一時帰国(2)
■まずは健康問題
帰国当日に近くの医院に行った。ご挨拶並びに健診の予約である。服用中の薬一覧をお見せする。まあ健診結果で薬をどうするか考えましょう、で終わり。
翌日は、3年前に大腸ポリープ切除手術をしてもらった胃腸器科の病院へ。手術後2年したら再検査をするよう指示を受けていた。実はチェンライの知人が大腸がんになり、タイで手術し、人工肛門装着となっていた。大腸検査、その前の便潜血検査をまじめにやっていたら大手術を受けずに済んだのではないか。身近にがん患者を見ていたし、3年前に良性ではあったがポリープの切除手術を受けている。だから大腸検査は優先事項のひとつだった。この日は問診だけで大腸検査の日時を決める。前日、近所の医院で申し込んだ健診の項目に「便潜血検査」が入っていたが、一次試験免除でパスすることにした。
帰国3日目は後期高齢者歯科健康診査、この診査でフレイルという言葉を知った。フレイルとは健康と要介護・寝たきりの間を指し、要するにその人の「ヨレヨレ度」の目安らしい。1秒間に「タ、タ、タ」を何度繰り返して言えるか、一定時間に何回唾液を飲み込めるか、といったテストを受けた。タタタはオーラルディアドコキネシスと言って舌機能テストで、数値が低いと舌がもつれるらしい。ごっくんのテストは嚥下機能を評価するもので今回は問題なかったが、そのうち水や食物を飲み込もうとしてゲホゲホ咳き込むようになるのだろう。
■カードが使えない
帰国当日に銀行のキャッシュカードで口座からお金を引き出そうとしたが、ATMがカードを認識しない。パスモを持っていたので家まで辿り着けたが、下手をしたら空港で途方に暮れるところだった。支店窓口に行って聞いてみたところ、ここ1,2年で生体認証、ICチップのカードへの切り替えが進んでおり、自分のカードは磁気対応なので一般のATMでは使えないという。新しいカードが家に到着するまでは、磁気対応のATMを探して凌ぐことになるという。当座の軍資金は支店で確保できたのでまずこれは一件落着。
次はクレジットカードである。チェンライで暗証番号の入れ間違いを繰り返したため、3枚あるカードのうち2枚が店頭で使えなくなっていた。アマゾンや航空券購入には支障ないのだが何かと不便。こういう場合のお問い合わせ窓口にチェンライで30回くらい電話をしたが、いつもお話し中、海外窓口ばかりでなく日本に直接電話したが全く繋がらない。
カードを発行してもらった新宿丸井の窓口に行った。ちゃんと使えるはずですが。いや、昨日もスーパーではじかれたんです。お姉さんは,多分、磁気が弱くなっているのでしょう、カードを作り替えましょう。無料で新カードを作成してくれた。再来年が期限だったが2029年まで有効期限が延びていた。ありがとう。新カードを財布にしまおうとしたとき、お姉さんに言われた。銀行のキャッシュカードと一緒だと磁気が弱くなります。そうか、しまい方が悪いせいでカードが使えなくなったんですね、すみません。いくつになっても自分が悪いと己を責める、この悪い癖は治らない。
もう1枚のカードはネットを駆使して何とか暗証番号を回復した(と思う)。これでカード関係は一件落着。
■連綿と続く伝統
帰国した週の土日は町内の秋祭りだった。家の隣は小公園になっていて、お神輿や引き太鼓の休憩所になっている。少子化というが、どこからこんなに湧いてきたのかと思うくらい子供で一杯だった。列を作って並び、ガリガリ君をもらって嬉しそうに食べている。60数年前の自分を思い出した。あの頃の大人はすべて死に絶えた。世話役の大人は自分より若い人ばかりで顔見知りはいない。でも町内のお祭りは続いている。感染症騒ぎで開催は3年ぶりだという。町内会の役員も張り切るはずだ。わが町内には大人用の大神輿もあるが、さすがに担ぎ手は集まらない。自分が20代の頃は、この神輿を担ぎ、終わってビールケースに渡した板の上に並んだ天ぷらで酒盛りをした。天ぷらなど料理は町内会婦人部が調理した。あの頃は町内に銭湯があって担ぎ手には無料入湯券が配布された。
夜、8時過ぎに広場に立ち寄ったら、品川音頭や東京音頭が流れ、木の周りを10人ほどの男女が踊っていた。30 代のお母さんが小学生の娘に振りをつけている。
親に感謝し、郷土を大切に思い、そして国を愛する。これは一連の流れだ。GHQは戦後、日本の祭りを禁止した。米国の邪悪な意図は消えてはいないが、ささやかな盆踊りを見ながら、日本の復権は近いと確信した。