今の隅田川が武蔵の国と下総の国の国境であった。万治2年(1659年)に大川に両方の国をまたぐ大橋がかけられ、その橋を一般的に両国橋といった。それが両国の謂れという。川の東側、今の墨田区側は江戸時代に新興住宅地として発展した。

関東大震災東京大空襲でこのあたりは焼け野原になったが、本所とか亀戸など古い地名が残っている。本所といえば松坂町、赤穂浪士の討ち入りで有名な吉良上野介の屋敷があった場所である。今は公園となっているが吉良邸跡として一部が保存されている。他にも勝海舟生誕の地とか歴史に興味のある人ならば行ってみたいところはあるだろう。

両国周辺はほかにも見るべきところとして、大江戸博物館、相撲博物館すみだ北斎美術館、相撲発祥の地であり、鼠小僧の墓がある回向院、横網公園には空襲で亡くなった16万3千体の遺骨が安置された東京慰霊堂とその資料館がある。あと旧安田庭園芭蕉記念館、田川水泡のらくろ館なども国技館から歩いていける範囲だ。

■新しい美術館
折角、両国まで行くのだし、と国技館の前にすみだ北斎美術館に行ってみることにした。
すみだ北斎美術館は2016年に開館した。江戸時代後期の浮世絵師、葛飾北斎が本所界隈で生涯を送ったことや、彼が本所割下水で生まれたとされ、当時の「南割下水」に相当する現在の「北斎通り」の線上にある亀沢もゆかりの地に含まれることからこの地に建設された。

美術館の前は公園となっていて、子供や家族連れがジャングルジム、ブランコなどで遊んでいる。公園と地域が一体化した、誰もが気軽に立ち寄れる美術館を目指しているという。

銀色に輝く斬新なデザインの美術館全景を撮影しようとしたが、どうしても子供の姿が写りこむ。変なオジサンが盗撮しているんです、と通報されないかと気を遣ってしまう。タイだったら、写して、写してと子供が寄ってくるのであるが。

世界遺産登録にも貢献
北斎は6歳から絵を描き始め、90歳で没するまでに3万点を越える作品を残している。北斎の代表作といえばやはり富岳三十六景だろう。大波の中央に小さく富士をあしらった「神奈川沖浪裏」、赤富士で知られる「凱風快晴」は誰もが知っている。富士を見たこともないゴッホ北斎に影響を受けて富士山の絵を描いている。

富士山は「富士山:信仰の対象と芸術の源泉」として世界文化遺産に登録された。審議に当たっては三保の松原を含めるかどうかで議論が分かれた。三保の松原は富士山を形成するものではない、海岸には波消しブロックがあり、景観を損ねている等々・・・。しかし、「物理的なつながりではなく視覚的、精神的な関係は文化遺産の評価において重要である」という目に見えないものの価値を訴える日本の意見が通った。

FUJISAN 世界遺産への道」で近藤誠一氏(文化庁長官)は次のように述べている。
「自然の造形物にしか過ぎない富士山が、世界の自然遺産ではなく、文化遺産になったということは、日本人がその山に特別な意味を見いだし、そこから高度の芸術的・思想的インスピレーションを得て、自ら深い自然観や洗練された美意識を育ててきたこと、そしてそれが今の日本文化の礎になっていることを世界が知り、評価したに等しい」。
彼は各国の賛同を得るための北斎の浮世絵を見せて回ったという。日本の精神性、思想を端的に示すには最適だったと思う。

■楽しめる展示
常設展では「高詳細複製画」で北斎の代表作を見ることが出来る。新しい美術館らしく、タッチパネル、高詳細4Kモニター、コンピュータで推定復元した巨大絵馬など、大人も子供も見て、触って、動かして楽しめるよう工夫されている。

汚い長屋(アトリエ)で炬燵に半分はいりながら熱心に絵を描く北斎とそれを見ている娘のお栄の実物模型がある。実にリアルで今にも動き出しそうだ。チェンライのオピウム・ミュージアムにも阿片を吸って恍惚としているオジサンや治療のため檻に入れられたヤク中患者の実物大人形があるが、出来が全然違う。浮世絵やAIばかりでなくこのアトリエを見るだけでも入場料を払う価値がある。

4階ではポーランドの「日本美術技術博物館マンガ」から浮世絵にヒントを得たアーチストの作品が展示されていた。この国立美術館の設立に当たってはアンジェイ・ワイダ監督が深く関わっている。浮世絵はモネやゴッホばかりでなく、現代の西欧にも影響を与えているようだ。1時間ではとても回り切れない。再訪を期して国技館へ急いだ。

 

なお、美術館の展示品はこちらの写真コーナーで見ることが出来ます。

(12) すみだ北斎美術館 | Facebook

大相撲観戦

f:id:hidenaka24:20210113104425j:plain

土俵入り

f:id:hidenaka24:20210113104451j:plain

仕切り

f:id:hidenaka24:20210113104515j:plain

北の富士、元九重親方、超望遠で

f:id:hidenaka24:20210113104557j:plain

力が入る

f:id:hidenaka24:20210113104622j:plain

闘志満々

f:id:hidenaka24:20210113104640j:plain

粋筋の女性か?

