チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

友人の事故死

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友人の事故死

■ 「きょういく」と「きょうよう」
自分のような年金暮らしの高齢者にとって必要なものは「きょういく」と「きょうよう」だという。勿論、教育と教養ではない。今更、そんなものを身につけても仕方がない。「きょういく」とは今日、行くところがある、「きょうよう」とは今日、用があるということだ。

自ら外へ出て、人と交わる努力をしないと、人間、退化してしまうぞ、との戒めの言葉であろう。現役の頃は、曲がりなりにも毎日行くべき会社というものがあり、職場に行けば、何かやるべき用があった(なかった時もある)。人と話し、交渉し、笑ったり、喜んだりしているうちに一日が過ぎていった。

今はと言うと、朝、テニスに行くが、これは義務ではない。今日、やるべき用があるかというと、炊事洗濯家事一切を女中さんにやってもらっているので、さしたる用はない。原稿書きだっていつ止めてもだれにも迷惑はかからない。暑いから、またスコールが来たから、と言っては家に引きこもっている。「きょういく」と「きょうよう」に殆ど関係のない生活、まさにタイ化してしまった。

■友人の事故
そんなのんびりした生活でも、時には突発事件が起こる。ある朝、まだ夜も明けない暗いうちに電話があった。仲間のTさんが昨晩から行方不明、用水に落ちた可能性もある、捜索を手伝ってくれとのこと。友人とTさん宅へ向かう。チェンライから40キロ離れたパーンという田園地帯だ。

Tさんは、前夜9時過ぎ、友人とチェンライからパーンまでトラックで帰り、友人を降ろした後、一人で用水の土手を走っていた。街灯はなく、当夜は雨が降っていた。通り慣れた道ではあったが、右から左へなだらかにカーブする地点で、そのカーブを曲がり切れず、用水に転落した。自宅から2キロくらいのところだった。雨季であるから川の水深は3m、水を落として水位を下げ、トラックを引き上げたのは朝の7時前だったという。

我々が着いた時、まだ警察や救急車が来ていなかった。トラックのドアを開けると、助手席に仰向けに横たわり、右足をハンドルの上に載せた状態でTさんは亡くなっていた。7時半ごろに警察や病院の車が到着、Tさんは地べたに横たえられ、25,6才の女性医師から簡単な検死を受けた。
その日は土曜、正式な検死は月曜に行うということで遺体はチェンライに運ばれていった。

■葬式における遺体の意味
タイの葬式は亡くなった人の社会的地位にもよるが、3日、5日、あるいは7日間行うという。月曜に病院から遺体が引き渡されて、通夜が行われたのは水曜だった。日本からお姉さん、息子さん、娘さん夫婦が駆け付けた。故人は徳のあった人なので、邦人も数十人集まった。僧侶が4人来て、自宅の一室で読経を始めた。お棺や遺影は庭に安置されている。葬礼にあたって、ご遺体はメインの位置を占めないようだ。テントの下に座るタイ人はお坊さんのいる方向にワイをしている人もいるし、適当な方向でワイをする人と様々だ。

タイの葬式は数日間にわたるため、それぞれの地区にはお棺がすっぽり入る大型冷凍庫が常備されている。以前、タイの葬式に参列したことがある。お棺収納の大型冷凍庫にはしごで登り、ガラス窓から懐中電灯で中で寝ている人を見る仕掛けになっていた。タイ人は悪趣味だ。

自分も含め邦人の多くはお棺、遺影に手を合わせていたが、あとで聞くとお棺が大きすぎて村の冷凍庫に入らなかったので、ご遺体だけ冷凍庫に入れ、自宅の別室に保管してあったとのこと。

■精霊信仰
今回は事故死であったので、お坊さんが事故現場へ出向き、読経と共にカエルとナマズを放流した。川の中でさまよっている霊魂がカエルやナマズに乗り移って成仏するようにとの願いである。

また事故現場には小さなお社「サンプラプーム」が建てられていて、そのお社と川べりまで金色の小さなはしごが置かれているそうだ。成仏できないでいる故人の霊魂がそのはしごを上ってお社にたどり着き、そこから天上に登っていってほしいという願いが込められたもだという。お社は自然死を遂げなかった霊の鎮魂の意味もあるのだろう。

Tさんは日本で小さな金融機関に勤めていた。金融危機の折、リストラ責任者を務め、任務遂行の後、自ら早期退職し、チェンライの片田舎に住んだ。読書、ゴルフ、豚の飼育、ナマズの養殖、日本人会の役員、そして好きだった酒、65歳と早すぎる死ではあったが、毎日、行くところとなすべき用事があり、故人にとっては楽しく、また充実した晩年であったことと信じている。


写真上から「事故現場1」「事故現場2」「引き上げられた車」「タイの参列者」「庭のお棺」