チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

タイに戻れるか

 

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11月初めの富士山、山中湖から

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暫く富士山ともお別れか

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これは河口湖から

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北富士練習場が見える

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登山道が見える。望遠で

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山中湖、夕暮れ

 

 

タイに戻れるか

■チェンライは空き家
チェンライの家は2カ月前に兄が帰国して以来、無人である。人が住んでいなければその家から何か持ち出していい、という不文律がタイにはあるような気がする。ある邦人は長期旅行に出た時に物置の大工道具がごっそり無くなっていたそうだし、アパートに住んでいた知人はドア上の配電盤が無くなっていた。ちゃちな鍵なら開けられて、金目のものもそうでないものも他人に借りられてしまう。盗る、というよりちょっと借りるという感覚のようだ。

チェンライの我が家は警備員付きの団地だから、黙ってモノを借りに来る人はいない。でも室内は埃で汚れるし、蟻などの虫も入る。それで女中さんに鍵を渡し、週1回の掃除を頼んでいる。タイでは金の切れ目が縁の切れ目で料金の支払いが滞ると、すぐ電気が止まる。それで友人を介して月々の電話代、電気代、水道代を払ってもらっているがいつまでもというわけにもいかない。かといってタイの厳しい入国制限を乗り越えてまでなあ、と兄と入れ替わりのチェンライ戻りを躊躇していた。14日もタイのホテルで隔離されたら足が萎えてしまう。2年前は5万円以下で往復していたのに隔離費用、保険を含め、片道ン十万かかる。それなら日本の生活を楽しんでいたほうが・・・。

タイランド・パス
ところが11月からタイ政府が入国制限を大幅に緩和する「タイランド・パス」を始めることになった。戻れるかもしれない。タイランド・パスの要旨は以下の通り
・飛行機でタイに入国すること。
・タイ到着時に受検したPCR検査の陰性結果が判明するまで指定ホテルで一晩待機すること。ホテル代、検査代は自己負担。ホテルの支払い確認書要
・英文のワクチンパスポート
・タイ滞在期間全てを対象とする最低5万米ドルの医療保険に加入していること。保険証書要。

書類をそろえてネットで駐日タイ大使館に申請する。受理されれば許可番号(タイランド・パス)がメールで送られてくる、という仕組みだ。
実は制限緩和を見越してバンコク行きの航空券を予約していた。早めに戻りたいとは思っていたし、たまたま他の航空会社の半額以下、それに変更も可能チケットだったので思わず予約してしまったというわけ。でも11月にタイに戻れる可能性は半分くらいと思っていた。昨年、何度もチケットを無効してしまったという苦い経験がある。

兄は野暮用があって9月初めに日本に帰国してきたが、帰国できると確信が持てたのはチェンライを出る1日前のことだったという。バンコク―東京間のチケットはあるがバンコクまでの国内便、長距離バスはすべて運休、誰かに車でバンコクの空港に連れてきてもらいなさい、という状況だった。事実、友人にバンコクまで長躯800キロ送ってもらった人もいる。兄の場合、運よく帰国直前に国内便が再開した。

■申請は受理された
情弱老人がタイのホテルを予約し、保険に入り、必要書類を揃えて駐日タイ大使館に「タイランド・パス」の申請に至る苦労話を書けばブログ3本分はある。だから申請が受理され、PC画面に「サクセスフル(成功)」の文字が出た時は、思わず歓声を上げた。
タイランド・パスの取得法を懇切丁寧に説明してくれるネット記事やユーチューブは参考になった。世の中には親切な人がいるものだ。一方で情弱者をカモにしようとする輩もいる。英文保険証書製作を代行するという大手保険会社の代理店があった。タイ政府は500万円でいいと言っているのに補償額は3000万円、更に片道切符なら1年間の付保が望ましい、と電話口で言う。それで掛け金は?と聞くと70歳以上なら39万円です。それなら日本にいます、が普通と思うが、情弱老人の中には払う人もいるのかもしれない。
そして申請受理後、待つこと4日、許可番号がメールで送られてきた。

■一路、チェンライへ
バンコクに向けて立つ日は11月17日、用意万端のはずであるが、離陸するまではわからない。渡航前72時間以内に受検するPCR検査で引っ掛かる可能性もないとは言えない。
この1年8カ月は日本の素晴らしさを再認識したという意味で、わが生涯の中で最も有意義な日々だった。武漢肺炎も悪いことばかりではない。というより人生、常にコインの裏表、楽観的に生きなければ生きている意味がない。これまで帰国する機会が少なかったが、これからは頻繁に日タイを往復することになるでは、と思っている。とりあえずタイに戻ったら日本で増えた体重を減らすことから始めたい。
日本滞在中、みなさまには大変お世話になりました。またお目にかかれる日を楽しみにしております。