チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ラクな商売ではない

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ラクな商売ではない

■時事解説番組
タイの田舎に蟄居するえならぬ身の上、政治情勢に悲憤慷慨しても、また世界経済の行方を案じても仕方がない。こんなこと書いて何になんだよ、と自分で思うこともある。

競馬や競輪など賭け事が好きな人は、こう来れば、ああ来るから、この組み合わせしかない、と勝負を推理することが楽しいという。釣りそのものより、釣り道具の仕掛を準備している時間のほうが心躍るという人もいる。何か事件が起こると、どうして、またどういう影響が、と考えることがあるが、それはギャンブルや釣りと同じで、自分の思惑と結果の乖離、または一致のプロセスを楽しんでいるともいえる

歴史問題であろうが、国際経済の動向であろうが、PCが1台あれば、新聞記事、論説、コラムが読めるし、ユーチューブでいろいろな人が詳しく丁寧に解説をしてくれる。
自分の情報源としては、ヤフーニュース、産経、朝日、読売、ラジオでは、くにまるジャパン、おはよう寺ちゃん活動中、ザ・ボイス、そこまでいうか、デイキャッチなど、ユーチューブでは日本文化チャンネル桜、真相深入り虎の門ニュースなど。放送時間が2時間を越える番組もある。新聞を読み比べて、ラジオを聞き、ユーチューブを見ているだけで1日過ぎてしまう。そこまで言って委員会、ズームインといったテレビ番組もあるが、得てしてテレビは解説が表面的で深さがなく、物足りないのであまり見ない。

■コメンテータ評論家
舛添問題であれば猫も杓子も舛添問題、英国のEU離脱といえば全メディアが経済問題一色、参院選なら選挙の見通し、結果、同じような解説者が同じようなコメントを述べる。でも人によって見方、深さが多少異なる。世の中に、解説番組を数種類、 1日中視聴している人はあまりいない。更にコメントを比較、評定してこの人は良い、この人はダメと偏見、独断を下している性格の悪い視聴者は多くないだろう。ずっとこれを続けているのだから、コメンテータ評論家を名乗ってもいいくらいになった。個性的なコメントを、と思うのだろうが、あまりに的外れで、思わず「お前はバカか」とおでこをピシャリと叩きたくなる解説者もいる。かと思えば、「たのしみは戎夷(えみし)よろこぶ世の中に皇國(みくに)忘れぬ人を見るとき」と共感する人もいる。

相撲やプロ野球を観戦しているとき、立ち合い直後は突っ張りで、そのあと上手を取って四つに持ち込んだほうが、とか、ここはスライダーで1球外角に外し、次は内角に鋭く曲がるカーブでいかなきゃ、などと解説する人がいる。
でも、その人に、じゃ、お前、土俵に、あるいはマウンドに上がってやってみろ、と言っても、できるわけない。

■3つの必要条件
エラそうなことブログに書いてるけど、お前、ラジオで解説者やれるか、と言われても相撲や野球と同じでできるわけない。プロと素人は違う。

解説者になるには3つの能力が必要だ。先ず、見識の前に、声が爽やかで、聞きやすくなければいけない。チャンネル桜に、だみ声の解説者がいる。言っている内容はそれほどおかしくはないのだが、声を聞いているだけで不愉快になりスイッチを切りたくなる。

2番目は、何を聞かれても、脊髄反射のように即座に返答できる能力だ。自分がシンクタンクに勤めていたころ、コメンテータとして活躍していた人として、島田晴雄竹中平蔵国分良成などの慶應の先生たちが思い出される。竹中先生はあちこちのシンポジウムで拝見したが、フロアからの質問に対して、間髪を入れず、当為即妙の答えを返していた。学者としてはともかく、あの反射能力には驚嘆した覚えがある。
京都大学に佐伯啓志という思想的にも経済学の学識においても傑出した先生がおられる。時折、新聞、雑誌に寄稿されるが、いつも啓発される。密かに尊敬している佐伯先生であるが、テレビ、ラジオにはお出にならない。と言うのは、質問が振られると、それは、・・・・と言って沈思黙考にはいられるからだ。これでは番組にならない。

3番目は見識とその伝達能力である。ネットには即座に視聴者が書きこむ。アナウンサ―をからかうのが能じゃない、不勉強過ぎる、何を言いたいのか、とか全く容赦がない。4月の番組改編で、こいつはなあ、と思っていた解説者のうち、何人かはクビになった。
新しい解説者の中には目立とうと思うのか、「アベガー」と敬称なしで首相を貶す人もいる。そういう人に限って、コメントが面白くないと思うのは自分の偏見であろうか。解説者の良し悪しは誰にでもわかるから淘汰は激しい。ラクな商売ではない。