チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ラオス、アカ族の村を訪ねる 19

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ラオス、アカ族の村を訪ねる(19)

■冷たい理由1、政府の影響
一概には言えないのだが、ラオスとタイのアカ村の違いは、村の中に教会があるかないかだろう。タイのアカ族の多くはキリスト教に改宗している。だからタイのアカ村に行けば教会がすぐ目につく。

伝道と農業指導はセットで行われ、タイのアカ村はミッショナリーのお陰で豊かになった面はある。ミッショナリーばかりでなく、各国のNGONPOが山岳民族の村に入り込んで、様々な援助活動を行っている。
アノン村には教会はないし、外部からの援助の形跡はない。だからどの家も等しく貧しい佇まいだ。タイ政府は山岳民族援助を積極的に受け入れているが、ラオス政府は宗教関係者を始め、NGOが国内で活動することを欲していない面がある。

ウズベキスタンもそうであったが共産、独裁国家は、貧困への外国援助を喜ばない。援助された貧しい人々の不満が国の政治に向かうことを恐れているのではないか。ラオスウズベクといった最貧国には本当に援助を必要としている人々が多いのが実情だ。でもそういう人々には援助の手が差し伸べられていないという現実がある。

ラオス政府が外人の立ち入りを好まないのであれば、末端の村でもその影響はある。タイに暮らすアカの人々は人懐こく明るいのだが、アノンの村人はよそ者に敵対的感情を持っているように思えた。ウズベクのように外人は皆スパイだ、外人には関わるべきでない、という感情を持っているわけではないと思うが、何かよそよそしい。

■冷たい理由2、戦火の歴史
ラオスベトナム戦争に翻弄された国である。政府軍とパテトラオ(共産勢力)との内戦に明け暮れた。1975年に共産主義国家、ラオス人民民主共和国が成立した。この前後に華僑系タイ人、米軍に協力したモン族、右派政府関係者多数がラオスを脱出した、と言われている。

カンボジアではポルポト政権がプノンペンを制圧した後、国民の3分の1、200万人ともいわれる自国民を虐殺した。このジェノサイドが明らかになったのはポルポトベトナムとの戦いに敗れたからだ。ポルポト政府がベトナムに負けなかったら事実は隠ぺいされたままだっただろう。
ポルポトのクメールルージュを「アジア的やさしさに満ちている」と称賛し、「虐殺などは全くのデタラメ、日本の反動勢力の作り話」(本多勝一)と
書いた朝日新聞は事実に頬かぶりしたままだが。

パテトラオがどれだけの反政府勢力の人々を処刑したかはわかっていない。カンボジアと違って、1975年の政権奪取以来、パテトラオ政権が正統性を持ち続けているから、あえてそれを口にする人はいない。共和国成立後、ラオス国王と皇太子は王族の助命を条件にパテトラオに降伏した。そして二人は教育キャンプに送られ、そこで程なく没したと言われている。教育キャンプで消息不明になった人の数はわからない。

ラオスでは内戦を通して国民の3分の1が難民となり、国民の2割が死んだと言う。山岳の村にも政府軍、あるいは共産軍がやってきて、若い男を兵士として徴発し、反抗する者や老人、子供、女性は虐殺されただろう、と考えるのは荒唐無稽とは言えない。

外から来る者は災厄をもたらす、と村人が警戒の目を向けるのは当然のことかもしれない。

■冷たい理由3、麻薬
ウィーンに本拠を置く国際連合薬物犯罪事務所(UNODC)は、「ラオス政府は、この10年足らず(1998年~07年)の間で前例のない徹底的な取締りを実施し、国内のアヘン栽培規模を94.5%減、中毒者数は81%減と、殆ど問題のないレベルにまで劇的に減少させることに成功した。」と報告している。
ラオスでは麻薬対策は長らく重要課題と考えられてきた。UNODCの調査によると、1998年時点、ラオスは世界第3位のアヘン生産国であり、全人口に占めるアヘン常習患者数も世界で最も高い国の一つであった。 (インデプスニュースより)

2012年のネット情報によるとラオス国内のドラッグカフェではアヘン珈琲、アヘン煙草(500円)、袋入りアヘン(1500円)が簡単に手に入るし、店内でも楽しめるという。店はヘロヘロのファランで賑わっているらしい。

しかし、実態は別にして米国の援助と引き換えに、国が麻薬撲滅に力を入れているのは事実。だが山岳の村で昔通りにケシや大麻が栽培されているのも事実。それをよそ者がお上にチクる恐れは十分ある。村や村の周辺を嗅ぎまわっているのではと邪推されても仕方ないのではないか。(続く)


写真はアノン村の風景、一番下は村の小学校。