チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

スクータでラオス旅行(3)

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

スクータでラオス旅行(3)

地震お見舞い有難うございます。
タイ時間の5日午後6時9分ごろ、北部チェンライ県パーン郡を震源とするマグニチュード(M)6.3の地震があり、タイ北部、バンコクのビルの高層階などで揺れが感じられた。 
タイ気象庁観測史上でも最大級の地震であったという。被害は倒れた塀の下敷きになっておばあさんが一人死亡、他に20数人が怪我をしたそうだ。5日夜から6日朝にかけて60回以上の余震があり、そのうちM5の余震が7回。余震を恐れて戸外で寝たタイ人もいた。

タイのテレビより早く、日本のヤフーニュースでチェンライの地震が報じられ、日本の友人知人からお見舞いのメールを頂いた。ご心配いただき厚く御礼申し上げます。我が家は何も被害はなかったが、チェンライの観光スポット、ワットロンクン(白いお寺)では寺の尖塔が傾いてしまった。芸術性を追求するあまり、耐震性を犠牲にしたのか。

北タイは東ヒマヤラ山系の北端にあり、今でも造山活動が活発で各地に温泉が湧きだしている。地震はタイに来て2度目の経験だが、建物が耐震構造になっていないから、日本より怖く感じる。

■再びラオスの話へ戻る
ラオスの入国管理の係員に何度も尋ねた。このスクータでフエサイの第4友好橋を渡って、タイに入国できるかどうかと。答えはOK。ということはルアンプラバンからウドンムサイ、ルアンナムタ―を通ってフエサイに出て友好橋を渡れば、我が家に1時間余りで到着する。通過する街は行ったことがある。まあ、初めてのバイク旅行としては、安心且つ穏当なものだろう。

ラオスの国境を越えたのは4時である。この日、朝8時に出発したから、少なくとも6時間以上運転している。暑季の体温より高い熱風を浴びてのツーリングであるから思ったより消耗しているかもしれない。ホテルかゲストハウスがあれば泊まろうと思ったが、西ラオスは山の中、時折、竹壁と草ぶき屋根のしょぼい家が数軒ある部落を通り過ぎるが、こんなところにホテルなどあるはずがない。1時間ほど走ると突然目の前に巨大な構築物が現れた。紡錘形で先端が切れている。ウズベクで見たことのある火力発電所のボイラーだ。2基は完成し、3基は建設中だ。

後で知ったが、ラオスには埋蔵量6億トンを越える石炭がある。その石炭を利用して西ラオス、ホンサにラオスとタイの合弁による火力発電所建設のプロジェクトが進められている。ちょうどその建設現場近くを通りかかったわけだ。この近くには必ず町があるはずだ。もう5時だ。ここを逃したら、山道で日暮を迎えるかもしれない。

■やっとGHへ
中国語の看板のある食堂や飲み屋街の先に村があった。中華料理店が多い所から、発電所の建設作業は中国のコントラクターが行っていると知れた。村人が道にテーブルを出して酒を飲み、カラオケで大騒ぎしている。ソンクランを過ぎて3日も経つのに、まだ水掛け祭りが続いているのだ。ラオス人は慎み深いから突然、冷水をぶっかけることはしない。遠慮がちに、天花粉を溶かした白い水を掛けてもいいか?といった仕草でこちらを見る。片手で放水を制止しながら、村の中をゆっくり走る。やっと一軒GHを見つけた。受付はなく、声をかけても誰も出てこない。入口横の壁に各部屋のベッドの写真が飾られている。ラブホテルのようだが、選択の余地はない。困っている様子を見て、近所の人が電話をかけて従業員を呼んでくれた。こんなラオスの田舎でもみんな携帯を持っている。
ソンクランの酒に酔った従業員が現れた。宿泊料はタイバーツで400(約1200円)。パスポート提示は不要、現金引き換えでカギをくれた。トイレ、温水シャワー、エアコン、テレビ、値段の割には最低の設備は用意されている。

■1日で356キロ走破
この日の走行距離は356キロ。道路が空いていたし、フォルツァ300は座席が広いせいかそれほど疲れを感じない。20代の時、350ccのホンダで東北一周したことがある。早朝、東京を出て昼飯を宮城県の松島で食べ、夕方、三陸の海岸の民宿に泊まった。バイクの振動が右手に伝わってきて、アクセルを離してもビリビリと右手がしびれた。このままツーリングを続けたら、白蝋病になるのではと心配したくらいだ。それにかなり疲労した覚えがある。

フォルツァは無段変速、クラッチの切り替えはいらないし、エンジンの振動が手首に伝わることはない。優美な、どちらかと言えば女性的なデザインであるが、フォルツァは昔の350佞離曠鵐世箸枠罎拱にならないほど力強い。急ぐ旅ではない。明日はゆっくり走っても昼前にはルアンプラバンに着くだろう。(続く)




写真は地震で陥没した道路(ロイターより)、尖塔が傾いたワットロンクン、ラオスの火力発電所、GHの入り口、看板、ベッドの写真です。