チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

城壁都市

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城壁都市

■原稿と写真
食事をしている時、友人に言われた。「ブログに載せるんでしょう。どうして料理の写真を撮らないの」。彼の知り合いは頻繁にブログをアップしているので、常にブログのことが頭を離れない。どこへ行っても、何を食べても、あっ、ブログに使えそう、と写真を撮りまくるのだそうだ。こうなるとブログのために生活しているような仕儀になってしまう。

自分の場合、ブログのアップは週2回である。それほど時間をとられているわけでも、常に原稿のことを考えているわけでもない。
旅行に出ている時でさえ、これは原稿にしなければ、という気持でモノを見ていることはない。ただ、旅の原稿が多いのは、自分なりに面白いと思ったことが頭に残っていて、介護のことや社会批判に比べて書きやすいからだろう。

ブログには写真を3,4枚添付している。1年ほど前、一眼レフのカメラを弟夫婦がプレゼントしてくれた。デジカメと違って連写はできるし、暗い所でもはっきり写る。高いカメラはいいカメラ、以前より写真を撮るようになった。それでも原稿を書きながら、この写真があったらなあ、と思うことがある。こういう時に限って写真を撮っていない。

先日、スコタイの帰りにプレーに一泊した。プレーは城壁都市である。城壁都市といわれても読む人にはイメージが湧かないのではないか。城壁に沿って車を走らせたのに、城壁の写真を撮っていない。百の説明より一枚の写真、原稿のことを少しでも考えていたら、写真を撮っていただろう。
段取りの悪さ、想像力の欠如だ。社会人生活でも同じような失敗を犯してきたのではないかと落ち込んでしまう。

■タイは城壁都市だらけ
チェンライ、チェンマイ、チェンセンなどチェンがつく地名がタイには多いが「チェン」はご存じの通り、「城」を意味する。城といっても日本の城のように山の上にある領主の住居といったものではなく、ある程度の広さの土地をぐるりと高い土塁や壁で囲ったものだ。深い堀や柵が併用される場合もある。外敵が攻めて来れば、兵士だけではなく、街周辺の一般人もこの囲いの中に入り込んで長期の篭城戦に備える。

タイの古い街は城壁都市だ。考えてみればヨーロッパや中国、中東、中央アジアの諸都市は全て城壁都市である。ヨーロッパの主要大都市、パリ、ウィーン、ザルツブルグハンブルグなどは高い城壁に囲まれていたし、東ローマ帝国の首都コンスタンチノープルは高さ十数メートルの三重の城壁で守られていた。地続きの大陸では部族、民族間の争いが絶えなかった。外敵は異邦人、戦いに負ければ皆殺しにされる、となれば運命共同体で城壁に囲まれた市内に逃げ込み、共に闘うのは当然のことか。

■平和を可能にした特殊条件
それに引き換え、わが日本には石山本願寺とか北条氏が小田原の街を9キロの城壁や堀で囲った例があるが、総力戦を前提にした城壁都市はあまりない。「人は石垣、人は城」と言って城壁どころか城さえ築かなかった武田信玄のような戦国武将もいた。それに戦争はサムライのやることで、一般庶民は戦には関係なかった。関ヶ原の戦いを農民たちが弁当持参で山の上から見物していたという記録がある。戊辰戦争では会津の百姓が官軍に野菜を売りに来て、東山道総督府参謀の板垣退助が脱力したという話もある。

中国には清末で1500の城壁都市があったという。平城京は唐の長安をモデルに建設されたが、望楼や城門を設けたものの外敵を防ぐ城壁は造営されなかった。城壁に囲まれていない都市は世界から見れば「非常識」だった。城壁がなければすぐ外敵の手に落ちてしまうと、外国人なら言うだろう。日本に城壁都市が発達しなかったのは、四方を海に囲まれていて、大陸国家のように頻繁に外敵が領土に侵入し、人民を殺戮するという歴史がなかったことによる。
外敵が来ないのだから防衛手段を講じなくてもよいという日本人のタコツボ平和主義は千年以上の歴史があるわけだ。

京都御所は明治になるまで代々の天皇陛下がお住まいになったところであるが、塀にあたる生垣はことのほか低く、背伸びをすると、天皇ご一家がお過ごしになっている様子を覗きみることができたという。それでも御所に押し入ったり、乱暴狼藉を働く人間が出なかったのは、日本人の民度が高く、治安が保たれ、また皇室が国民から敬愛される長い歴史があったからと言えそうだ。

チェンライにはランナー王国時代の城壁が一部残っている。いつも見ていながら写真を撮ったことがなかった。添付の写真は本ブログのために撮りに行ったものです。


写真上から三枚が「チェンライの城壁」、下二枚が「ナーンの城壁」