 
大相撲観戦
 
■両国の国技館
大相撲初場所の初日に国技館に行った。席は向こう正面の桟敷席、それもかなり
前の方だ。桟敷席は枡席とも云われる。一般の人にはなかなかこのチケットが手
に入らない。というのは枡席のほぼすべてを「相撲案内所」と呼ばれる20軒の相
撲茶屋(お茶屋)が占有しており、これらを通してでなければ良い枡席のチケッ
トは購入することができない。場所が始まる前にチケットは馴染みの客の手に渡っ
ている。
 
大学時代の友人が桝席を毎年買っていた。彼から電話が掛かってきて、桝席の切
符を進呈するという。はからずも東京で独り暮らしとなっている自分の無聊を慰
めようという好意からだ。同期には珍しくまだ現役、ある会社の会長を務めてい
る。
「会社の連中には人出のある所には出かけるなと言っているのに、テレビに俺の
顔が映ったりすると大変だからさあ、貰ってくれると嬉しいんだけどな」。自分
に気を使わせまいという彼の心遣いが身に染みる。
 
子供のころから相撲が好きだった。銭湯の帰りに今川焼屋に寄って、一般家庭に
はないテレビで栃錦若乃花の相撲に熱狂した。蔵前にあった国技館にも何度か
行った。母に連れられて行ったことがあるが、その日は小学校を休んだ。母が休
め、といったからである。その時は香川の高校の校長をしていた祖父も一緒で、
その高校出身でまだ幕下だった若三杉(のちの大豪)が祖父に挨拶に来た。
 
そういえば大乃国千代の富士が13勝全勝で14日目の結びの一番で戦った相撲も
桟敷席から見た。今は亡き義父と一緒だった。相撲の思い出はつきない。
 
感染症対策
国技館の周りには警備員が立って、立ち止まらないで、力士への声掛け、サイン
を求めるなどの行為は慎んでください、と呼び掛けている。例の感染症のせいだ。
入り口では入場券の半券に電話番号と氏名を書かされた。入場者数は半分の5千人
に制限されている。全員マスク着用。館内での飲食は禁止、声を出しての応援は勿
論、会話も控えなければならない。通常、桝席は4人入りであるが観客数半減であ
るから1桝に2人だ。
 
桝席は明和と言うから18世紀後半に江戸の芝居小屋で始まった。明治になって歌舞
伎座が椅子席になって、芝居小屋から桝席はなくなっていったが、相撲だけは残っ
た。1.5メートル4方の広さは江戸時代仕様そのまま。150センチくらいの背丈なら4人
入るが、現代人には窮屈、これにお茶屋からビールや焼き鳥が運ばれ、急須、茶碗
セットの入ったお土産袋なんか置いた日にゃ、どんなことになるか・・・。
 
チェンライにある日本品のバッタ屋では急須と朝青龍武蔵丸などと書かれた湯飲み
のセットが売られていたから、まだ相撲土産にあるのだろうか。足を延ばして、のん
びりとそんなことを友人(切符を譲ってくれた人とは別)と話した。
 
■桝席で
長らく日本を離れていたので、力士の顔と名前が一致しない。友人の解説付きで相撲
を楽しむ。向かいにNHKの放送席が見えたので83倍望遠で解説者を撮影、知ってる顔
だけど誰だっけ、と友人に見せると九重親方、今は北の富士だよ。
 
応援、歓声、会話が禁止されているせいで肉体がぶつかり合う衝撃音がはっきり聞こ
える。初日は力士も気合が入るというが正にガチンコ相撲。ドキドキする。取り組み
の興奮のあとのまったりした仕切り直し、その間に友人と昔話、琴ヶ浜という大関
いたんだ、そう、内掛けがうまかった、お袋が朝潮が好きでさあ、あの毛むくじゃらの?
 
