チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

夏が来れば思い出す

f:id:hidenaka24:20200821172637j:plain京浜島から羽田空港を撮影

 

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羽田に着陸するJAL機、望遠撮影

 

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着陸機を撮影するために来ているオタク

 

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お台場海浜公園

 

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海浜で遊ぶ高校生4人連れ

 

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海浜で遊ぶ子供


夏が来れば思い出す

 

■都々逸
「夏やせと人に答えてほろりと涙、捨てられましたと言えもせず」。夏になると思い出す都々逸の一節だ。都々逸(どどいつ)とは、江戸末期に初代の都々逸坊扇歌(1804年-1852年)によって大成された、口語による定型詩。七・七・七・五の音数律に従う。元来は、三味線と共に歌われる俗曲で、音曲師が寄席や座敷などで演じる出し物であった。 主として男女の恋愛を題材として扱ったため情歌とも呼ばれる。

自分が若いころ、柳家三亀松という都々逸、三味線漫談家がいて、ラジオやテレビに出演していた。粋談を得意としていて、花柳界ではおおモテだったらしい。随筆家の山本夏彦翁は、三亀松を「ホルモンぽたぽた」と嫌っていたが、都々逸は巧かった。チェンライに持っていったUSBの中に、三亀松師匠の都々逸全集のCDコピーが入っていたから、自分でも聞いていた時期があるのだろう。
そういえばラジオ、テレビで寄席芸能が放送されなくなって久しい。都々逸は色物であるし、こういったお座敷芸は廃れてしまったのだろうか。

都々逸など聴いたことがない、という人でも
・三千世界の 鴉を殺し ぬしと朝寝(添い寝)が してみたい
・立てば芍薬 坐れば牡丹 歩く姿は 百合の花
・ざんぎり頭を叩いてみれば 文明開花の音がする
・諦めましたよ、どう諦めた、諦めきれぬと諦めた
・恋に焦がれて鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす
といった都々逸をどこかで耳にされたことがあるのではないだろうか。

この暑さでもビールが美味しくて夏痩せとは縁のない生活である。飲みながら、振られて痩せる思いをしてもよかったかなあ、などと考えることがある。「こうして、こうすりゃ、こうなるものと、知りつつ、こうして、こうなった」という人生でもなかった。そんな自分に相応しい都々逸を一つ。
「くじも当たらず出世もなくて 今日を生きてる運のよさ」。

■映画の迫力
3月初旬の帰国以来、観にいった映画は20本近くになる。ネットの評価を参考にして映画館に足を運ぶ。実話をもとにした深刻な映画もあるが、こんなのありえねーだろーといったアクション映画もある。でも評価の高い映画はそれなりに感情移入できてハラハラドキドキする。「ダークナイト」は悪のカリスマ、ジョーカーと正義の味方、バッドマンとの闘いである。格闘シーンでは自然に手足がぴくぴく反応してしまう。

ヒロインがジョーカーに高層ビルのてっぺんから突き落とされる。キャー。するとバッドマンが高層ビルから身を躍らせて、落下しつつあるヒロインにたどりつき、地上に叩きつけられる寸前に彼女と共に地上にすっくと立ちあがる。こんなのニュートン運動方程式からいってもありえねーだろー。
アクション映画は絵空事だから、こんなことにいちいち目くじら立てるものではない。おー、すごい、びっくりした、それでいいのだと思う。事実、この場面では興奮した。

絵空事と感じさせないためには
最近、友人が「知り合いの女性が出した短編集ですが」と言って一冊の本を呉れた。遺産相続をめぐって三姉妹が血みどろの争いをするという話で、小説としてはなかなか面白かった。でも登場する三女性の表情や性格が掴みづらくてどうも感情移入ができない。小説も映画と同じく絵空事ではあるが、それを現実のごとく読者に訴えるには文章力が必要と感じた。

2つ目のバンコクを舞台としたほろ苦い恋愛小説も読んだ。でも、ヒロインが「チャオプラヤー川を遡って、やがて舟はメコン川へと入っていった」というくだりには、なんだよー、と思わざるを得なかった。チャオプラヤーメコンもタイを流れる大河であるが全く別の川である。隅田川を遡って、やがて舟は最上川へと入っていった、というに等しい。
おそらくこの本は自費出版なのだろう。編集者がついていたら作者は決してこんな間違いを犯さなかったと思う。絵空事ではあっても初めから間違いと分かることはファンタジー小説でない限り許されない。

と、書いてきたが、自分とて人の批判ができるような身分ではない。しがないブログを書いているが、読者にミスを指摘されることは多々ある。思い違いもある。メール配信のほうは直しようがないが、ブログは後で気が付いて、こっそり直すこともある。
ミスはともかく、ウィキなど引用元を明示しないままコピペすることがある。ネットにきれいな写真があれば無断借用もする。カメラ性能をいいことに、無断でポートレートを撮影する。そのうち逮捕されるか。

「粋な話で始まるブログ、野暮な懺悔で尻すぼみ」、今回は都々逸(のつもり)で終わります。