望遠で船名が読めた。
公園のベンチもソーシアルディスタンス
レインボーブリッジ
望遠で橋を撮影
■夜半の目覚め
年齢とともに睡眠は変化する。健康であっても高齢になると睡眠が浅くなる。夜中に目が覚める。早朝に目が覚める。早寝早起きは老人の常である。眠りが浅くなることは、白髪やしわが増え、体力が落ちるといった加齢現象の表れで、病気とは言えないそうだ。
自分も深夜、早朝に目が覚めて、トイレに行く。寝床に戻ってもなかなか寝付けない。そこで携帯を取り出して、ユーチューブを聞く。保守系論客のニュース解説を聞くことが多い。地上波、新聞、野党はバカではないか、我が日本の将来はどうなるのか、と次第に興奮してきて、更に眠れなくなってしまう。ただし、経済評論家の上念司氏の解説は聴いているうちに眠くなってくる。
上念さんの話の内容が退屈というわけではない、時折、それ違うよ、と思うこともあるが、かなりまっとうなことを述べている。ただ彼の場合、滑舌がいいし、メリハリの利いたしゃべり方なので、なんとなく神経が休まってきて眠くなる、こういうことらしい。
■情弱
上念さんは新聞とテレビだけが情報源という老人を情弱(情報弱者)と批判している。世の中、65歳以上の老人の半分は情弱らしい。
「我々は大ぜいが言うことを、共に言う存在である。この世の中は、自分で考える力のあるひと握りの人と、自分では考える力がなくて、すべて他人に考えてもらう大ぜいの人から成っている」と山本夏彦翁は言っている。昔から情弱はいたようだ。また同時に、翁は「情報はいくらあっても肝心なことは書かない。それをかいつまんで言うのがジャーナリストの務めなのに、言ったためしがない」と書いている。事実をかいつまんで言うどころか、でたらめを言うのがマスコミだ。そのでたらめをオウム返しにしゃべる人は少なくない。
パンデミックの報道でも、「無対策だと」という前提付きではあったが、重篤な患者が日本国内で約85万人に上り、このうち約半数の40万人程度が死亡する恐れがあるとの試算を流し、人々を不安に陥れた。4月半ばのことである。7月にも「あと1月もすれば目を覆うような被害が広まっている」という医師の発言をマスコミは繰り返した。感染者が増えたら感染者激増、死亡者が増えたら死亡者増加、と不安を煽る。海外と比べて死者はどうなのか、感染者の増加率を示す実効再生産指数は1以上かどうか、など統計や科学的根拠は示されない。
2018年に熱中症で亡くなった人は1581人、そのうち65歳以上の老人は1288人となっている。他にも交通事故で亡くなる人、年間4596人、転んだりして亡くなる人、年間9645人、インフルエンザをこじらせて亡くなる人、年間約1万人という数字がある。だから、武漢肺炎は怖くない、亡くなった人は仕方ないとは言わない。確かに身近な人や自分の生死は大事であるが、社会的にみれば、それほど大きな問題とは言えないのではないか。
■利益第一、良心第二
テレビも新聞も商売である。売れなくては何もならない。視聴率、販売部数を上げるためには視聴者、購読者が求めるニュースを提供する。顧客は不安を、恐怖を求めている、となればその方向に流れる。視聴率、販売部数が伸びれば広告主も喜ぶ。倫理的に問題があるかもしれないが経済合理性はある。
テレビのコメンテータ、新聞の寄稿者もお金を貰っているのだから、広告主、ディレクター、編集長の意向に反することは言えないし、書けない。
ショーン・Kの出演料は一回50万円だったという。ディレクターに「こう言って下さい」と言われれば、次回のこともあるから、指示に従うのが普通だ。俺はそんなハシタ金で良心は売らない、という人もいるかと思うが、自分だったらカミさんや子供が喜ぶと思って受け取るだろう。全くチャンスはなかったが、政府高官とか政治家にならなくてよかった。あっさりハニートラップやワイロに引っかかったに違いない。
自分がそういう人間だから、故意に世を不安に陥れようとするコメンテータやマスコミ人を声高に非難する気になれない。
■自分も情弱
上念司さんによると、情報はいくらでも流れている、でもその中からこれは、という情報を拾い上げる、それが大切という。情報は玉石混交だ。確かな情報を拾い上げてストーリーを組み立てるには多少の能力がいる。上念さんはじめ多くの保守論客は、必要な情報を集めてそれをかいつまんで説明してくれる。そういったユーチューブに頼っている自分は、あまり自分の頭で考えないという点で、マスコミに振り回される情弱とそれほど変わりがないのではないかと思う。
一人暮らしのよくない点は「反省癖」がつくことである。