行司は立ち合いに当たってはひざを曲げ、中腰で微動だにしない。仕切りに当たって
も能のように型をきっちり守り、土俵に緊張感を与えている。
いつもなら粋筋とおぼしき和服美女が砂被りに見え、初場所に花を添えるのであるが
今年は全員マスクで和服姿は少ない。でも館内を見渡すと観客の半分以上は女性であ
る。彼女たちは白地に青く四股名が染め付けられたタオルを広げて贔屓力士を応援し
ている。同じタオルが館内のあちこちに見える。場内の土産物店で売られているので
あろう。女性たちは一番ごとにタオルを取り換えて広げる。控えめに両手を上下させ
る応援に「ワタシはスモウがスキ」の気持ちが込められている。自分と同じ気持ちを
彼女たち、いや、館内の全員が共有している。この雰囲気はやはり国技館に足を運ん
だからこそ感得できるものだ。
 
16人の関取が休場した初場所だから8番取り組みが少ないはず。でも予定通り6時前に
取組みは終了した。大きな袋を抱えて両国の居酒屋に入り、予定通り8時に店を追い
出された。感染症のお陰でこの日があったと思えば、人生はすべてコインの裏表と思
わざるを得ない。
 

読書意欲向上

f:id:hidenaka24:20210110101037j:plain

昨年11月の山中湖から

f:id:hidenaka24:20210110101054j:plain

同上

f:id:hidenaka24:20210110101126j:plain

同上、

f:id:hidenaka24:20210110101147j:plain

同上

f:id:hidenaka24:20210110101208j:plain

同上、かなりの望遠

f:id:hidenaka24:20210110101239j:plain

友人の山荘で




読書意欲向上


■新しい老眼鏡
暮に老眼鏡を新調した。老眼鏡はダイソーでも売っている。チェンライの露店では70円で買える。レストランで細かい字で書かれたメニューを見るときは安物の眼鏡で充分、用は足りる。でも左右2つの眼は、平均的にマイナス1.5とか1.75に老化してくれない。自分の左目は乱視が入っていて右目に比べて視力が低い。いわゆるガチャ眼だ。激安の70円老眼鏡で文庫本に読みふけると目の疲れを感じる。

チェンライの眼鏡店で一応、視力を検査してもらって老眼鏡を購入した。確か2年前のこと、価格は1000円か1500円くらいだったと思う。値段が安かったせいか、いまいち検眼の精度に信頼がおけなかったが、70円の眼鏡より疲れないので今回の帰国に際しても大事に持ち歩いていた。

家では布団に潜り込んで読書をし、電気を消してそのまま就寝というケースが多い。夜、トイレに起きた時、枕元の眼鏡を踏んづけてしまった。フレームが曲がり、右側のレンズが4分の1ほど欠け落ちた。眼鏡の蔓の位置を工夫すれば使えないことはない。しばらくそれで我慢していたが、なんとなくみじめっぽい。買えないわけじゃないのだからと武蔵小山商店街のメガネ量販店に行った。20代の店員さんが出てきた。眼鏡の用途は? 主として読書用です。2階の検眼室に案内されて、左右の眼に合わせ、数種類のレンズを取り換え引き換えしながら検眼してくれた。左は乱視が入っていますね。その通り、チェンライでは検眼の時、そんなことは言ってくれなかったなあ。若い店員さんに日本人の誠実さを感じる。

実は数年前、池袋にあったチェーン店で老眼鏡を作ったことがあった。確か2万円近くした。片タマ5千円とか言われていた時代だ。今回も予算として2万円を考えていた。ごく一般的なフレームを選び、値段を聞いてみたところ、なんと5千円。それ、安すぎるんじゃね?と思ったが、これもデフレ、競争激化のせいか。思いの外、出費が少なかったので2,3軒先のリカーショップでバランタインの17年を買い込んでしまった。

 

■眼鏡は消耗品か
人に聞いてみると、確かにこの10年、眼鏡は安くなっているらしい。でも1万5千円から2万円中心の老眼鏡を取り扱う店もある。何が違うのだろう。老眼鏡の種類は、それぞれの用途により、近用単焦点メガネ、近用ワイドメガネ、中近両用メガネ、遠近両用メガネの4種類がある。自分の誂えた近用単焦点メガネはレンズが単純でダイソーで売られている老眼鏡のレンズと質的には大差ないそうだ。フレームも凝っていなければ5000円でかなり利益が出るのではないか。

ある眼鏡販売元のネットによると、安価版老眼鏡の原価は海外製のレンズが2枚で450円、中国製のフレームが450円。それに組み立て費や輸送費を含めて、1200~1400円といったところ。これに人件費、店舗賃料などを加えるとそれほど利益率は高くないようだ。眼鏡市場規模もここ数年横ばいである。

