チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

帰国しました

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帰国しました

3月27日に帰国した。帰国前1週間はまさに疾風怒濤。毎日送別会や宴会が続いた。ウズベクのナブルース(春分)のお祝いも兼ねて昼にバンクカレッジで送別会を開いてくれた。200人近くの先生の前でお別れのご挨拶をしたら、学長からウズベクの婚礼衣装とデュッペを贈られた。その場で着たら、ドンジャガとウズベク音楽が鳴ってその格好で一曲踊りを披露する羽目となった。男踊りは拳を結んで、余り動かない。こちらはいつも女性の踊りしか見ていないものだから、手のひらをひらひらさせながら踊った。みんな喜んでいたが、ピノチオのような動きが面白いというより自分の踊りが女踊りだったから、という感じであった。これも浮世の義理だ。日本人が一人もいないのが何よりもよかった。

JICAの関係の送別会には40名もの人が集まってくれた。必ずスピーチタイムが来るな、と思いながら酒杯を重ねる内に、挨拶の時にはすっかり出来上がってしまった。10分以内、と言われていたのに、みんなが笑ったり、頷いたりしてくれることをいいことに15分も話し続けたらしい。恥ずかしい。おまけに話した内容を断片的にしか覚えていない。あの人は若いときはまだましだったのに、年を取って話がくどくて長い、あの人には話させるな、という老人をよく見たものだが自分がそうなってしまった。もう自分のような人間は人前に出てはいけないと自戒したものだ。

本は寄付したし、家財道具、食材は茶碗、箸、使いかけの味噌、余ったジャガイモに至るまできれいに隊員が持って行ってくれた。出発前日にわずかに残ったつまみと後生大事に保管していた大吟醸酒を持って友人のアパートで最後の宴会。

26日は午前11時過ぎのフライトであったが多くの人にお見送りを頂いた。出国手続きもスムースに終わり、イミグレを出たところでみんなに思い切り手を振った。さようなら。

タシケントの空港待合室にも一応免税店があり、ウズベクのワインやウオッカが販売されている。だが不思議なことにタシケント市内で買うより高価である。また去年まではドル建て表示であったが、今回はすべてユーロ建て表示になっており、ドルの凋落を思い知らされた。待合室のバーではコーヒー、ビール、軽食がとれるが、「申し訳ありませんがスムは受け取れません」の表示が出ている。ポケットの中の数千スムは単なる記念品と化した。

タシケントーソウル間はウズベク航空である。サービスがあまりよくないことで知られている航空会社だ。食事(これが唯一の楽しみ)を配る時、ワインを頼んだら「ない」とそっけない返事。先ほどまでお客さんに注いでいたのだがビンが空になったらしい。ビールなら、というのだがウズエアーのビールはAという銘柄一種で生ぬるいことは知っている。どーしよーかな、と思っていたら他のフライトアテンダントがワインをもってきた。やれやれ。ちょっと甘いワインでミニトマト半分とキュウリ3分の1本というさっぱりしたサラダから食べ始めた。

ソウルで1泊、本当はソウル(仁川)に泊まる必要はないのあるが、JICAの規定により、27日成田必着となっている。27日にタシケントから成田に到着するフライトがないため、1日早くタシケントを出発し、一泊して27日ソウルー成田の便に乗るというわけだ。タシケントーソウル間はガラガラであったが、ソウルー成田間は卒業旅行を終えた若い人で満席だった。周りから日本語が聞こえて来るのが不思議な気がする。

2時間弱、成田に着地すると同行のSV、Hさんと「とうとう着いたね」と帰国を喜び合う。一緒に税関を出るとHさんの一家眷属が「父上お帰りなさい」「おつかれさまでした」等と書いた紙を持って出迎えていた。羨ましい限りだ。

翌28日はJICAの旧広尾研修所、現地球ひろば(写真)で帰国説明会があった。約30名のJOCV、40名のSV、昨日、地球の裏側から着いた人もいて、つられて眠りだしそうになる。昼に何となく赴任国同士集まって麻布方面へ食事、それぞれのグループが麺類の店に吸い込まれていく。ウズベクグループも研修期間よく行ったラーメン屋へ。560円の正油ラーメン(ママ)と3個150円の餃子を注文、ああ、これをウズベクのSVやJOCVに食べさせてやりたいなあ、などといいながら3人ともラーメンのおつゆまで完食。午後、講堂で外務大臣の感謝状が手渡され、JICA幹部からご挨拶があった。

JICA2日目は帰国報告と健康診断がある。健康診断用に小さじ付き密閉検便容器が手渡された。ああ、これをタシケントに送ってあげたいな、と思った。現地の健康診断ではこの容器がないばかりに半世紀ぶりにマッチ箱を使用した覚えがある。これに限らず、100円ショップに行っても魚屋に行っても、ああ、これをXXさんにあげたら、隊員に食べさせてあげたら、と思うばかりだ。日本に帰った嬉しさもさることながら現地で引き続きがんばっている方々へ心からエールを送りたい。