介護ロングステイ8年5カ月
■話し掛け
6月は兄も弟夫婦も日本に一時帰国していたので、一人チェンライに蟄居していた。概ねメバーンと一緒に母の介護に専念していました、といいたいところだが、ブアさんの指示でトイレの介助、長椅子に座らせる時の補助、時間にすれば1日10分ほど手伝っていたに過ぎない。介護ロングステイというと言葉も文化、習慣も異なる海外でどんなに苦労しているのか、と思われる向きもあるかもしれない。でも食事の用意から着替え、トイレまですべてブアさんたちにお願いしている。母の変わらぬ日常が続いているのは彼女たちのお陰と感謝している。
母のダブルベッドの横にシングルベッドがくっついている。ブアさんはシングルベッド、一つの蚊帳の中で母と一緒に寝て、夜中の紙パンツ交換、時には水を飲ませたりしている。朝の衣服交換の時は「ママさーん、サバーイ、サバーイ」と明るく声をかけながら作業する。
東京に行っている間、できるだけ母に声がけするように、と兄に言われていた。日頃は兄や弟夫婦が母に何かと話しかけているが、自分がそうする機会は皆に比べ少ない。でも一人だから言い付け通りに声がけをするのであるが、ブアさんは、お兄さんのようにちゃんと横に寝て、肩をさすりながら話しかけなさい、という。「親に孝、メバーンに忠」を実践しているのですぐに指示に従う。「もうすぐ、兄ちゃんが帰ってくるよ」などと言いながら細い肩をさする。モゴモゴと何か言うが聞き取れない。「えっ、なに? よくわからないからもう一度言って」と聞き返すと、再びモゴモゴという。聞き取れないが、こちらの言うことは理解しているのかなあ、と思う瞬間である。
■贅沢な生活
兄が一時帰国している間にランパーンからチェンマイ回りで1泊、メーサーロンからチェンマイへ2泊、チェンコーン1泊の旅に出ている。他に雨季とはいえ朝に雨が降っていなければテニス、体を動かすことはそれだけでも楽しいが、下手であっても少しはサーブやリターンがマシになったのでは、という達成感がある。体力的には下り坂であるが、昨日より今日、今日より明日に希望が持てることは嬉しい。旅行にテニス、日本で母を介護していた時には考えられない贅沢である。これも母の状態が安定していて、ブアさんたちが親身に介護してくれているお陰である。
テニスは週に5,6回の頻度、1回につき6ゲーム先取の試合を2つから3つ、それに多少のウォーミングアップもあるから時間にして1時間半から2時間といったところだ。でもほぼ休みなくコートを走り回っているので、体中びっしょりになる。そのままバイクに乗ると、気化熱で体が涼しくなり、気持ちがいい。
1週間に一度の贅沢であるが、テニスのあと2時間のマッサージを受ける。近くに住んでいるマッサージ師のNさんが家に来てくれる。揉んでもらっている間にスーッと意識が遠のき、いつの間にか寝入ってしまうことも度々だ。
■肩もみ
母は肩凝り性だった。子供の頃、肩もみをよくやらされた。肩叩きは頭痛に響くと言ってあまり好まなかった。タイマッサージを受けていると肩凝りに悩んでいた母を思い出す。ああ、こういう風に肘を使って延ばすように筋を押せば、母の凝りも軽くなったのになあ、と思う。子供の力でも肘を使えばかなり効いたのになあ、と今、自分だけいい思いをして申し訳ない気持になる。
タイの子供はよく両親や年寄りにタイマッサージの真似ごとをするらしい。農作業で疲れたお父さんの足や背中を足で一生懸命踏んであげる。終ったあとお父さんが1バーツくれる。それが嬉しくてしょうがなかった、そんな話をブアさんから聞いた覚えがある。
マッサージとは多少違うが、週に6日、整体師が家にやってきて母に整体を施してくれていた。3,4年続けたが目標の自立歩行はかなわず中止した。
■社会的費用
薬は全く飲まず、整体もやめたので医療費は全くかかっていない。2014年の調査によると日本の認知症患者数は約500万人、社会的費用は14.5兆円と、国民医療費全体の3分の1を占めていると推計されている。(厚労省認知症対策総合研究事業)
日本にいたら母も数種類の薬を処方され、相当な介護支援を受けていただろう。また老々介護で我々兄弟も介護鬱になって、向精神薬や胃腸薬を飲み、兄弟仲が悪くなっていたかもしれない。
お国の社会的費用軽減に多少なりとも貢献し、親子息災に暮らせると思えば、チェンライでの介護ロングステイはそう悪くないのではと思う。