チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

プレー旅行(1)

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プレー旅行(1)

■モーホーム
モーホームは北タイの作務衣と呼ばれる丸首シャツだ。日本でもネット販売されているが品切れとなるほど人気がある。モーホームのモーは甕、ホームは藍色を意味する。木綿布を甕に入ったインディゴ液に浸し藍色に染める。北タイでは作業着兼正式礼装として農業従事者の仕事着から公務員の制服まで幅広く愛用されている。

チェンライの市場にある皮細工の店で、デジカメや携帯電話が独立収納できる肩下げバッグを作ってもらったことがある。中西デザインで世界に一つしかない。この皮細工店の店主がモーホームを腹掛け半纏の如く粋に着こなしていた。それを見ていつか自分もモーホームを、と思っていた。これ一着あれば作業着から礼服まですべて間に合う。モーホームはシンプルなデザインで飽きが来ないし、木綿だから肌触りもいい。洗いを繰り返すうちいくらか色落ちするが変化する藍色も風情があっていい。ジーパンと同じで着古してくれば却って風格が出てくる。

昨年、弟夫婦とナーンへ行った時、土産物店でモーホームを見つけ、半袖とズボンの上下を購入した。値段は上着が200B、ズボンが200B、合わせて400B。まあ正式礼装が1300円くらいで買えたと思えば嬉しい。以来、旅行や日本人会の集まりにはモーホーム着用で行くことが多くなった。若いころから服装には無頓着だった。今は短パンと洗いざらしのTシャツが普段着だ。でもモーホームを着ると姿勢がピンと伸びるような気がするし、皆がいいじゃないのと誉めてくれる。

そうこうするうちに、モーホームの生産地は北タイのプレー県と聞いた。プレーにはモーホームを売る専門店が軒を連ね、値段も手頃、それに藍を栽培し、その葉を使用して天然の藍染を行なっている工房もあるらしい。年を取ったら先ずは身だしなみ、少し高くてもホンモノを購入するか。

■プレー県
プレーはチェンライから約240キロにある北タイの県だ。面積は約6500平方キロある。東京都(2191平方キロ)と埼玉県(3798平方キロ)を合わせた面積よりも広いのだが、県人口はわずか46万人。ヨム川が流れる平野部を囲むように山が迫り、面積の70%が森林というから、人口が少ないのも仕方ないか。

北タイの古都はすべて川のほとりにある。川を遡って人々が移住、あるいは侵攻してきたのだろう。プレーは15世紀にランナー王国に併合された。それまではモン族の王国があったらしい。ランナー王朝のモン族平定を記念して「プレー(勝利)」と名付けられた。ランナー王国のあとはビルマ支配下にあった。今は静かな忘れ去られたような街であるが、19世紀末から20世紀初めにかけてチーク材伐採で大いに栄えたという。プレーで切り出されたチーク材がヨム川からチャオプラヤー川へと運ばれ、バンコク造船業を支えた。古くからの王国であるから、城壁や濠が残っているし、北タイ有数の古寺もあまたある。でも鉄道は通っていないし、チェンマイからバスで4時間半かかるという不便さから、見どころ満載の場所でありながらそれほど観光客は多くない。

プレーには3度ほど行ったことがある。ビルマ様式の寺、ワット・チョム・サワン、プレー国王の屋敷であったウォンブリハウスは記憶にあるが、ナーンへの通り道という位置づけであったためか、あまり観光に時間を割いていない。北タイのランパーン県も何度か通ううちに、洞窟とか先史時代の壁画など、それまで見落としていた場所を訪れるようになった。犬も歩けば棒に当たる。行けば何か面白いことがあるに違いない。

■新たな目的地
毎日、午前中はテニス、午後はブアさんの買物の運転手。テニスは楽しいし、健康にもいいからコートに行くのは何でもない。でもブアさの命令に従って買出しに行くのは、生活上、また母の介護に必要不可欠な品々を買うため、と分かっていても毎日となるとうんざりする。プレーへの一泊旅行は運転手業を2日休める。何となく嬉しい。モーホーム購入は旅行目的としては従となるのかもしれない。

さて、行くにあたってネット検索をするうちに、プレーが戦時中、抗日運動の拠点だったこと、セーリータイ博物館に抗日活動や歴史的資料が展示されていることを知った。パラドーンホテルの駐車場内に博物館があるという。このホテルの前を何度も通っているが博物館があるとは知らなかった。

タイは米英に対し宣戦布告し、日本の同盟国として戦ったが、1945年8月15日にこの宣戦布告を無効にすると宣言し、いつの間にか戦勝国の一員となった。この変わり身の鮮やかさを解明する鍵がこの博物館にあるのではないか。行ってみる価値はある。(続く)


写真はモーホーム、ワット・チョム・サワン、ウォンブリハウス