チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

母と二人暮らし

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母と二人暮らし

■珈琲を楽しむ
5月中旬から兄が約1月の予定で一時帰国している。弟夫婦は高松とチェンライを往復しているが、今は高松だ。母と二人で暮らしていて大変のように思われるかもしれないが、実際の介護作業はブアさんとニイさんに頼りきりなので、兄弟がいない分気楽という面もある。いつもより遅く起きて、珈琲店で挽いてもらった豆をマキネッタで淹れて、甘いミルク珈琲を楽しむこともある。

マキネッタとは沸騰した水の蒸気圧でコーヒーを抽出する直火式のコーヒーメーカーだ。100度以上の高圧の蒸気、湯を使用するのでドリップ式コーヒーメーカーよりも濃厚で風味に優れた珈琲ができる。マキネッタは1933年イタリア人アルフォンソ・ビアレッティによって発明された。マキナは「機械(マシーン)」の意味、その示小辞付きがマキネッタ(機械ちゃん)だ。イタリアでは日本の急須なみに各家庭に普及しているそうだ。簡単で頑丈な造り、使用後は水洗いするだけでいい。洗剤や酸で洗うと却って変な匂いが付く。イタリアの家庭では、何代にも渡って使われてきたマキネッタの香りを大切にするそうだ。我が家ではまだ購入してから1年に満たないからまだ珈琲渋の香りはない。それにしても常に珈琲店並みのエスプレッソが飲める身分になるとは予想もしていなかった。

珈琲の粉の仕入れ先、珈琲花園のことは昔書いたことがある。兄はこの店の自家焙煎豆を大量に購入し、友人、知人への土産に持ち帰る。知る人ぞ知るチェンライの珈琲、兄の帰国よりも焙煎豆の到来を心待ちにしている人が増えているそうだ。自分が珈琲の旨さを知ったのはタイに来てからである。今のところ、マキネッタで淹れる珈琲に充分満足している。でもそのうち友人のように珈琲の木を庭に植え、自分で収穫した豆を好みのローストになるよう焙煎し、コリコリと自分で挽いて、自分の味を追求していくという「珈琲底無し沼」に足を踏み入れるようになるかもしれない。

■車の世話
今、我が家には3台の車がある。1800侫札瀬鵑離轡咼奪、1500侫札瀬鵑離轡謄、以上はホンダ、それに1300佞離リビアン(スズキのジムニー)だ。兄弟3人揃ったときは、兄がシビック、弟がシティ、そして自分がカリビアンに乗る。車の他にも279cc のフォルツァがある。兄と弟がいないので3台の車とスクータの面倒を一人で見ている。

今時の車はすぐにバッテリーが上がってしまうことはないと思うが、1週間も乗らないと気になる。朝、フォルツァでテニスコートを往復した後は、昼食を取りに近くのそば屋へシティで出かける。午後はバナナを取りにブアさんの実家のあるロンブーまでカリビアンで行く、というようになるべく平均に乗るよう心掛けている。ガソリンやLPGの補給、セルフサービスでタイヤの空気圧の調整もする。カリビには冷却水の補給も忘れない。

三木武吉という政治家がいた。対立候補に、「4人も妾がいる、かかる不徳義漢が国政に関係する資格があるか」と批判された。ところが三木は「正確を期さねばならんので、ここで訂正しておきます。私には、妾が4人あると申されたが、事実は5人であります。ただし、5人の女性たちは、今日ではいずれも老来廃馬と相成り、役には立ちませぬ。が、これを捨て去るごとき不人情は、三木武吉にはできませんから、みな今日も養っております」と愛人の存在をあっさりと認め、さらに詳細を訂正し、聴衆の爆笑と拍手を呼んだ。

タイの男もあちこちにフェーン(愛人)を持っているのが普通、と聞いたことがある。車とバイク4台で苦労している自分には三木武吉やタイの(多くの)男のように何人もの妾を持つことなど、想像の遥か彼方である。

■介護
予め、朝食を用意しなくてもいい、といった日に階下に降りてみると、ブアさんが母の傍らで寝ている。タイは蚊が多い。殺虫剤や電気蚊取り器などいろいろ試したが、結局、蚊帳が手軽で健康に良いことに気づいた。それで母とブアさんは毎晩一つの蚊帳の中で寝ている。夜中に紙パンツを交換するにも便利だ。マキネッタで珈琲を準備する頃にはブアさんも起きて、蚊帳をたたみ、コップ1杯の水を注射器で母に飲ませる。この時は母も目覚めているのでおはようと挨拶する。ママさんの横に寝て、体に触れて話しかけなさい、とブアさんに言われてそうすることもある。今、話しかけができるのは自分だけだがついつい手抜きをしてしまう。自分は決して孝行息子ではないと思う。それにしてもブアさんの言うことをを素直に聞くようになったなあ、と珈琲を啜りながら考える。まあこれでいいのだろう。