大相撲観戦
■両国の国技館へ
前の方だ。桟敷席は枡席とも云われる。一般の人にはなかなかこのチケットが手
に入らない。というのは枡席のほぼすべてを「相撲案内所」と呼ばれる20軒の相
撲茶屋(お茶屋)が占有しており、これらを通してでなければ良い枡席のチケッ
トは購入することができない。場所が始まる前にチケットは馴染みの客の手に渡っ
ている。
大学時代の友人が桝席を毎年買っていた。彼から電話が掛かってきて、桝席の切
符を進呈するという。はからずも東京で独り暮らしとなっている自分の無聊を慰
めようという好意からだ。同期には珍しくまだ現役、ある会社の会長を務めてい
る。
「会社の連中には人出のある所には出かけるなと言っているのに、テレビに俺の
顔が映ったりすると大変だからさあ、貰ってくれると嬉しいんだけどな」。自分
に気を使わせまいという彼の心遣いが身に染みる。
子供のころから相撲が好きだった。銭湯の帰りに今川焼屋に寄って、一般家庭に
行った。母に連れられて行ったことがあるが、その日は小学校を休んだ。母が休
め、といったからである。その時は香川の高校の校長をしていた祖父も一緒で、
その高校出身でまだ幕下だった若三杉(のちの大豪)が祖父に挨拶に来た。
桟敷席から見た。今は亡き義父と一緒だった。相撲の思い出はつきない。
■感染症対策
国技館の周りには警備員が立って、立ち止まらないで、力士への声掛け、サイン
を求めるなどの行為は慎んでください、と呼び掛けている。例の感染症のせいだ。
入り口では入場券の半券に電話番号と氏名を書かされた。入場者数は半分の5千人
に制限されている。全員マスク着用。館内での飲食は禁止、声を出しての応援は勿
論、会話も控えなければならない。通常、桝席は4人入りであるが観客数半減であ
るから1桝に2人だ。
桝席は明和と言うから18世紀後半に江戸の芝居小屋で始まった。明治になって歌舞
伎座が椅子席になって、芝居小屋から桝席はなくなっていったが、相撲だけは残っ
た。1.5メートル4方の広さは江戸時代仕様そのまま。150センチくらいの背丈なら4人
入るが、現代人には窮屈、これにお茶屋からビールや焼き鳥が運ばれ、急須、茶碗
セットの入ったお土産袋なんか置いた日にゃ、どんなことになるか・・・。
のセットが売られていたから、まだ相撲土産にあるのだろうか。足を延ばして、のん
びりとそんなことを友人(切符を譲ってくれた人とは別)と話した。
■桝席で
長らく日本を離れていたので、力士の顔と名前が一致しない。友人の解説付きで相撲
を楽しむ。向かいにNHKの放送席が見えたので83倍望遠で解説者を撮影、知ってる顔
応援、歓声、会話が禁止されているせいで肉体がぶつかり合う衝撃音がはっきり聞こ
える。初日は力士も気合が入るというが正にガチンコ相撲。ドキドキする。取り組み
いたんだ、そう、内掛けがうまかった、お袋が朝潮が好きでさあ、あの毛むくじゃらの?
行司は立ち合いに当たってはひざを曲げ、中腰で微動だにしない。仕切りに当たって
も能のように型をきっちり守り、土俵に緊張感を与えている。
いつもなら粋筋とおぼしき和服美女が砂被りに見え、初場所に花を添えるのであるが
今年は全員マスクで和服姿は少ない。でも館内を見渡すと観客の半分以上は女性であ
る。彼女たちは白地に青く四股名が染め付けられたタオルを広げて贔屓力士を応援し
ている。同じタオルが館内のあちこちに見える。場内の土産物店で売られているので
あろう。女性たちは一番ごとにタオルを取り換えて広げる。控えめに両手を上下させ
る応援に「ワタシはスモウがスキ」の気持ちが込められている。自分と同じ気持ちを
彼女たち、いや、館内の全員が共有している。この雰囲気はやはり国技館に足を運ん
だからこそ感得できるものだ。
16人の関取が休場した初場所だから8番取り組みが少ないはず。でも予定通り6時前に
取組みは終了した。大きな袋を抱えて両国の居酒屋に入り、予定通り8時に店を追い
出された。感染症のお陰でこの日があったと思えば、人生はすべてコインの裏表と思
わざるを得ない。