介護ロングステイ9年4カ月
■薬と整体
チェンライに来て9年4ヶ月経った。ここ数年、母の生活はほとんど変わらない。以前のブログを読み返してみると2014年11月に抗認知症薬、並びに付随して飲む胃腸薬、ビタミン剤をすっぱりやめた。やめて悪い影響があったかというと全くなかった。認知症の薬は抗精神薬の一種であるから、中枢神経系に作用して精神活動に何らかの影響を与える。タイ人とはいえ医者の言うことだから、と信用して飲ませていたが、日本の医師に投薬内容をみてもらったところ、こんなに強い薬を大量に飲む例は日本ではあまりない、と呆れていた。確かに興奮して大声を出したり、時には失神したりといった副作用があった。薬をやめてみたら、興奮することが少なくなって、ブアさんたちが「ママさん、よくなってきた」と喜ぶくらいだった。日本でも認知症薬の投与量は難しいものらしい。それに認知症に効く薬は現在に至るまで「無い」というのが実情だ。その意味では認知症患者を診る医師の苦悩には同情してしまう。
それにしても薬を飲まなくなってから、やっと安楽な日々が母に訪れたように思う。薬をやめてからも毎日、整体師に家に来てもらい、母の手足の曲げ伸ばしなどをしてもらっていた。母は左大腿骨を骨折したことがあり、足に金属が入っている。骨は加齢によって縮むが金属は縮まない。それで左足は曲がっていて延ばすことはできない。足の曲げ伸ばしの時は大声を上げていた。もしかしてまた歩けるようになるか、と始めた整体だったが薬と同様、母に苦痛を与えただけだったかもしれないと少し悔やんでいる。
■医師として、患者として
2017年11月16日読売新聞に掲載された『認知症 ありのままの僕』と題したインタビュー記事を読んだ。認知症診断の物差しとなる「長谷川式簡易知能評価スケール」を開発された精神科医、長谷川和夫先生が「長い診療経験から、自分が認知症であることに間違いない」と発病を公表されている。87歳の時に異常を自覚し、後輩の医師に見てもらった結果、「嗜銀顆粒(しぎんかりゅう)性認知症」と診断された。この病気は嗜銀顆粒という粒が脳に増えて、物忘れが出る。進行が遅いが、記憶障害、怒りっぽなる、妄想、不機嫌になるなどの症状が出る。80代から90代の人が罹る。80代後半では40%の人は認知症患者と言われているから、長寿のおまけの病気と言えるかもしれない。
半世紀にわたって認知症の診療と研究に当たってこられた第一人者が、認知症と診断される。
「ショックかって? 年をとったんだからしょうがない。長生きすれば誰でもなる。ひとごとじゃないってこと。100歳を超えてピカピカの人もいるが、時間の問題だと思う」。そして、「完全な治療薬が待たれるが、脳の神経細胞は加齢で自然の経過として壊れていくのだから、人為的に、完全に食い止めるのは限界があると思う。副作用が出る恐れもある。だからありのままを受け止めることがより大切だと思うんだ」と冷静に受け止めておられる。
「この先、自分がどうなるかはわからない。自分や身近な人のことがわからなくなったらどうしようという恐れはある。でも、落ち込んでいるより、人と話してみるなど、一歩踏み出すことが肝心。宗教や祈りも力を与えてくれる。自分にできることをしながら、あとは運命に任せる、今を生きていく。そう思っているんですよ」。
■自分に真似ができるか
「他の人からの支えを受けなければ、何もできない。そういう気持ちを持って、お願いしながらやっていく。未来は不透明だと覚悟して、腹をくくって一日一日を大切に生きていく。自分のできる範囲で、人の役に立つことをやってみようと思う。」
先生はデイケアのサービスを受けて、若い介護職員の心遣い、仕事ぶりに感謝している。
母の入所候補の施設を見学したことがある。車椅子の老人が集められて、20代の男性職員に「さあ、大きな声で歌いましょう、はーるをあいするひーとは・・・」
と歌唱指導を受けていた。孫でもない子に「お爺ちゃんも一緒に歌いましょう」などと言われたら、自分だったら不機嫌に黙り込むのではないか、と思った。
でも、長谷川先生だったら笑顔で唱和されるのだろう。感謝の気持ち、前向きな気持ち、思いやりの気持ち、それがあれば一緒に歌を歌うことも楽しいはずだ。長谷川先生に比べ、自分はひねくれた性格だと反省してしまう。
お母さん、もし施設でお世話になっていたらみんなと一緒に歌っていたかな、と母に聞いてみたい。でも聞いたところでもう答えは返ってこない。