一時帰国(3)
■映画鑑賞
今回に帰国では健診、検査、並びにキャッシュカード、クレカの作り替えと忙しい日々を過ごしている。チェンライにいればテニスに行かない日は終日、パソコンに向かったり、ベッドに横たわったりと、無為な時間を過ごすのであるが、日本に来ると時間は無駄にできない、さて次は何を、と予定表を眺める。予定の入っていない場所には買い物や観劇を入れる。友人が映画の優待券をくれた。でも滞在期間を半ばを過ぎているのに、映画館へ足を運べたのは2回だった。
2020年のコロナ騒ぎでチェンライに戻ることができず、図らずも1年8カ月滞在した。その間、150本ほど映画を見た。足止めを食らった当初は映画館は軒並み閉館していたと思う。その後、感染拡大防止のため、観客席は1席あるいは2席の間隔をあけて座ることになっていた。ソーシャルディスタンスという言葉を耳にしたのもこのころではなかったか。それでも広い映画館に観客はちらほら、T・ジョイPRINCE品川の200人は優に入る大劇場で迫力満点のIMAXで(ボヘミアンラプソディー)を観たときは観客は自分を含めて3人しかいなかった。コロナへの恐怖が高まってきたころだ。予告編の前に「みんなのために、愛する人を守るために」と外人やノーベル賞の山中伸弥先生などが出てきて、マスク着用、手洗いを呼び掛けていた。この呼びかけも100回以上見た。映画の予告編はどれもみな「面白そう、観に行きたい」と思わせるよううまくできている。初めの頃は2カ月先、3カ月先に「当館で上映予定」と出れば、その頃はもうチェンライに戻ってるから見られないよー、と心の中でつぶやいていたが、そのうち、戻れないからいけるよな、などと楽しみに予告編を見るようになった。
■思い起こしてみると
コロナ騒ぎ勃発で日本滞在を余儀なくされ、1年8カ月たってようやく騒ぎが沈静化し始めた2021年11月にチェンライに戻った。コロナは現代のペスト、80万人が罹患してそのうち40万人は死亡すると言った医者もいた。50枚5千円でマスクが売られていたし、観光地では東京ナンバーの車には落書きがされた。自分も徳島を旅していた時「県外の方の入店をお断りします」という張り紙の店を何軒か見た。
主要感染地をロックダウンした中国は、さすが独裁国、ウィルスも習主席の命令を聞いて早期に感染症が沈静化したと言っていた。冗談ではなく、命令一下どんな対策でも果敢に取れる国は素晴らしいと言っていたのだ。
あの頃のブログに、あとで考えてみたらおかしなことやってたよなー、という事柄がいくつも出てくるのではないか、と書いた。いい加減な言説を広めたコメンテータが責任を取って職を辞したという話は聞かない。
ともあれ、世の中はコインの裏表、感染症でいい思いをした人もいれば、あの騒ぎさえなければと悔しい思いをした人もいるだろう。この年になると世の中、そんなものだろう、それでいいのだ、という気持ちになる。もちろん若い人には頑張ってもらいたいとは思うけれど。
■素敵な女性
人と会ったり、映画を見たりで新宿、渋谷、銀座に出かけた。2年前に比べると格段に歩行者が多い。映画館もほぼ8割の入りだった。マスク着用者は1,2割か。これはチェンライも同様。友人と共にT 医大病院に行ってみたが、病院内は全員マスク、これもチェンライと同じ。
チェンライには高い建物がない。日本は高層ビルがにょきにょき建っていて、思わずカメラを向けてしまう。2年前はあきらめの日本滞在で風景も人もこんなものかと無感動で通り過ぎていたが、旅行者の今は違う。何を見ても感動だ。銀座シックスではレストランがそれぞれ工夫の凝らされた洒落たセンスで自己を主張している。歩く人々の服装も様々であるが、皆さん自己表現について自信を持っているように見えた。
チェンライではスカート姿はめったに見ない。庶民はおおむねTシャツに短パン、サンダルだ。色が黒いから変にお化粧をするとドーランを塗った田舎役者のようで奇怪な感じとなる。髪は長い黒髪をバンドで止めているだけ。十代のかわいい子はいるがきれいな女性はほとんどいない。でも東京には小顔で個性的な装いの女性が多い。もしかして女優さんではないかと思うくらいだ。若い女性ばかりでなく、30代、40代の人でもセンスのいい服装でバッグのコーディネートも素敵。それなりの自信と美しさを感じさせる年配女性も多い。
どんな国でも若い子は可愛いし綺麗だ。しかし中年女性も魅力的ということは生活程度もさることながら文化度、民度というものが備わっていなければいけない。日本はその条件を備えている数少ない国の一つだ。