老眼は加齢によって進むから、2,3年に一度は新調する必要がある。いわば消耗品であるから、高価なフレームや極薄のレンズでなくてもいいと思う。でも高級外車に乗っている人に、車であることには変わりないんだから軽自動車に乗り換えろといっても嫌がるだろう。使えるんだからウィンドウズ95で我慢しない?と言われたら自分でも「イヤ」というに決まっている。眼鏡にしても中国、韓国製なんてとんでもない、レンズは軽くて薄いHOYAかSEIKO、フレームはシャネルかブルガリがやはり洒落ているね、という人もいる。

安いものはそれなりに、高いものはやはりそれだけのことはある。これは人それぞれの嗜好、懐具合があるから自分としては特に言うことはない。

 

■眼鏡を代えてから
暮から正月にかけては、冬ごもりの蟻のごとく食料が潤沢にあったから、ほとんど外出せず、人から貰った本や図書館で借りた本を読んで過ごした。ネットは米国大統領選や武漢肺炎で大騒ぎ、心の平安が乱される。3,4時間、読み続けても目の疲れをそれほど感じなかったのはやはり眼に適合した老眼鏡のお陰だろう。数千円でこんなに快適な思いができると知っていたら、もっと早く購入したのに、と後悔したくらい。

眼鏡一つで幸せな気分になれる。遠からず、こんな杖を買ったら歩きやすくなって幸せだ、なんてことを書く日が来るのだろう。

 

 

正月を静かに過ごす

f:id:hidenaka24:20210106111635j:plain

昨年のチェンライ花祭り

f:id:hidenaka24:20210106111528j:plain

今年は当然中止

f:id:hidenaka24:20210106111541j:plain

やはり蘭はいい

f:id:hidenaka24:20210106111935j:plain

これもきれい

f:id:hidenaka24:20210106111639j:plain

これはクロッカスか

 


正月を静かに過ごす

■出汁巻き卵
暮の30日に息子がやってくるというので、正月の料理を早めに作った。日本にいるのだから、ちょっとスーパーに行けばなんでも揃うのであるが、母は晩年、今年がもう最後だから、と言いながら煮しめや叩き牛蒡、大根のなます等の正月定番料理を作っていた。黒豆も自分で煮ていた。その思い出があるせいか、暮れには自分も出汁巻き卵などを作る。スーパーで買えるけれど、自分で作ったほうが美味しいし安価である。

チェンライにいた時、兄のゴルフ仲間が我が家で宴会をすることがあった。この時は卵を十数個割って、出汁巻き卵を作った。作り方はネットのクックパッドに出ている。
溶き卵に片栗粉を少し加えると卵焼きの肌がきれいに仕上がる。70、80の老人ばかりだから、柔らかい京風出汁巻き卵はいつも好評だった。

焦げ付かない四角いフライパンを使用する。チェンライでは手に入らない美味しいカニカマがあるのでこれを芯にすることにした。1回目はカニカマが前後に飛び出して卵焼きの中心にならない。2度、3度巻き返してしてもカニカマは言うことを聞かず、卵焼きの側面に顔を出している。別に売り物ではないし、味に変わりはないのだからまあいいか。2回目はほぐしたカニカマを卵焼き器に散らすことによって、なんとか均一にカニカマが分散し、無事、出汁巻き卵5本完成。

作るのに苦労したぜ、と息子に自慢したら、溶き卵にほぐしたカニカマを入れとけばよかったじゃん、と返された。確かにその通り、老いては子に従えか。

■買いすぎ、作りすぎ
煮しめは下拵えがなあ、と思っていた。でもさすが日本、煮しめ用の野菜水煮パックが売られていた。袋に書いてある調味料を加えれば出来上がりとある。袋に4人前と書いてあったが、鶏肉や人参を加えたため、びっくりする量の煮しめが出来た。
30日にはおでんを大鍋に作っていた。薩摩揚げ、竹輪、ハンペンなどの練り物は煮ると体積が増える。蒲鉾、昆布巻きなどおせち料理定番の食材も買い込んである。

というわけで31日から3日まで完全引き籠り。チェンライであれば正月酒は元旦のみで2日からテニスに行っていた。でもジタバタしても仕方のない蟄居の身、大吟醸が2本あったので、3ガ日は朝酒、食べるものはいくらでもある。風呂と本と食事の日々。

