チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

タイへ出発 その1

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タイへ出発 1

若いころから、将来ヒマになったらどこか海外でのんびり暮らしたいなあ、と思っていた。それで50歳近くなって、「ロングステイクラブ」に入会した、海外での長期滞在をめざす退職者夫婦が中心の任意団体だ。クラブの会報にはすでに海外でロングステイをしている先輩の経験談が載っていた。その中で今でも心に残っているものがある。
「私は人に勧められるまま、働き続けて69歳になってしまいました。今、ロングステイをしていますが、なぜ早くこういった生活に入らなかったのか、と悔やまれてなりません。69才の人間にはもう69才の楽しみしかないのです」

日本人の健康年齢は75歳までという。75を過ぎると、腰、ヒザが痛む、血圧が高くて、とか物忘れが始まったとなる。そうだ、頭もそこそこ働き、まあ体も動く60才から75歳をどう生きるか、それによってその人のクオリティ・オブ・ライフが決まってくるのではないか、60過ぎたら仕事はやめて好きなことをして暮らそう、と心に決めた。「あに、五斗米のために腰を折らんや」というほどの志があるわけではなく、ただ自分が元来の怠け者だからだろう。

60才の誕生日はタシケントで迎えた。今日で60か、年金がもらえる、その方、引退苦しからずと、お国が言って下さる。嬉しくて、嬉しくて抜けるように青いタシケントの空が一段と青く見えた。その日は丁度土曜日だったので、バザールに行き、昼からバルチカビールを2本も抜いて一人でお祝いをしたものだ。

タイにはここ十数年、年1回は訪れている。初めのころは趣味のダイビングのため南の島に行っていた。ここ数年はタイ北部中心だ。中年の男が一人でタイに行くというと決して好感は持たれない。特に家人からは白い眼で見られた。その非難をかわすため、タイ旅行にあたっては、友人、知人のコネを駆使し、タイ観光庁の副総裁やバンコク銀行幹部、政府高官、あるいは現地で暮らしている邦人を紹介してもらい、そのインタビューをまとめてロングステイクラブの会報、盤谷日本人商工会議所会報、NGOのブログなどに載せてもらった。タイ旅行は決して遊びではなく調査のため、という大義名分を作るためだ。

実はJICAのシニアボランティアに応募した時もタイを希望していたのだが、たまたま自分に適合するポジションがタイには無かった。JICAから、代わりにウズベキスタンはどうでしょうという電話があったときは、正直、即答することができず、とりあえず電話を切って、ウズベクをよく知っているというシニアボランティアOBに会いに行った。

「断ったらまずいでしょうか?」、「まずいな、悪い国でないから是非行け」といったやり取りがあって、結果的には2年間、多くの素晴らしい人たちと知り合い、ウズベク生活を満喫したのであるが、やはり本命はタイだったのである。

タイに来るたびに増えた知人に助けられ、母を連れてタイに移り住むこととなった。人間、無駄な経験はしていないものだというが、散々カミサンにイヤミをいわれた結果がこれだとすれば、そう悪い成り行きではないのかという気がしている。(続く)

画像がチェンライでの住居