チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

悪い予感はよく当たる

ボークルアの塩、一袋20B

小分けされた塩、50B

サンサーイ市場

手前のキュウリは一皿20B

果物、手前はロンコン

一房15B(50円弱)手前の房は5B(20円)

 

 

悪い予感はよく当たる

■雨季でもテニス
1年中、短パンとT シャツで過ごせるから、タイは常夏の国で年間を通してあまり気候が変わらないのではないかと思う人がいる。でも大雑把に言ってタイには3つの季節がある。即ち、6月から10月の雨季、11月から3月前半の乾季、それに3月後半から5月の暑季の3つである。

今は雨季であるから雨が降る。今年は例年より降雨量が多く、この時期に田植えをする農家は喜んでいるが、スコタイ、アユタヤ、バンコクでは洪水となっている。雨季といっても1日中降ることは稀である。天気予報で1週間続けて雨傘マークがついていても週に4,5回はテニスができる。雨は夕方から朝にかけて降ることが多く、明け方に雨が上がっていれば、コートに行って水切りを行った後、プレーできる。水切りはゴム板を貼った専用器具と竹箒で行うのであるが、ITFのテニストーナメント開催に合わせて、効率の良い水切り器具が配備された。今年の始め頃はネットをすり抜けてボールが飛んでくるようなボロコートだったが、トーナメント前にネットは交換、コート表面も再塗装された。毎朝、無料で使わせてもらっている自分としては、費用の一部を負担してもいいと思うくらいコートの環境整備には感謝している。

コートの樹脂塗装はトーナメント期間中でも選手の激しい動きによって一部、剥離していた。トーナメント終了後もコート表面の剥離は進んでいるが、我々のゲームには全然支障はない。逆に再塗装工事が始まるとすれば、またトーナメントが始まり、1コートを除いて、我々、アマチュアプレイヤーが締め出されることになる。塗装剥離が放置されている限り、我々の天下は安泰といえる。

■テニスでの悪い予感
朝起きてみると雨が降っている、という日もある。局地的な降雨で我が家では降っていても、8キロ離れたテニスコートでは曇りということもあるので、小雨ならばとりあえず出かけてみる。概ね、6割の確率でプレーできる。でもコート上で雨が降ってきたらどうするか。2日続けてプレー途中で小雨が降ってきたことがある。全面的にコートが濡れるほどではないがスリップが心配である。プロトーナメントでは雨がぽつりとしてきただけで試合中断となっていた。仲間は大丈夫、問題ない、とゲームを続行したがるが、自分は頑なに「危ない、やめよう」。

プロを見習っているわけではない。10年前にプレー中に左足首を骨折したことを思い出すからだ。雨上がりのコートでスリップ、滑りきらず中途半端に止まった足に全体重が掛かって足首が90度外側に曲がってしまった。その瞬間、痛いより先に、あー、折れちゃったよ、しばらくテニスできねーな、と気分が落ち込んだものだ。

雨のコートというと悪い予感が頭をよぎる。また骨が折れるんじゃないか。「悪い予感はよく当たる」という。これは嫌な体験は記憶に残りやすく、無意識に防衛反応が起こるからという。自分の場合は無意識ではなく、あの骨折事故がまた起きるんじゃないかという予測から「悪い予感」が起きている。その悪い予感を軽視して、プレーを続けて足を捻じったとすると、あ、予感が当たった、俺はバカだ、と反省することになる。防衛本能や蓋然性のある予測が働くならば、その本能、予測に従って悪いことが起こらない対策を取る。テニスならプレーを中止する、だ。

■洞察力からくる予感
いやな記憶が無意識に蘇る、いやな記憶を思い起こして予測する、この2つから「悪い予感」が来るのだが、記憶のあるなしに拘らず、状況の変化を見てこれは何か起こりそうだ、と感じることがある。これを洞察力という。

遠くで波が立っている、風の向きも変わった、今日は泳ぎすぎて疲れが出ている。友人がボートで少し沖に行こうと誘ってくる。何か悪い予感がする。海難事故にあった経験がなくても一種の洞察力で危険を察知する訳だ。慎重な人、思慮深い人はこうして対策を取る。「君子、危うきに近寄らず」はこのことを差す。君子は思慮深い人、学識識見に優れた人を指すことが多いが、君子には為政者という意味もある。

日本は核弾頭を向けている国に周りを取り囲まれ、その脅威は自分でも感じている。文字通り、「悪い予感」がある。君子たる日本の為政者は自分より洞察力に優れた方たちばかりだと思う。為政者各位は悪い予感に対して賢明な対策を取って国民の心配を吹き飛ばしてほしいものだ。まさか「悪い予感はよく当たる」事態に陥ることはないと思うけれども世の中、何が起こるかわからない。