チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

テニストーナメント回顧

 

 

第4節、女子シングルス優勝、上田らむ選手

ロシア、ドモーバ選手

カザフ、アイニトディーバ選手

インド、ライナ選手

タイ、ブアヤム選手

健康美少女、サラチップ選手


テニストーナメント回顧


■季節はそれほど良くない
4月と6月、それぞれ4週にわたって国際テニストーナメントがチェンライで開催された。10年以上、ここでテニスをしているがプロのトーナメントが開催されたのは初めてである。バンコクでは何度かトーナメントが開かれている。

ところでタイに来た人が必ず聞かされる「オヤジギャク」がある。「タイには3つの季節しかない、それはホット、ホッタ―、ホッテストの3つ」というものだ。バンコクや南部の暑さはチェンライとは比べ物にならない。参加選手の健康を考えて、多少気温の低い北タイのチェンライで開催することになったとか。

でも4月は暑季、学校が夏休みの酷暑の時期だ。コート上では40度を超える暑さだっただろう。チェンライの市営コートは9面あるが、人が出入りするのは朝10時まで、そのあと陽が陰ってくる16時まで9面のコートは全くの無人となる。炎天下、タイ人はテニスはもちろん、街を歩くこともしない。トーナメントのスケジュールとはいえ、最悪のコンディションでよく選手は頑張ったと思う。

6月は雨季、4月ほど暑くはないが、スコールがある。コートにパラパラと雨粒が落ち始めた途端にゲームは中断となる。選手がスリップして怪我をする恐れがあるからだ。6月のトーナメントでは何度か降雨によるゲーム中断、順延があった。スケジュールの都合で1日に3試合に出場せざるを得ない選手もいた。試合中にメディカルチームのサポートを受け、テーピングやスプレーなどの応急処置を受ける選手も、更に途中リタイアする選手も少なくなかった。

苛酷な条件であっても100%の実力を出すのがプロというのかもしれないが、次回のチェンライ・トーナメントは11月から2月までの乾季に開催してほしいものだ。

■写真撮影
日本の女子プロのプレーを中心に写真を何百枚も撮った。我がニコンのP900に「スポーツ」という撮影モードがあり、この機能を使うとサーブやリターンの分解写真が撮れることが分かった。これにより写真の数も飛躍的に伸びた。枚数を多く撮れば中にはいいな、と思う写真も出てくる。フィルムと違って何百枚撮ってもコストは変わらない。テニスのサーブ練習と同じで、数をこなしているうちに写真の腕だって上がってくる。

応援、観戦に注力すると写真を撮る機会を逸する。写真ばかり撮っていると何処でポイントが取れたのかわからなくなる。ここぞ、という瞬間を見逃したり、撮り損ねたり、観戦者としてもカメラマンとしても失格だ。でも誰もそれで困らないのだからいいとするか。

観戦席は2つあって3,4番コート、5,6番コートに面している。他のコートは金網に仕切られているため、選手でなく金網に焦点が合ってしまうのでいい写真が撮れない。結果的に観戦席から撮れる女子プロの写真が多くなる。サーブに比べてリターンショットを放つときは動きが激しく、望遠の画面がどうしてもずれる。数枚に1枚いい写真が撮れればいい方だ。これまで絵とか花祭りの蘭とか動かない写真をブログ用に使用してきた。動きのある写真は迫力がある。頼まれてメール添付で選手にお送りした写真もあるが、何人かの女子プロにはUSBで百枚以上の写真を進呈した。素人写真で失礼とは思うが喜んでもらえればそれに越したことはない。

優勝選手の表彰式はコート内の特設会場で行われるのであるが、テレビや公式カメラマンに交じって、自分も当然のように会場に入り込んで撮影をした。自分がタイ化して図々しくなったのか、タイ特有のおおらかさか・・・。

■多くの人との出会い
コートに日参しているから、選手、大会関係者とも顔見知りになる。イチオシ、タイの美少女、サラチップちゃんは目が合えば練習の手を休めてワイなどしてくれる。日本の女子プロも明るい声でおはようございますと声をかけてくれる。

日本に1年8カ月居たけれども若い女性が挨拶してくれることなどなかった。日本でもチャンとお金を払えば、女性がニコニコしてくれる場所があることは書物で承知していたが、行く機会がなかった。
こちらでは挨拶ばかりか、時には四方山話も。息子などは「その話、聞いたよ」とつれないが選手には同じギャクやネタが使えて嬉しかった。また同行しているコーチの方からもテニスの専門的なお話や大会運営の興味深いお話を伺うことができた。

テニスをしている日本の友人は、普通はとてもそばにも寄れない、話かけるのも畏れ多い、という人ばかりだと言ってきた。そうなのかもしれないが、皆、礼儀正しく、明るい青年、お嬢さんばかり、日本の将来は明るいと感じた次第。