神門
暫くは見ることができない
これからもご加護がありますように
出発前後
■バンコクで1泊
このブログがアップされる11月18日はバンコクのホテルにいる(はずだ)。タイ政府が指定する複数のPCR 検査付きホテルの中から予約した。1泊5千Bとタイのホテルにしては高い。でもPCR検査料、3千B(1万円強)が含まれているからそれほど暴利とは言えない。
10月にバンコク行き航空券(変更可)を予約したものの、日本の生活が快適だったし、年内、或いは正月を過ぎてからチェンライに戻ってもいいかな、と考えていた。その一方で日本の冬は寒い、暖かい部屋から外へ出たとたん脳溢血、そんな心配をする年代でもある。
11月1日からタイ政府が入国制限を大幅に緩和したのに乗じて、ネットによる入国許可申請をやってみた。思いの外、簡単に許可が下りた。何事もその時の流れに従って行動するのがいい。チェンライに住む友人へのお土産、多少の食料品の買い付けなど慌ただしい日々を過ごしたが、なんとなくこうやってバンコクのホテルにいる。
と、これは予定稿であって、今、これを書いている14日はまだ戻れるかどうかの確信が持てていない。昨年、チケットのキャンセルを繰り返した暗い記憶があるせいか、そんなに物事がスムーズに運ぶとは考えられないのだ。タイではいつも、ここは日本ではない、タイだから、と諦めることが多かった。なんせタイだからなあ、と疑心暗鬼になる。
■日本の暮しは最高だった
60歳で仕事をやめ、タイに移り住んだ。母の介護は女中さんに任せ、テニスや旅行など気儘に過ごした。3年前に母が亡くなって更に心が軽くなったのは事実。残された時間をどう過ごすか。天の配剤というかそういった時期に日本に1年8カ月住むこととなった。数日差でタイに戻れなくなり、昨年の8月までは焦っていたが、秋風と共に日本の生活を楽しむようになった。九州、四国、京都、それに北関東の温泉に旅した。山中湖にある友人の山荘にも何度か招かれた。映画も見たし、本も多少は読んだ。日本の良さを改めて噛みしめることができた。あらゆるものに感謝する気持ちが強くなった気がする。
10月から11月にかけて小室圭夫婦のことでマスコミは大騒ぎだった。14日にNYに向けて出国するようであるが、混雑を考えると自分の出発日と重ならないでよかったと思う。
ここ1月、友人との話題といえばKK問題だった。人生経験の少ない若い二人の幸せを祈ろう、という人からKKは許せない、宮内庁が悪いという人まで意見は様々。KK問題を通して、ご皇室の在り方、ひいては日本の在り方、家庭の在り方にまで思いがめぐるから誰もが話題にしたのだろうと思う。
■KKはえらい
自分はベンチャー論の立場から、KKはえらい、と思っている。起業の目的は様々あろうが、大金を手にすることも目的の一つであろう。KKは1億以上の金を手しようと思った。そしてそのためのビジネスプランを作成し、実行し、成功した。元手はそれほどかかっていない。あなた、悔しかったら1億儲けることができますか? ゴールドディガー(ひも)というビジネスモデルは昔からあったのだろうが、KKほど鮮やかにやってのけた人物はいない・・・・。
戦前は宮家についての総ての権限、義務は天皇にあった。そもそも「皇室典範」だって御皇室内部の家憲であって、外部の人間があれこれ口を出すものではなかった。家憲は2600有余年の歴史を持つ。そんじょそこらの憲法とはわけが違う。
ご皇室でなくても家業が医者、坊さん、歌舞伎、政治家という家庭はある。お前はこういう家に生まれたのだから、家業を継いでおくれ。そういわれて、例えばロック歌手の道を諦め、家業を継いだ人はいる。皇室は2600年以上続いた「家業」だ。それを憲法に書いてあるからと勝手に結婚して許されるのか。もし悠仁親王殿下が「ボク、天皇じゃなくロック歌手になる」と言われたらどうなるのか。
■長子相続の美風
兄に「世が世であればお前なんか部屋住みの身分だ」と言われたことがある。でも家長であるなら、異国で尾羽打ち枯らして帰ってきた弟を一椀の飯であっても養ってはくれるだろう。
長男が家を継ぐ、その代わり親や兄弟の面倒を見る、ご皇室に限らず戦前の民法は長子相続だった。それが今は平等相続、葬式に妾の子まで登場して権利を主張する。結果として血族の絆は崩壊する。5チャンネルをみると相続争いの話で一杯だ。家族をバラバラにして個人を国家に結び付けて管理する、は共産主義が目指していることだ。
今年は皇室カレンダーを買う気がしないと言っている人がいた。こうして日本民族の絆が切れていくのだろうか。国柄を基にした憲法改正が望まれる所以である。