春立つや新年古き米五升/芭蕉

「春立つや」の代わりに「我れ富めり」が発句の句もあるが「春」のほうがほのぼのとしていて正月の目出度い酒には相応しいように思う。

■増加する孤老
4,5,6日の外出は図書館に借りた本を返しに行くくらい。考えてみたら1週間ほど人と口をきく機会がなかった。誰かが傍らにいれば、アメリカの大統領選挙や感染症の政府対応について、どこかで誰かが言っていることをオウム返しで喋るに違いない。相手も同じ情報源だから、そうだ、そうだ、と同意してくれる。もし相手が、バイデンさんが次期大統領に相応しいとか、小池さんの感染症対策は素晴らしいと滔々と語ってくれるのであれば、議論に発展すると思う。でも言い負かしたり、言い負かされたり、あるいは対立したまま黙り込んだり、いずれにしてもいい人間関係が築ける気はしない。

国立社会保障・人口問題研究所の将来推計では高齢者の一人暮らしは15年の625万世帯から40年には896万世帯まで4割以上増える。
独り暮らしのいいところは無言の時間が長く、言い争いの機会が減ることである。沈思黙考、自省して奥床しい老人も増えてくるのではないか。

■目指すべき老人像
徒然草172段には、あるべき老人の姿が描かれている。

「老いぬる人は、精神衰へ、淡く疎かにして、感じ動く所なし。心自ら静かなれば、無益のわざを為さず、身を助けて愁なく、人の煩ひなからん事を思ふ。老いて、智の、若きにまされる事、若くして、かたちの、老いたるにまされるが如し。」

(老いた人は精神力が衰えて、欲望も淡く世俗にも疎くなっており、物事に敏感に感じて動くということもない。心は必然的に静かになり、無益なことをしない。自分の身を大切にして健康の悩みを減らすように努め、他人に迷惑を掛けないようにしようと思う。老いた人は生きる知恵において若い人に勝っているが、それは若い人が外見的な容姿・スタイルにおいて老人に勝っているのと同じである)。

今年は心静かに人に迷惑をかけない生活を目指したい。しかしながら昨今のトランプどんでん返しとか、世界もうらやむ封じ込めに成功していながら緊急事態宣言という政府を見ていると、つい頭に血が上る。また同じこと書いてるよー、と人に笑われる年になりそうな気もする。卵焼きの巻き方などを書いていれば無難か。

 

 

新年のご挨拶

f:id:hidenaka24:20210103104952j:plain

昨年11月に行った山中湖

f:id:hidenaka24:20210103105025j:plain

富士吉田から

f:id:hidenaka24:20210103105035j:plain

同上

f:id:hidenaka24:20210103105043j:plain

山中湖

f:id:hidenaka24:20210103105103j:plain

紅葉台から

f:id:hidenaka24:20210103105111j:plain

花の都公園から




新年のご挨拶

 

■まさかの昨年
明けましておめでとうございます。2021年が皆様にとりましてよき年になりますようお祈り致しております。本年もよろしくご教導のほどお願い申し上げます。

人生には坂が3つある。上り坂、下り坂、そしてまさかだ、元首相の小泉純一郎氏がよく使っていた。昨年は本当にまさかの年だった。3月に帰国し、2週間でチェンライに戻るつもりであったが、武漢肺炎のせいで各国が鎖国状態に陥った。自分もタッチの差でタイに戻ることが出来なくなった。まさか新年を東京で迎えることになろうとは想像もしていなかった。
風邪の一種だから、暖かくなればウィルスは力を失う、従って、6月のオリンピックは予定通り開催される、と楽観視する人もいれば、いやこの分では80万人が感染、そのうち40万人が死亡する、と不安を煽った医師もいる。
人間の常として、自分の希望に沿った情報を信用しがちだ。それほど流行は長く続かないのでは、と思い、成田ーバンコクの国際便の予約を何度か繰り返した。でも9月以降予約も入らなくなった。武漢肺炎を甘く見ていたわけ。
iPS細胞の山中伸弥先生が、この感染症は1年、いや2年続く、5月に一時的に感染者数がが減少した時も感染拡大の波は来る、と言われていた。1年も続いたんじゃ、いつタイに戻れるんだよ、と冷ややかに感じていたが、結局、先生の診立て通りになった。
先生は「山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信」というブログで、正しい情報発信に努められている。マスコミが広める噂についても証拠を基にした正しさの可能性分類をされている。また、超多忙の毎日と拝察するが、膨大な量の科学論文、専門家の著書を読み込んでおられ、いくつかの必読書を挙げられている。ニュースショーに出演する「専門家」は山中先生の推薦図書、論文を読んでから発言してほしいと思う。というより、専門家にセリフをつけるディレクターがまず読むべきか。

