チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

なぜタイで介護を?

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なぜタイで介護を?

「介護」という言葉や文字に接しない日はない。確かに介護問題は日本の重要課題である。しかし年を取ると誰でもボケて、寝たきりになって介護を受ける身になるのか、というとそうではない。

平成4年に行われた「認知症高齢者年齢別出現割合」という調査によると、80から84歳の人のうち、認知症患者は14,7%にしか過ぎない。85歳以上になると27.3%と跳ね上がるが、現実は大部分の老人はボケてもいず、介護を必要とはしないのだ。

認知症アルツハイマー型と脳血管性認知症に分けられる。認知症の半数が脳萎縮を伴うアルツハイマー認知症だ。

83歳の母はアルツハイマー認知症である。現在、要介護度3。この病気はゆっくりではあるが必ず進行していき、ゆくゆくは寝たきりになる。多分治らない。治るのであったらレーガンさんやサッチャーさんは、引退後でも大いに活躍したことだろう。

側頭葉が萎縮しているので人格が変わり、不安感から一日中、おなかが痛いといい続けている。異常行動もあり目が離せない。手がかかるためデイケア(日中預かってくれる老稚園)もお風呂に入れたらすぐ家に送り返してくる。少ない人数で多数の老人の面倒をみなければならないデイケアの会社としては仕方のないところだ。

家で母の面倒を見ているのは、主として兄、そして従として自分であるが、いずれにしても老老介護、日中のみならず夜中に何度も起きて世話をする兄には限界が来ている。

介護度が高くなった老人を抱えた家庭の取る道は、というと、施設、または病院へ老人を送るということであろう。

実は2ヶ月の予定で、母をある老人病院に「検査入院」させたことがある。体にあったクスリを見つけてもらうためである。ところが食が細いから、とすぐ点滴にされ、チューブを自分で抜かないようにとベッドに縛りつけられてしまった。点滴が入らなくなったら鎖骨あたりを切開して静注だという。これでは本当に寝たきりになってしまう。あわてて半月足らずで退院させた。家ではちゃんと食事も取り、好物のビールも飲むようになった。

老人用介護施設に入居するは、高額の入居料と月々の費用がかかる。母の場合、問題は費用ではない。騒ぐ認知症患者は手がかかるため、通常の施設には受け入れて貰えないのだ。

自分の見るところ、デイケア施設、老人ホーム、病院では一斉に食事をし、同じゲームをし、大人しく人の言うことを聞く羊のような老齢者を主たる対象としている。

家族が本当に介護を必要とする、騒いだり、問題行動を起こす老齢者を喜んで迎えてくれるところを探すのは難しい。

毎年のようにタイに行くようになって十数年経つ。ここ数年は北部タイのチェンライ(バンコクより北に800キロ)を訪れることが多い。そこで友人となったHさんは、介護が必要となったお母さんを日本から引き取り、最後を看取った。お母さんの亡くなる2週間前にHさんのお宅に滞在していた。朝、登校前に近くに住む小学生のタイ少女がやってきて、不自由なお母さんの背中を一生懸命さする。意識がはっきりしないお母さんもそのときは表情が和やかになるのだった。

やはり介護は子供も含めいろいろな人のなかで行われるのが本質ではなかろうか。しかし、日本ではもはや大家族で、あるいは地域で介護を支えることはできない。また高コスト構造がきめ細かい介護を不可能にしている。

タイは大卒の初任給が1万バーツ(2万6千円)の国だ。現金収入の少ないタイ北部では女中さんの月給が3千バーツ、介護士を頼んでも月7500バーツ(2万円)だ。

母の介護問題を前にして、背中を無心にさすっていた少女のことが蘇った。

日本に東南アジアの看護師、介護士招請する政策があるのなら、コストと受けられるサービスの質を考え、こちらから東南アジアに行って介護を受けるという方法も、グローバリゼーションの世の中、当然のことではないだろうか。

日本で病院、施設に入れることは我々にとって、母を棄てることに他ならない。タイであったら多くの人の中で、好物のビールを飲みながらのんびりとした余生を送ることが出来るだろう。それが老い先短い母にとって幸せではないのか。

というわけで「年金で出来る老親の完全介護」をチェンライで実践します。

看護ばかりでなく、タイの少数山岳民族やこれまでタイについて書いたことなどを随時アップしていきたいと思います。ご愛読くださいますよう伏してお願い申し上げます。