チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

ナボイ市郊外(7)

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サルミッシュ渓谷の岩絵 その7

岩絵は川を挟んで2,3キロにわたって点在している。春の風を受けながらのんびりと山道を登って行く。昔は泳げるほどだったという渓流も今はわずかな湧き水を水源として、浅い小川となっている。小川は幅1,5メートルほど、深いところで20センチ程度だろうか。オランダカラシによく似た緑の草が水辺に生えている。食べてみたがオランダカラシではなかったが、おひたしにしたら充分いけると思った。

この草の間から少し大きな草がにょきにょき生えている。ヌラリー君がその草をむしゃむしゃと食べて、ハーッと息を吐く。薄荷だ。薄荷が水辺に群生しているのだ。「ウィル・ユー・キス・ミー?(キスしてくれる?)」などと冗談の一つも出る。

知り合いのJICA専門家で何かというと、こうすれば儲かるのに、という人がいる。彼女だったらきっとこの湧き水を利用して、ワサビ田を作って、ワサビ漬けを売れば儲かるとか言うに違いないと思った。他にも岩絵の拓本を作れとか山登りの貸しロバ経営とかいろいろアイデアを出すだろう。

後で知ったが、サルミッシュ渓谷は入山を厳しく制限している。それは1960年代に発見されて以来、ウォッカとハンマーを手にした自称考古学者が大挙押し寄せて、貴重な岩絵を持ち去ったり、スプレーやペンキで落書きをしたからだ。ユネスコから援助をもらってウズベクがやったことは、まず岩絵の落書きを消すことだった。いくつかの岩絵には消しきれずに汚れがまだ残るものもあった。

近くこのサルミッシュ渓谷はサマルカンド、ブハラ、ヒバ、シャフリサーブスに続いてウズベキスタン5番目の世界遺産に登録されることになっている。人類の文化財産である石器時代の岩絵だけでなく、この地にだけ存在する各種の動植物、また渓谷の素晴らしい景観が世界遺産に相応しいと思われたのであろう。

さて、大昔の絵を見ると、人は同じように彫ってみたくなるらしく、岩絵は10世紀のアラブ時代まで連続して製作されいる。しかし、年代が新しくなるにつれて、絵の躍動感や彫りの深さ、デザインの面白さが失われていく。そういった岩絵の歴史をエガノフ館長から聞きながら歩く。

アラブ人の岩絵をバックに、レポーターが自分にテレビインタビューをすることになった。日本ではアムール・チムール大王のことを知っていますか。サルミッシュの岩絵を見てどういった感想をもたれましたか。日本と岩絵の関係についてどう思われますか。思いつきにしても変な質問をするものだな、と思いながらも答えていく。

次の日、ホテルのテレビでこの場面(写真)を見てみたが、我ながら筋の通ったことを言っていると感心した。「数千年の歴史を持つ人類の宝、サルミッシュの岩絵を見るためにここに来て、岩絵をまじかに見ることができ感無量です。中世の、そして現代のスザニにその岩絵のデザインが連綿と引き継がれているということにウズベクの歴史を感じます。日本から多くの人がやってきてこの素晴らしい景観と歴史を実感してくれるように願っています」等々・・・・

シニアボランティアは誰でもそうだと思うが、どこでも急にスピーチを求められる。場数を踏んでくると、相手の言って欲しいこともわかってくるわけで、そこは関西テレビやTBSでなくても、多少の演出協力をしてしまうというわけだ。ただ、デリジョ君の通訳が異常にさっぱりしていて簡潔だったところを見ると、こちらのしゃべったことがすべて伝わったのかどうかは疑問である。

日も多少傾き、サルミッシュ渓谷散策は終わり近くなった。渓谷内にはまだ2,3の家族が渓流のほとりで羊を飼って暮らしている。あらかじめ館長が手はずを整えてくれていたのであろう。強くなった風をよけるように羊飼いの家の白壁沿いに野外絨毯が敷かれ、簡単な打ち上げパーティの準備ができていた。ビールとウォッカ、ノン、それに鳥の塩油いためが出たが、肉は赤いし鶏よりも足が大きいし、歯ごたえがある。恐らく渓谷の山鳥であろう。酒のつまみに日本の長ネギの青い部分が各自2,3本置かれていた。これが少しも辛くなく、甘くてウォッカとよくあう。空には大きなトンビが飛んでいる。トンビではなくてこれは渓谷に住む鷲とのこと。大きいはずだ。

今日は岩絵も充分見たし、ロッククライミングで命拾いをしたし、テレビのインタビューも受けたし、ウォッカ山鳥、ネギ、地は緑、空には大鷲、本当に楽しい一日だった。 (まだまだ続く)