■情報は直接会話して
昨年はマスコミの能力のなさ、でたらめさが改めて明らかになった年だった。視聴率が稼げれば、発行部数が減らなければ何を拡散しようと勝手、というわけでもないでしょう。昔から「芸者、役者、記者」を3者と言って、大家さんは家を貸さなかった。収入が安定せず、家賃が滞る心配があったからとのこと。戦前の新聞社では駆け出し記者には給料が出ず、その代わり名刺を持って企業などを回った、と政治評論家、松岡英夫氏が書いていた。彼は東京日日(毎日新聞の前身)の記者だった。
江戸時代の庶民は当時のマスコミを「瓦版屋」と言って、差別とまではいわないが、少なくとも尊敬の対象とみてはいなかった。150年たってマスコミは元の地位に戻った、というべきか。売れれば真偽はどうでもいい、の本性があらわになっただけだろう。
とはいえ、マスコミでも使命感を持つ人はいる。新聞にも頑張ってもらいたいと個人的には思っている。それに今の時代は玉石混交とはいえ、情報が山ほどあるのだから、いい大人が大手マスコミに騙された、と怒るのも情けない。情報を受け身で得る、いわゆる情弱(情報弱者)は団塊世代に多いという。でも昨年、会った友人たちはほぼこの年代だが、みんな自分よりしっかりした考えを持っていた。本やネットだけではなく、人と会って話を聞く、それが大切だと感じた1年でもあった。

■日本はやっぱりいい
日本での正月は13年ぶりだ。年末から年始への移り変わり、ケジメある習わしも日本にいればこそ味わえるものがある。チェンライでは松の内であってもジングルベルが流れ、クリスマスツリーが飾られている。そういったタイの大らかさ、締りのなさを好ましく思うこともあったが、一人座して静かに吟醸酒を口に運ぶとき、ああ、日本にいてよかったとしみじみ感じる。チェンライでは日本酒、蒲鉾、昆布巻きなどの正月用品は手に入らないことはないが、あるだけありがたいと思え、というくらい選択の余地は少ないし、味もいまいち。近所のスーパーに行けば酒だけでも数十種類揃っている。日本には何でもあって、それに旨いんだよ、と外人がいつも感心しているが、全くその通り。
昨年はまさかの年となったが、日本の四季を満喫し、映画を観て、本も少し読み、一人座して考えることもあった。総てこの世はコインの裏表、悪いこともあればいいこともある。冬来りなば春遠からじ、北タイでテニスができる日も遠くないことを信じて、今年の始まりとしたい。

 

ポリコレの胡散臭さ

 

f:id:hidenaka24:20201223164047j:plain

暮の靖国神社、中は正月を迎えるため工事中 相変わらず人出はパラパラ

f:id:hidenaka24:20201223164108j:plain

神門

f:id:hidenaka24:20201223164131j:plain

靖国、神池庭園

f:id:hidenaka24:20201223164155j:plain

新年準備 靖国南門

f:id:hidenaka24:20201223164222j:plain

九段下方面

f:id:hidenaka24:20201223164247j:plain

九段下より大村益次郎像を臨む

 


ポリコレの胡散臭さ

 

■吸煙シーンばかり
1950年代から1960年半ばまでフランスで盛んだったヌーヴェルヴァーグ(新しい波)の映画を観ると、やたらと煙草を吸う場面が出てくる。女性が煙草を取り出すと、男がマッチかライターですぐ火をつける。アヌーク・エーメ主演、名匠ジャック・ドゥミ1960年制作の「ローラ」では母子家庭の食事に招かれた男と母が煙草を吸う、すると14歳の娘がもう大人だから、と男から1本貰って煙草を吸うのであるが、母親は止めようともしない。
今、喫煙者はヤク中扱いだ。映画でも上記のような場面はもう許されないだろう。経済評論家の須田慎一郎氏は喫煙所で一服した後、エレベータに乗り込んだ。すると中にいたジジイに「この中に煙草を吸った奴がいる」と言われたそうだ。

ウッディ・アレン脚本、監督の2018年「レイニー・デイ・イン・ニューヨーク」では煙草を吸う場面はないが、大麻をふかす場面が出てくる。煙草はダメだがマリファナはOKか。この映画は洒落た会話が随所にあって佳作と言えるが、米国では公開されていない。どうしてかというと、訴訟では無罪となっているが、ウッディ・アレンと養女との間に性的な不祥事があったからという。映画の面白さと性癖は関係ないと思うが、極端な潔癖主義は多分、今、流行りのポリコレから来ているのだろう。

