チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ご近所の葬式へ(2)

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ご近所の葬式へ(2)

■仕出し料理
僧侶たちのお斎が終わる頃、テント下で待機していた一般参加者の食事が始まった。僧侶とはまた別の料理が10種類ほど供される。バイキング方式である。外人対象ではないからすこぶる辛い。ラープ(香草入り挽肉)には大袋から唐辛子粉が大量に投入され、近くにいた人は思わずくしゃみの連発、舌で味わう前に鼻で味わうということか。
朝食の後だったので、それほど多くは食べられなかったが魚フライやココナツカレーが美味しかった。民主党政権下、海外公館の予算が削られたあと、チェンマイ日本総領事館主催の新年宴会に出席したことがある。あの宴会の料理よりナーさんのお斎のほうがよっぽど豪華で美味しい。

ブアさんがケータリング会社の料理長を紹介してくれた。母が亡くなってもそれほど会葬者はいないと思われるが、この味ならば少人数でも依頼しようかと思ったくらい。

■野辺送り
お棺は屋外の台車に安置されていた。台車にはバス待合室のようなパサートと呼ばれる小屋があり、その中に生花で埋め尽くされたお棺がある。一度家を出た死者の霊魂が戻らぬよう、仮小屋を作り、小屋と共に焼き場まで運ぶのである。小屋の中には生前故人が愛用した品々もおかれる。台車の前に遺影が飾られ、小さな祭壇があってここで太い線香を上げる。3日目にして初めてお線香をあげた。お棺入り小屋の前で皆ひっきりなしに写真を撮る。いくらタイ人が写真好きといっても自分のような外人にはちと不可解、喪主のナーさんは参会者とのツーショット、集合写真に席の温まる暇もない。

自宅に戻って休んでいたら、11時半にブアさんが、さあ行きますよ、と呼びに来た。お棺が安置された台車を、坊さん20人を先頭に関係者約100人が引っ張っている。日本の祭りの山車を引く要領であるが、実際は行列と台車の間のピックアップトラックがあるので、坊さん以下全員が縄を掴んで歩いているだけである。トラックの荷台には機関砲のような筒が据えられていて、そこから断続的に花火が打ち上げられる。白い煙と雀脅しのような爆発音が響く。大音量のタイ民族音楽も流れる。行列は国道を通行止めにして進む。10分位なら一般の運転手も我慢するようだ。

30分ほどでノーンタオ寺付設の火葬場に一行が到着した。パサート入りのお棺は焼き場の前に置かれ、これをバックにグループごとに写真を撮る。喪主のナーさんはサングラスに黒の喪服のシックないでたち、笑顔で皆との写真に収まる。この写真撮影だけで30分はかかった。葬式であるのにナーさん始め、泣く人がいないのは何故か。ブアさんの説明では、ナーさんは2年も寝たきりのお母さんの面倒を見たので満足しているからとのこと。葬儀で笑っても決して不謹慎ではないようだ。

■釜前
荼毘にふす直前にあげるお経を「釜前」と言って、日本であれば10分ほどで終わる。タイの釜前は100人ほどの坊さんが集まり、丁寧で長いお経をあげる。遅れて一人の老僧が到着すると200人を超す一般会葬者から軽いどよめきが上がった。名刹ドイ・トゥンの住職とのこと。

お棺を前に僧侶に袈裟を献納する儀式が行われた。そのあとパサートから降ろされたお棺は焼却炉の前に移され、棺の前に祭壇がおかれた。焼却炉まで階段を10段上る。偉い人は造花を、自分たち一般参列者はあらかじめ配られたドークチャンという目玉のオヤジか視力検査で片目を隠すしゃもじ状のものを祭壇に供える。階段を上がる参会者に節分の豆まきのようにリボンにくるまれたものがばらまかれた。中身は1B硬貨が2枚、5B入りのものもあった。祭壇を右に降りると、会葬御礼として、ビニール傘が渡された。

■散文的
焼却炉の扉が開けられた。耐火煉瓦造りだろう、奥行き2m足らず、高さは60cmほどの半円状。台座と蓋を外されたお棺はその中に納められた。お棺の中に造花とドークチャンがザラザラと入れられた。寺男がプラスチックボトルに入った灯油を棺の中へどぼどぼと注ぎ込んだ。ガス釜であるから必要はないのだろうが、坊さんが松明で形ばかりに火をつける。棺から煙が出たところで釜の蓋が閉められた。それを合図に、野辺送りから始まって3時間にわたる葬儀が終わった。三々五々、坊さんも参会者も会葬御礼の傘を日傘代わりにさして帰る。2時半だから日差しが強い。遺灰になるのは翌日だが親類の人も行かないだろう。遺灰は寺男によりお寺の花壇に撒かれて終りだ。

日本であれば「限りなく悲しかりけり鳥辺山 亡きを送りて帰る心は」としんみりとした心になるのであるが、ここはタイ、何処までも散文的である。

写真は上から
「おとき」「野辺送り」「火葬場」「ナーさん記念撮影」「参会の僧侶」「参会者に小銭」「窯」