チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

高齢者の義務

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高齢者の義務

■高齢者の定義
昔は恋にもつれ、今は舌がもつれ、昔は心が揺れ動き、今は体が揺れ動く。昔は胸を張り、今は膏薬を貼り、昔は車を飛ばし、今は唾を飛ばす、あーあ、こんな体に誰がした、と叫びたい今日此の頃でございます、というのはご存じ、綾小路きみまろの漫談のさわりである。
高齢者、高齢者と言いますがね、そこの奥さん、高齢者って幾つからか知っていますか? 65歳からが高齢者なんですよ、と彼が言う。

ほんとかなあ、とウイキペディアで調べてみた。

「国連の世界保健機関(WHO) の定義では、65歳以上の人のことを高齢者としている。64歳以下を現役世代、65~74歳までを前期高齢者、75歳以上を後期高齢者、85歳以上を末期高齢者という。因みに、人口の年齢構造では、64歳以下を現役世代(うち14歳以下を年少人口、15~64歳までを生産年齢人口)、65歳以上を高齢人口(うち65~74歳までを前期高齢人口、75歳以上を後期高齢人口)という」

きみまろさんもよく勉強しているみたいだ。自分を基準にして考えているものだから、高齢者とは75歳以上の人のことを言うのかなあ、などと漠然と思っていた。国連の定義では自分も立派な高齢者ではないか。小学校や中学校、高校の同級生、可愛かったあの子もみな高齢者の仲間入りをしているのかと思うと何か不思議な気がする。

■「高齢者と海」
ネットを見ていて気が付いたのだが、現在では「老人」という言葉はあまり使われていないようだ。東京都老人総合研究所はいつのまにか地方独立行政法人東京都健康長寿医療センターと名称変更している。老人保健制度は後期高齢者医療制度に変わっている。老人ホームとか老人福祉法の名前は残っているから、老人は差別用語にはなっていないようだ。

昔の小中学校では「父兄会」というものがあった。母親がいつも出ていくのに父や兄ではおかしいというクレームがあって、暫くは父兄会が父母会と名前を変えていた。最近は父母会という名称も聞かない。父母会と聞いて、父親や母親の無い子はどう思うか考えたことがあるのか、などという声が上がって、父母会は「保護者会」とするのが一般的となった。文科省でも文書用語として父兄を保護者としていると、NHKことばのハンドブックに書いてある。

石原慎太郎維新の会共同代表が「弟、裕次郎が主演した映画『狂った果実』はもうテレビでは放映されないんだよね、『狂った』がよくないらしい』と言っていた。勝新太郎主演の大映時代劇「座頭市」もヤクザが浴びせる罵声の中に放送禁止用語がふんだんに出てくるので、テレビでは放映されなくなった。放送禁止用語で検索していただくとわかるが、これでは古い映画はもちろん、古典落語、古今の名作は放送不可能と思える。

こういった流れを見ていると、老人もそのうち差別用語の仲間入りして、ヘミングウェイの「老人と海」は「高齢者と海」、谷崎潤一郎の「瘋癲老人日記」は「瘋癲高齢者日記」と言い換えられるようになるかもしれない。

■高齢者存在の意味
50年前の高齢者は20人に一人、今は5人に一人だという。50年後には3人に一人が高齢者となる。経済理論では供給が増加すれば価値が下がる。数が増えれば、尊敬される高齢者の割合も下がるだろう。江戸時代は高齢者は少なかった。当時の「ご隠居」、「ご老体」、「ご老公」と言った呼称には尊敬と労りの気持ちが感じられる。幕閣の役職名も大老、老中、若年寄とある。昔の高齢者はエラくて、存在感があったようだが、それはただ希少性によるものだろうか。

ある国の外交官が、日本の老人は、かの大東亜戦争の真実を孫や子に語っているのでしょうか、と尋ね、答えを聞いて慨嘆した。我が国の老人は若者に歴史と自分の経験を語り継いでいます。それをやらなければ、老人の存在する意味がないではありませんか。

外国に暮らしてみると、日本の良さを思い知る。二千年の長きにわたって異国の侵略がなかった。ただ一度、白人帝国主義に対して自衛自尊の戦いに立ち上がり、敗れはしたが、結果、アジア、アフリカの諸国は独立を果たした。米国の黒人も参政権を得た。日本が戦わなかったら、あんたは大統領になんかなれなかったんだよ、とオバマさんに言ってやりたい。

個人の誇りは国の誇りと表裏一体だ。どんな小国の人でも愛国心を持っている。しかし、日本の復讐を恐れた米国は、国の誇りを奪う東京裁判史観を押し付けた。支那半島人よりも悪辣だったといえる。

舌がもつれても、こういったことを言うのは高齢者の義務と思うのだが、どんなものだろうか。
(8月15日敗戦記念日に)


お寺はチェンライ市内の古刹,「ワット・プラシン」です。ランナー様式の本堂もあり本堂には犬もいます。一番下が「賽銭箱」