■ポリコレ難民を受け入れよう
欧米では古くは魔女裁判、近年では禁酒法など中庸から逸脱したおかしなことをやってきた。この分だとそのうち禁煙法ができるだろう。煙草や酒くらいどうでもいいし、ハリウッド映画でやたらと黒人が登場するのも仕方ない。でも今、欧米に蔓延っているポリコレは現代の魔女裁判と言えるほどひどい段階にあるらしい。

例えば米国の大学は4年間リベラルアーツ(教養)教育が中心で本格的な専門教育は大学院に入ってからである。このリベラルアーツがポリコレを振りかざす左翼教授に占拠され、ポリコレに反対する教授や学生はレイシストとして大学から追い出されているという。
数学を難しくすると女子学生が入学しにくいからと数学教育のレベルを下げたり、一部には数学は性差別的な学問という主張もなされている。

筑波大学では英語で行われる授業だけで卒業単位が取れる理系学部があり、ポリコレに嫌気がさして留学してきた米国人学生がいる。日本の大学はポリコレに汚染されていないとアピールすれば優秀な欧米人留学生(ポリコレ難民)が大挙してやってくる。そう筑波大学掛谷英紀准教授が正論12月号に書いている。中国人留学生よりずっと国益にかなうのではないか。

■ポリコレは平等を目指す
ポリコレを主張するリベラルの人たちは「平等」を好んで口にする。でも誰もが納得する平等などこの世に存在するのか。動物の世界ではライオンにしろ、ニホンザルにしろ、ヘラジカにしろ、競い合って一番強いオスが群れ全体のメスを総取りする。よい子孫を残すための知恵だ。人間だって力のあるオスがメスを支配する。力とは金力でも筋力でも学力でも精力でも権力でも構わない。女性にもてる男性を見れば、動物の世界と変わらない部分はある。動物行動学者の竹内美代子さんは、リベラル政治家の主張は力のないオス猿がボス猿にメスを「平等」に分けろというに等しい、リベラル政党の面々を見ても女に好かれるような男は一人もいないという。竹内さんは保守男性に比べ、リベラル男性の睾丸は軽いと主張している。でもどうやって重量を計測したかについては書いていない。

毛沢東は若い時、北京大学の図書館に勤めたが、田舎者で学歴も収入もない毛沢東に女子大生は洟もひっかけてくれなかった。それで彼は共産主義に惹かれ、政権を握ると手あたり次第、女を漁り、知識人を殺しまくった。つまり歴代中国皇帝と同じことをした。
非モテ顔の揃った立民や共産の議員さん達はいつか、権力を握り、毛沢東と同じことをしたいと思っているのではないか。平等を叫ぶ人が、結局は全体主義を目指している。

ポリコレ推進者、BLMなどのリベラル勢力がマルクス主義者のアンティファと結託しているのも当然の流れだと思う。しかしこのリベラル勢力が米国、欧州において、日本とは比べ物にならないくらい深く社会に浸透していることに危惧を感じる。

昨今の洋画にはホモやゲイがやたらと出てきて辟易するが、少数者の権利を守れ、がポリコレの主張である。でもLGBTばかりでなく、一夫多妻者の権利を守れ、というグループも現れたという。非モテ系のリベラルはこの権利主張に賛同するのだろうか。

 

今年もあとわずか、この1年、駄文にお付き合いくださいましてありがとうございました。
年末、年始のお休みをいただきまして、新年は1月4日より再開致します。
皆様におかれましては、ひとつよい年をお迎えくださいますよう・・・・

 

 

国を偉大ならしめんことを

 

f:id:hidenaka24:20201220141245j:plain

南九州最大の神宮、霧島神宮

f:id:hidenaka24:20201220141307j:plain

初詣は1月前から可能とのことで行列ができていた

 

f:id:hidenaka24:20201220141419j:plain

烏帽子姿で供物を捧げる神官

f:id:hidenaka24:20201220141509j:plain

偶然の自然産物

f:id:hidenaka24:20201220141551j:plain

相花信夫少尉より継母への手紙、彼は10代で散った

f:id:hidenaka24:20201220141657g:plain

特攻の前に国民に願ったこと

 

 

国を偉大ならしめんことを

 

