白梅
寺の本堂が少し写っている
いい香りがした
寺の本堂
寺の池
望遠で
クロス兼メモ用紙
■クロスの代わりに
ある家で夕食をご馳走になった時、各人の前に日本手ぬぐいの3分の2ほどの布が広げられていた。数年前、友人と銀座の加賀料理の店、加賀屋で昼食を共にしたときも同じ大きさの布が目の前にあった。手ぬぐいというには短いし、布巾というには優雅すぎる。独り用のテーブルクロスというのだろうか。載せる食器や料理も見栄えがする。
茶わんや鉢の糸切りが濡れていても卓を汚す心配がない。加賀屋から持ち帰った布を使ってみたが、洗うのが億劫である。月の変わり目でカレンダーを1枚切り取った。これを2つ折りにして布に代えてPCの前に敷いた。A3の大きさである。この上に焼き鳥パックや丼を置く。シミがつくが紙だから気にならない。汚れたら捨てればいいだけだ。
利点はさらにある。メモができることだ。食材の買い物リスト、気になる語句や俳句、煮物のレシピなどが書いてある。汚い字なので読めない字もある。それはそれで解読するという楽しみがあるし、読めなくても生死にかかわることではない。
■常緑低木
ナンテン、と書きなぐってある。ある日、思い立って庭の枯草を抜き、野放図に伸びた低木をバサバサと切った。名前がどうしても思い出せないまま、背の高さほどの木を切った。なんていう名前だっただろう。葉に含まれているアルカロイドには防腐、殺菌効果があるので弁当や魚料理に添えられることがある。それは思い出すのだが、肝心の名前が思い出せない。モヤモヤした気持ちで作業を終えた。多少体は動いても首から上は痴呆症か。
それが、2,3日経って神の啓示のごとく「南天だ!」と閃いた。布団から跳ね起きて、卓上の紙に「ナンテン」と大書した。名前さえわかればこっちのものだ。
「ナンテン(南天)は本州の関東より西、四国、九州など比較的あたたかい地域の山林に自生する常緑もしくは半常緑性の低木です。
ナンテンは中国や日本が原産で、自然界では1~3mほどまで生長します。
ナンテンの名前は、中国の漢名「南天竹」、「南天燭」に由来します。
「ナンテン」という語感が「難(ナン)を転(テン)じる」に通じるため、縁起木、厄よけ、魔よけとして古くから玄関先や庭に植えられてきました。また、ナンテンは「鬼門」と呼ばれる南西の方角に植えるのが良いとされています」。
ワイルスがフェルマーの最終定理を証明した時もこんな気分ではなかったか。少なくともその1000分の1ほどの嬉しさは味わったと思う。
■音楽も聴く
「フィンランディア」はある作家が、聴くたびに生きる勇気を感じると絶賛していた曲だ。曲名のフィンランディアは初耳だったので紙に書き写した。後日、ユーチューブで聴いてみた。何度も聞いたことのある名曲だ。どうして曲名を失念していたのか、初めから覚える気がなかったのか。
ロシアの圧政に苦しむフィンランド国民が奮い立ったというこの曲を聴きながら、50年も前、フィンランド人の青年と会ったことを思い出した。ナホトカ経由で欧州に行く途上、ハバロフスクからモスクワまでの機内だった。どんな話をしたか定かではないのだが、自分が「フィンランドはスオミというんだよね」と言った時、彼の目が輝いたことだけは覚えている。フィンランディア賛歌という交響詩に歌詞を付けた合唱曲がある。
おお、スオミ
あなたの日は近づいている
夜の脅威は既に消え去り
そして輝いた朝にヒバリは歌う
それはまるで天空の音楽のよう
夜の支配に朝の光が既に勝ち
あなたの夜明けが来る 祖国よ
帝政ロシアが演奏を禁じたというこの曲を聴きながら思い出に浸る。古い記憶は確かなのに最近の記憶が薄れているように思う。それはそれで仕方ないことだ。
■和歌、俳句も
「世の中に 交らぬとにはあらねども」と書いてある。続きは「ひとり遊びぞ 我は勝れり」。良寛の歌だが書いたときは良寛の心情に共鳴していたのだろうか。
「月草の仮なる命にある人をいかに知りてか後も逢はむと言ふ」は葉室麟の「蛍草」に出てくる万葉集の作者未詳の和歌だ。最後の数ページで殆どの人が泣ける。筋や感想を書き始めると字数が足りないのでやめるが、ひたむき、誠実、謙虚、忠節など日本人の美点を感じさせるいい小説だ。自分も斯くありたい。読了直後は切実にそう思った。
他にも「端居して濁世なかなか面白や」、「元日や我のみならぬ巣なし鳥」、「初詣一度もせずに老いにけり」等の俳句を書き写している。そう、1月以上、紙を交換していない。お茶や油の染みだらけだが、解読前の文字もあるのでなかなか捨てられない。