チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

感染症も一段落して

ダナンの帽子売り

フエの夜

同上

カイディン帝陵

同上

同上

 

 

感染症も一段落して

■まだマスク着用

2021年11月に感染症騒ぎの東京を後にしてチェンライに戻った。日本からタイへ入国するにも一苦労で、ワクチン接種済みの英文証明書を作成してもらったり、陰性証明を取るためバンコク1泊を強いられたし、タイの保険会社の疾病保険を義務付けられた。あとで考えてみたらあの感染症騒ぎは何だったんだろうと、頭をかしげることはいくつもある。自分が日本にいたころ、山梨県に帰省した女性が陽性と分かり、山梨で彼女と「濃厚接触」した男性が何人も炙り出された。個人情報も何もあったものではない。でもこれくらいならまだいい方で、陽性と判断された人が「多くの人に迷惑をかけた」と自殺したという痛ましい例もあった。

2年前の5,6月はチェンライでも感染症が流行った。あっちの村でもこっちの村でも同じ症状の人が続出した。病院も面倒だから一々検査などしない。風邪薬を出すだけだ。自分も女中のニイさんと同じ喉の痛み、咳、声嗄れの症状が出た。絶対、武漢から発生した感染症だ。日本でもインフルエンザ同様、現在もこの感染症に罹患している人は少なからずいる。まだ天皇、皇后両陛下がマスクをされているので、感染症は完全終息していないとわかる。

チェンライでもサンサーイ市場に行くと2,3割の人がマスクをしている。病院や出入国管理事務所、銀行の待合室になるとマスク率は高くなる。でも自分がタイに戻った頃はマスク無しではコンビニに入店できなかったし、個人商店の店員にもマスクを、と命令される状況で、ノーマスクは非国民という風潮で満ち溢れていた。その後は、タイ人も罹ってみたけれど大したことなかったし、ただの風邪だよ、と分かったのだろう、今はマスク無しで街を歩ける。

 

■旅に出る

チェンライに戻った翌年、2022年もまだ感染症騒ぎで動きづらくタイ国外には出ていない。国内もフアヒンに2,3泊行ったくらいで旅行らしい旅行はしていない。2023年は9月に日本へ一時帰国、11月にベトナムに1週間ほど行った。

一時帰国は、カード更新や健診、歯科治療など目的を持った旅であったが、ベトナムはさしたる用事はなく、これこそ旅らしい旅だった。日頃、クイッティオのピセ(大盛)は10B高いからタマダ-(普通盛)にしよう、とか吝嗇に暮らしているのだが、外国旅行となれば話は別だ。フエではタクシーを半日借り切って、ミンマン、カイディン、トゥドゥックの3つの帝陵を回った。自分としては思い切った大散財と思ったが、90万ドン(約5400円)だったから、それほどの額ではない。

旅の目的は何ですか、という調査によると1位、気分転換(78%)、2位、癒し(64%)、3位、刺激(23%)となっている。旅に出るとワクワクする。チェンライに蟄居していても毎日がワクワク続きで、という人を知っているが、自分には若いフェーン(愛人)がいるわけでもないので、せめて言葉の通じない外国で新しい体験や美味しい料理に出会いたいというところだ。

 

■支払いに注意

先月、チェンライの友人がベトナムに旅行してきた。自分と同じ場所に行っているので、話が弾む。ネット上の体験談では、ベトナム人はお釣りをくれないから気をつけろ、と書いてある。ベトナムの通貨はドンでやたらと桁数が多い。20万ドン札か2万ドン札か一瞬わからなくなる。彼も1万ドン札と2万ドン札合計3万ドンを払ったつもりが1万ドン札と20万ドン札を渡してしまった。すると店員はすぐお札を隠して、ハイ、終わり。また、バイクの帽子売りから麦藁帽を一つ買って20万ドン渡したら、お釣りをくれない、抗議したら帽子、もう3ついらないか、と言われたそうだ。

自分も缶ビールを高く買わされたが、せいぜい100円くらいだった。ネットには50万ドン(3000円)の靴をカードで購入し、言われるままにサインした。日本に帰ってよく見たら500万ドン支払っていたというケースがあった。

自分もイタリアのフィレンツェで食事代のゼロを一つ間違えそうになったことがある。桁数の多いドン、リラ、ルピアなど気をつけないと「これも旅のスパイスさ」などと呑気なことを言っていられなくなる。

ベトナムは数年前にラオス国境から半日だけディエンビエンフーを見物しただけで昨年11月が実質、初のベトナム旅行であった。安いし、食べ物、特にパンが美味しい。ベトナムの大都市はハノイ、ダナン、ホーチミン東シナ海に面している。

今月にタイの1年ビザが取れたことだし、次回はホイアン辺りに長逗留して海で泳ぐか、開高健さんが彷徨った旧サイゴンホーチミンの夜を経験してみようかと思っている。