■ところ変われば
冠婚葬祭と言われるが、中でも葬制は、宗教はもちろん、民族、地域により様々である。「民俗調査ハンドブック」(吉川弘文館昭和62年)に掲載されている民俗調査質問文例集には
・死後ただちにどうするか
・死の通知は誰が何人でどのように行うか
・近親者の禁忌にはどのようなものがあるか
・葬儀の準備、執行は誰がどのように分担して行うか
・出棺の際の作法にはどのようなものがあるか
から始まって死後の供養、先祖祭祀、墓制など事細かに40-50項目の質問が例示されている。タイ語ができれば、観察と聞き取りで10本くらい原稿が書けるのであるが、民俗学者ではないのでそこまではやらない。
タイの葬儀に興味があるのは、そう遠くない将来、母が最後の時を迎えた時、どうするか、という目で見ているからだと思う。ブアさんにお布施の額や仕出し料理の価格を確かめたのは、現実的な必要性があってのことである。昨年8月に友人が事故死した。日タイ折衷の葬式であったため、多少面食らった経験も影響している。
まず、遺骨が必要かどうか。タイでは原始仏教に近く、魂の抜けた「肉体舟」にはさほど関心がない。一方、日本の慣習では道教(神道)の影響があり、遺体は尊重すべきものであり、葬儀では「仏」となった遺体に向かって合掌する。また先祖代々の墓があるから遺骨がないことにはハナシにならない。タイ式に完全に灰にして、お寺の花壇に撒いて下さい、という人は少ないだろう。荼毘に付すときに、タイ式のウェルダンでは完全に灰にされて骨が残らないから、あらかじめ寺男に「ミディアムレアでお願いします」と言っておかなければならない。
■片棒
古典落語の演目の一つに「片棒」という噺がある。石町に店を構える赤螺屋の主人・ケチ兵衛が3人の息子に「私が死んだらどんな葬式を出してくれるのか」と尋ねる。長男、次男は派手な葬式を考えていて主人をあきれさせる。
三男は兄たちと反対に極端なケチで、「出棺は11時と知らせておいて、本当は8時ごろに出してしまえば、お客様のお茶菓子やお食事はいらないし、持ってきたお香典だけこっちのものにすることができます。棺桶は物置にある菜漬けの樽を使いましょう。樽には荒縄を掛けて天秤棒で前後ふたりで担げるようにします。運ぶ人手を雇うとお金がかかりますから、片棒はあたくしが担ぎます。でも、ひとりでは担げませんから、やっぱりもう片棒は人を雇ったほうが」ここで主人が三男を制し、
「心配するな。片棒は俺が出て担いでやる」
この噺が暗示しているのは、葬式は当事者の自分ではできない。残されたものが世間体(と懐具合)を気にしながら行うもの、ということだ。
■頭の痛いこと
タイで葬式を執り行う場合、会葬者の数、顔触れも予測できるし、お寺、葬儀関係のスペシャリスト、ブアさんがいるので心強い。ブアさんは、ご主人の自分が貧乏なことを知っているので、あまりお金をかけず、かといってみなさんに失礼のないしっかりしたタイ式の葬儀を考えているようだ。お寺で行う場合、自宅で行う場合、いずれにしてもブアさんに連れられて、いろいろなお寺に行き、住職といい関係を作っているので、坊さんは沢山来てくれるはずである。
問題は我が家の菩提寺での本葬である。墓のあるお寺は品川区にある我が家から歩いて5分のところにある。方丈とは古い付き合いだ。一緒に酒を酌み交わした機会は数知れず。方丈は2年前お弟子さん2人を連れてチェンライに母を見舞ってくれた。
その折、一応、葬儀はこちらで執り行いまして、遺骨を日本に持ち帰った時、近親者のみで納骨式かなんかを、という趣旨の話をした。すると方丈が、まるで長男、二男の葬儀計画を聞いたケチ兵衛さんのように激昂した。当然、本葬は方丈である自分が日本で盛大に執り行うもの、と思っていたようだ。慌てて、葬式は日本でも、と言ったがご機嫌は直らない。こんなに怒るのは、菅直人元首相と同じ都立K高校出身だからか。ちなみに兄も同じ高校で菅さんの1年先輩。
個人的に世間一般の高額な戒名料に疑問を持っていた。日本にいた時に「戒名の付け方」という本を都立中央図書館から取り寄せてもらった。戒名の歴史や約束事の丁寧な解説があった。実はこの本を熟読玩味して母の戒名を自分で作った。酒を飲んでいたし、あ、戒名も一応用意してありますから、と言ったのもよくなかった。
昨年、帰国した折、改めて謝罪したがご機嫌は直っただろうか。冗談にも「タイ式に散骨して終りにします」などと言わなくて良かった。
写真はナーさんのお母さんの葬式から。ラープと唐辛子、お斎、野辺送り、袈裟贈呈儀式、会葬御礼の傘、葬式帰り