民度の低い国
ホテルに戻れば持参したパソコンを立ち上げる。ニュース解説を視聴する。なんといっても11月から12月にかけての注目は米国大統領選である。バイデンさんが勝ったというマスコミに対し、いや本当はトランプ大統領の再選というネット記事がある。選挙に不正があったという人もいれば、開票は公正に行われたと主張する人もいる。インチキ選挙でアメリカの民主主義は踏みにじられた、いや、トランプ氏こそ潔く、敗北を認めるべきだ・・・。民主、共和両党、更には官界、法曹界にも怪しげな金が流れていると報道されている。


こういった騒ぎを見ると、やはりアメリカ人は民度が低いなあと感じる。国内を2分した戦いとなっているわけで、1月に新大統領が決定したとしても争いは続くだろう。デモ隊が反対派に襲われている。今後はBLMでそうだったように、デモのついでに放火、略奪がおこるかもしれない。法と秩序を守るため連邦軍が出動して無法地帯を制圧する。日本ではシールズや立民のデモでさえ、放火、略奪は起きていない。ルールを守り、正義を重んじるという点では日本は世界に冠たる徳義大国だと思う。選挙監視団を日本から米国に送り込んで再選挙してはどうか。

本領安堵
バイデン氏にお祝いを述べた菅首相の発言はちと情けなかった。世界各国に並んで祝意を表する、ここまでは仕方ないと思うが、日米安保条約が、尖閣、沖縄に適用されることを確認したと伝えられている。日本は尖閣を守るとバイデンさんが言ってくれた、と喜んでいるがアメリカの発表には尖閣のセの字もない。まるで、本領安堵を幕府に願い出た御家人の態度だ。本領安堵で幕府と御家人は主従関係を明確にしたわけだが、日米関係も同様だ。

英国やフランスは米国の大統領選に注目はしているだろうが、日本ほど狼狽している様子はない。それは両国が核保有国であり、明確に自分の国は自分で守ることが出来るという自負があるからだろう。NATO にせよ、日米安保にせよ同盟条約は双方に利益があるから締結しているのであって、条約があればそれを遵守するのは当たり前、大統領が変わろうと変わるまいとこちらから改めてお願いする筋合いのものではない。またバイデンさんが今、日米安保を見直す発言をするはずもない。菅さんはバイデンに足許を見られたのではないか。

■自国の海で
知らない人が家に入り込んできて、食卓に並べてあった料理を勝手に食べ始める。あんた誰? 出ていって下さい。お前たちこそ出て行け、ホレ、この土地家屋の権利を隣町の金さんから買ったんだよ。

これは日本の排他的経済水域にある大和堆で起こった事実である。大和堆は甘えびやスルメイカの好漁場で知られている。ここに北朝鮮から漁業権を買ったという中国漁船が大挙、押し寄せた。海上保安庁は不測の事態を避けるため、日本漁船に出漁見合わせを要請した。中国漁船がいなくなった後、日本漁船が大和堆に行ってみたが、スルメイカは根こそぎ取りつくされていた。小笠原諸島の赤珊瑚も記憶に新しい。尖閣周辺の好漁場は、年間2600トンの水揚げを記録していたが、今は海保が出漁を見合わせるよう指導している。

■英霊の遺志
知覧の特攻平和会館を訪れた後、もどかしい思いが消えない。言いたいこと、書きたいことが山ほどあるのに出てこない。もちろん自分の貧弱な思考能力のせいであるが、我々は英霊の遺志をどれだけ受け継いできたのだろうか。

領海、領土を侵された後は、国民がチベット、ウィグルと同じ運命をたどる。これが近未来の祖国だ。わが国は、自分の国は自分で守るという当たり前の国ではない。カルタゴの平和ではないが軍事力が弱い国は侵略されて滅びる。核を持つ国が核攻撃を受ける可能性は低いのだから、「二度と過ちをくりかえ」さないためには核装備も一つの方策だ。核開発に時間がかかるなら米国の第7艦隊を居抜きで購入してもいいし、インド、パキスタン、あるいはロシア、北朝鮮から買ってもいい。

感染症対策で4兆、5兆の予算が出るのだから、防衛国債を発行して現在5兆の防衛予算を15兆くらいに増額すればいい。国産化が進めば日本製武器は性能がいいので世界中に売れる。いざとなった時は部品供給を止める、これで戦闘継続が困難となる。武器輸出は安全保障につながる。

遺書の言葉が心に残る。「俺は征くけれど仇を取ってくれよ」。原爆で亡くなった少年も同じ言葉を残している。法的には復讐権(報復権)があることを米国は知っている。だから現憲法を押し付けている。やられたらやり返す、大統領選挙も大東亜戦争も同じではないか。少なくともその気概は持ちたい。