チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

新年のご挨拶

f:id:hidenaka24:20210103104952j:plain

昨年11月に行った山中湖

f:id:hidenaka24:20210103105025j:plain

富士吉田から

f:id:hidenaka24:20210103105035j:plain

同上

f:id:hidenaka24:20210103105043j:plain

山中湖

f:id:hidenaka24:20210103105103j:plain

紅葉台から

f:id:hidenaka24:20210103105111j:plain

花の都公園から




新年のご挨拶

 

■まさかの昨年
明けましておめでとうございます。2021年が皆様にとりましてよき年になりますようお祈り致しております。本年もよろしくご教導のほどお願い申し上げます。

人生には坂が3つある。上り坂、下り坂、そしてまさかだ、元首相の小泉純一郎氏がよく使っていた。昨年は本当にまさかの年だった。3月に帰国し、2週間でチェンライに戻るつもりであったが、武漢肺炎のせいで各国が鎖国状態に陥った。自分もタッチの差でタイに戻ることが出来なくなった。まさか新年を東京で迎えることになろうとは想像もしていなかった。
風邪の一種だから、暖かくなればウィルスは力を失う、従って、6月のオリンピックは予定通り開催される、と楽観視する人もいれば、いやこの分では80万人が感染、そのうち40万人が死亡する、と不安を煽った医師もいる。
人間の常として、自分の希望に沿った情報を信用しがちだ。それほど流行は長く続かないのでは、と思い、成田ーバンコクの国際便の予約を何度か繰り返した。でも9月以降予約も入らなくなった。武漢肺炎を甘く見ていたわけ。
iPS細胞の山中伸弥先生が、この感染症は1年、いや2年続く、5月に一時的に感染者数がが減少した時も感染拡大の波は来る、と言われていた。1年も続いたんじゃ、いつタイに戻れるんだよ、と冷ややかに感じていたが、結局、先生の診立て通りになった。
先生は「山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信」というブログで、正しい情報発信に努められている。マスコミが広める噂についても証拠を基にした正しさの可能性分類をされている。また、超多忙の毎日と拝察するが、膨大な量の科学論文、専門家の著書を読み込んでおられ、いくつかの必読書を挙げられている。ニュースショーに出演する「専門家」は山中先生の推薦図書、論文を読んでから発言してほしいと思う。というより、専門家にセリフをつけるディレクターがまず読むべきか。

■情報は直接会話して
昨年はマスコミの能力のなさ、でたらめさが改めて明らかになった年だった。視聴率が稼げれば、発行部数が減らなければ何を拡散しようと勝手、というわけでもないでしょう。昔から「芸者、役者、記者」を3者と言って、大家さんは家を貸さなかった。収入が安定せず、家賃が滞る心配があったからとのこと。戦前の新聞社では駆け出し記者には給料が出ず、その代わり名刺を持って企業などを回った、と政治評論家、松岡英夫氏が書いていた。彼は東京日日(毎日新聞の前身)の記者だった。
江戸時代の庶民は当時のマスコミを「瓦版屋」と言って、差別とまではいわないが、少なくとも尊敬の対象とみてはいなかった。150年たってマスコミは元の地位に戻った、というべきか。売れれば真偽はどうでもいい、の本性があらわになっただけだろう。
とはいえ、マスコミでも使命感を持つ人はいる。新聞にも頑張ってもらいたいと個人的には思っている。それに今の時代は玉石混交とはいえ、情報が山ほどあるのだから、いい大人が大手マスコミに騙された、と怒るのも情けない。情報を受け身で得る、いわゆる情弱(情報弱者)は団塊世代に多いという。でも昨年、会った友人たちはほぼこの年代だが、みんな自分よりしっかりした考えを持っていた。本やネットだけではなく、人と会って話を聞く、それが大切だと感じた1年でもあった。

■日本はやっぱりいい
日本での正月は13年ぶりだ。年末から年始への移り変わり、ケジメある習わしも日本にいればこそ味わえるものがある。チェンライでは松の内であってもジングルベルが流れ、クリスマスツリーが飾られている。そういったタイの大らかさ、締りのなさを好ましく思うこともあったが、一人座して静かに吟醸酒を口に運ぶとき、ああ、日本にいてよかったとしみじみ感じる。チェンライでは日本酒、蒲鉾、昆布巻きなどの正月用品は手に入らないことはないが、あるだけありがたいと思え、というくらい選択の余地は少ないし、味もいまいち。近所のスーパーに行けば酒だけでも数十種類揃っている。日本には何でもあって、それに旨いんだよ、と外人がいつも感心しているが、全くその通り。
昨年はまさかの年となったが、日本の四季を満喫し、映画を観て、本も少し読み、一人座して考えることもあった。総てこの世はコインの裏表、悪いこともあればいいこともある。冬来りなば春遠からじ、北タイでテニスができる日も遠くないことを信じて、今年の始まりとしたい。