チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

トーナメント四方山話(4)

 

 

小林ほのか選手

同上

細木祐佳選手

男子選手

市川選手21歳

日本男子プロ

トーナメント四方山話(4)

■週5日出勤
朝、1時間半から2時間ほどテニスをしている。週5日ベースだ。ラケットが入ったリュックを背負って新型フォルツァに跨り、8キロほど離れた市営運動場へ。6ゲーム先取のダブルスを2セットこなす。テニスは全身運動だからT シャツは汗でぐっしょり濡れる。帰宅のバイク走行では濡れたシャツが心地よい。走行していると蒸発熱で火照った体が冷やされるのだ。

そんなにテニスが好きか、と聞かれるとそうでもないような気がする。チェンライではどこに行くにも車かスクータだから、歩くということがほとんどない。自分から体を動かす努力をしなければ、たちまちのうちに足萎えになってしまう。アンチエイジングまでは考えていないが夜眠れるように、ビールが美味しく飲めるようにくらいの意味はあった。でも体のため、と考えると億劫になる。土日は休み、週日はコートへという生活は現役時代の会社がコートに変わっただけかもしれない。休みたい気もあるが今日はテニスに行く日だから、と自分に言い聞かせる日もあった。

■楽しさを教えられる
だが、そんな気持ちを払拭する試合をトーナメントで見た。小林ほのか選手と小関みちか選手がペアを組み、ダブルスに出場した。二人はこれまでに何度もペアを組んだことがあるようだ。テニスの試合というとポイント毎、或いはリターンの度に雄叫びを上げる格闘技のイメージがある。ミスの許されない真剣勝負であるからそれが普通と思っていた。

でも小林、小関組はポイントが取れたといっては笑顔でタッチを交わし、失敗しては笑顔で励ましあう。試合中、ずっと本当にテニスが楽しいといった気持ちが体中から発散されていた。そうか、テニスは楽しいものなんだ。彼女たちのプレーで何かが解けたように感じた。楽しいからテニス続けているんだ。だからテニスが義務とか仕事と同じと感じた時は、やらなくてもいいんだ。

実は小林選手にその後、「お二人が楽しそうにプレーしている様子を拝見し、改めてテニスは楽しいものと実感しました。どうもありがとうございました」とお礼を言った。彼女と隣にいた細木祐佳選手が嬉しそうに微笑んでくれたことは忘れられない。そういえば翔平クンも野球が楽しくて仕方がないと言ってたな。

■日焼けをものともせず
ひと月、日陰の観戦席にいても陽に焼けた。日中、タイ人は歩かない。もちろんテニスなんかしない。テニス観戦も木陰に椅子を出すか,屋根のある観戦席に座る。

ところが一人、炎天下に腕組みをし、背筋を伸ばしてテニスを見ている人がいる。タイ人から見たらかなり異様である。コートの金網際に立ち、時折、明大ラグビーの北島監督のように「前に出ろっ」と男子選手にゲキを飛ばしている。日本の男子プロの試合はあまり見ていなかったが、すっくと立っているコーチに興味がわいた。話しかけたら「今は試合中だっ」と怒られるかと思ったが、意外と気さくな方で「あれ、日本の方ですか」などと愛想がいい。年は40歳くらい、元プロで男子チームの引率をしてきたとのこと。

このトーナメントはITFの年間550回開催されるトーナメントの中で一番下のクラスという。でも男女共インカレ、インターハイなどの優勝経験者ばかりだ。学生横綱になると幕下付け出しになるからこの大会はテニスプロの幕下クラスが出場しているのだろう。だがこのクラスにもいつかグランドスラムに出世する選手が混じっているはずである。男子も二十歳そこそこの若い選手が多い。

「幕下の頃から、三役まで行ける逸材と期待していましたが、やはりその通りになりましたね」という日が来るかもしれないが、日本の逸材でもやはり世界の壁は厚い。男女とも勝ったり負けたりと必ず勝つわけではない。160センチの人のサーブと190センチの人の繰り出すサーブは物理的に考えても背の高い人のほうが威力がある。

ラケット、ガット、テニスボールの進歩は昔に比べテニスボールの球速を著しく高めた。打ち方も変わり、手首や肩への負担も格段に増している。華奢な体の日本選手は初めからハンデを負っているといえる。そこを敏捷性、戦術(頭)でカバーしなければならない。

あとは精神力ですかね、とコーチは言った。横にあった椅子を差し出し、お座りになったら、といったが、いえ、これでいいです、と腕組みをしたまま、目をコートの選手に注いだ。一緒に立って話をしたので首筋が陽に焼けて痛くなった。この人はトーナメント期間中ずっと立ちっぱなしだったので、どんどん黒くなって最後はタイ人並みの肌の色になった。