河口湖あたり
イチョウ、紅葉の競艶
河口湖紅葉祭り
河口湖の富士
同上
河口湖畔の公園から
読書、映画、会話
■安心の日々
兄が9月初めに帰国した。現在、茅屋に老人2名が暮らしている。お兄さんがお帰りになって賑やかになったでしょうと言って下さる人もいる。確かに会話があるから、黙想修行僧のような生活からは解放された。さりとて高尚な話をしているわけではなく、あの歌手、まだ生きてたっけ、ネットで見てみろよ、といった他愛のない会話で過ごしている。
それでも家に誰かがいると安心である。孤独死をした人を知っているせいか、自分がそうなって人様に迷惑をかけたくないと思っていた。武漢肺炎より、自宅の風呂で溺死する老人のほうが多いのだから、と酔っているときの入浴は控えた。二階への上り下りも安全確認をしながら一歩、一歩、ゆっくりと足を運んだ。転倒、転落によって死亡する人は年間8千人前後、交通事故死より多い。また転倒、転落死の9割以上が65歳以上の老齢者となっていて、半数以上は居室内で亡くなっている。
年を取ると平衡感覚が鈍る(自転車の走りはじめ、ふらつくことがある)、筋力が低下している(テニスボールに追いつけない)、視力が低下して足元が見えにくい(布団を二階に持ち上げるとき足元が不安)と、自分も年相応の自覚症状はある。それに家がもう立て替え寸前の古い日本家屋であるから、落とし穴こそないものの床の状態はいまいちだし、照明も暗い。事故と隣り合わせの生活ではあるが、兄が帰国し、同居しているお陰で、階段から転げ落ちても救急車をすぐ呼んでくれるだろうし、場合によっては葬儀社の手配もしてくれる。心強い。ブログがアップされているから生きているんだろう、などと言っている子供たちよりずっと頼りになる。
■読書
考えてみれば、昨年3月帰国してこの9月までの1年半が生まれて初めての独居生活だった。チェンライでは通いの女中さんか来るし、団地の警備員の巡回もある。見てみないようではあるがご近所の眼もあるから、「独り」を実感することがなかった。それに引き換え、緊急事態発令期間中は引き籠り、独り言が無ければ今日の発声件数ゼロ、という日もあった。
「世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞ我はまされる」(世の中の人々と、付き合わないというのではないが、心のままに独りで楽しんでいる事が私にとってはよい事と思われるのだよ)。良寛さんは子供とも遊び、70歳を過ぎてから40歳も年下の貞心尼という美貌の尼僧と交際していたから、人との交流という意味では自分よりずっと華やかな一生だったように思う。
ともあれ、交友関係の広い良寛さんも時には一人読書に耽って「ひとり遊びぞ我はまされる」と言われたのである。誰もがこういう瞬間を持つ。だから良寛さんの和歌が心を打つのだろう。
自分も地域の図書館にはお世話になった。20冊まで借りられるし、書架になくてもネット検索して予約すれば必要な本を取り寄せてくれる。ここ10年、殆ど読書はしていない。それまでは寝床の周りには数冊の読みかけの本があるという生活を送っていた。それが普通だと思っていたが、タイで暮らしてみて「あ、俺は本を読まなくても暮らしていける人間だったんだ」と気が付いた。読もうと思えば読めないこともないがテニスや旅行、ネットサーフに忙しく、車を30分運転して友人宅に本を借りに行くことも面倒だった。
■数粒の砂であっても
でも帰国して、古い習慣がよみがえった。友人から勧められた小説も読んだ。ここ10年で全く知らない小説家が活躍していることを知った。タイの歴史とか日本文化の本も読んだ。この本を読むとそれに関連する本も読みたくなる。映画も140本以上観たが、映画の原作となった小説はできるだけ読んだ。ネットによる本の取り寄せはこういう時に便利だ。「ご希望の本が図書館に着いています」とメールで教えてくれる。代行業者に頼めば宅配も可能ではないだろうか。
読書も映画も、そして人と会って話すこともみな共通点がある。それはそれまで知らなかった新しい、面白いことを自分に教えてくれる、ということだ。古今東西、日常、いろいろな人が自分とは全く違った経験をしている。そのかけらであっても新しいことを知ることは楽しい。
「私は砂浜を散歩する子供のようなものである。 私は時々美しい石ころや貝殻を見つけて喜んでいるけれど真理の大海は私の前に未だ探検されることなく広がっている」(ニュートン)。
自分は石ころさえ見つけられず、海の前の広い砂浜の砂を数粒もてあそんで喜んでいる子供だ。今日も兄に、あの俳優、生きてたっけ、と聞いて、ネットで調べろよ、と言われて過ごしている。