チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

老人は荒野をめざす

 

幻冬舎刊、858円

放浪する青春をジャズに乗せて

プーチーファの突端、下は崖

ドイパータンから

タイ側

 

老人は荒野をめざす

五木寛之の著書から

自分とか自分より少し若い年代ならの五木寛之の「さらばモスクワ愚連隊」、「青春の門」、「青年は荒野をめざす」などを読んだ経験があるだろう。自分としてはスペイン戦争に着想を得た「戒厳令の夜」、婦人画報に連載されていた「朱鷺の墓」の印象が強い。

五木さんは年齢を重ねて「大河の一滴」とか「孤独のすすめ 人生後半の生き方」といった老人向けの随筆を書くようになった。老人を励ます「新老人の思想」という本の中ではとうとう「老人は荒野をめざす」と書いている(そうだ)。

昔、3Kというと「きつい」、「汚い」、「危険」であったが、五木さんの言う老人に必要な3Kとは「健康」、「経済」、「幸福」とのこと。体、カネ、心と言い換えてもいい。まあ健康である程度の余裕があれば仕合せはついてくるだろう。ただ体はだんだん衰えてくる。いずれカネで体をカバーできない時が来る。それまではいろいろと人のために生きる。それが老人は荒野をめざすことだ、と五木さんは言う。

でも体が動くうちは人のために働け、は案外当たり前の老人向け説教ではないか。老人は荒野をめざす、などと大上段に振りかぶることもないように思う。それとも自分のような怠け老人にとっては働く、それ自体が荒野を行くに等しい難行苦行であると示唆しているのであろうか。

■青年は荒野をめざす

五木さんの著書は題名がいい。1967年に平凡パンチに連載された小説が「青年は荒野をめざす」だった。大学進学をあきらめた青年がトランペット吹きのアルバイトで貯めた金をもとにナホトカ航路で欧州をめざす。ジャズと女と酒の放浪の旅を通して若者の精神的成長を見事に描いている。「青年は荒野をめざす」もいいネーミングだが、この小説は8章からなっていて各章の表題もいい。第一章は「霧のナホトカ航路」、自分も1970年9月にハバロフスク号の3等船客としてナホトカに渡った。

第二章「モスクワの夜はふけて」はハバロフスクからモスクワへのツポレフ114の機内でのエピソードから始まる。モテモテの主人公は機内で知り合ったスチュワーデス(当時、今はCA)とモスクワの公園で関係を持つ。自分もこの飛行機でモスクワ入りしたが何もエピソードはない。風邪気味で空気の耳抜きができず、激しい耳の痛みを我慢していたという情けない記憶はある。こんなに辛い思いをするならもう金輪際飛行機には乗るまい、と思った。考えてみればあれが我が初の飛行体験だった。

モスクワのあと、主人公はコペンハーゲン、パリ、マドリッドリスボンなど各都市を巡り、ジャズ喫茶のトランぺッターとして稼ぐ傍ら、各国の可愛い子といい仲になり、スペインの男との決闘、あるいはドイツ人集団との殴り合いといったドラマチックな生活を送る。欧州のあとは恋人と共にジャズの本場、アメリカをめざす最終章「新たな荒野を求めて」で終わる。米国へ向かう貨物船の中で彼は大学には行かなかったがそれが自分にはよかったのだ、という自己肯定の手紙を父に送る。ザ・フォーク・クルセーダーズのヒット曲「青年は荒野をめざす 」は五木寛之の作詞だ。自分も終わりの「セイネンハー、セイネンハー、コウヤヲメザスー」の部分は歌える。

■タイトルがいい

ナホトカ航路、モスクワ経由で欧州へ、は当時一番安価な欧州行きのルートだった。自分もこのルートで、主人公と同じ都市をいくつか回っている。梗概を読みながら、自分はこの小説を読んでいないことに気付いた。

老人は荒野をめざす、という文章があるという「新老人の思想」も読んでいない。読んでもいないのに、五木さんの本についてあれこれ述べるのは烏滸がましいし、申し訳ないとも思う。でも本のタイトルに釣られて購入してみたが、内容は大したことはなかった、ということはある。「新老人の思想」を購入した人の読後感がネットに載っていた。以下引用。

「遊興に走らず同世代の健康に恵まれない同胞を助けるなど与えられた生を精一杯生きよと提言されていて、読後感はそれほど悪くありません。しかし、それでなお星3はなぜか。それは、出版社のパッケージングにやられたと思ったからです。この本は日刊紙の連載をバンドルしたものらしく、前半は表記のような主張に一貫性がありますが、後半は仏教論あり、人生論ありで幕の内弁当状態です。出版社のマーケッティングの旨さ、タイトルのつけ方に『やられた』と思いました」。

五木さんの著書名はいつも秀逸と思っていたが、同じ感想を持つ読者がおられることを知り、少しうれしく思った。