チェンライの市場から

「市場に並べられた商品からその国の生活がわかる」と言われます。当ブログを通じてチェンライに暮らす人々の生活を知って頂きたいと思います。 チェンライに来たのは2009年から、介護ロングステイは2018年8月母の死去で終わりとなり、一人で新しい生活を始めました。

女子プロテニス

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2021年全豪オープン優勝

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笑顔がいい

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力強いリターン

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キング夫人の伝記映画、2017年「バトル・オブ・ザ・セクシーズ

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これが1973年の写真

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優勝決定の瞬間

 

 

女子プロテニス

 

全豪オープン優勝
最近嬉しかったことといえば、テニスの全豪オープン女子シングルスで、大坂なおみ選手が優勝したことである。大坂選手は2118年に全米オープンでセリーナ・ウィリアムスを破ってテニスの4大大会で日本人として初めての優勝を果たした。表彰式で、なおみちゃんが「皆さんはセリーナの勝利を願っていたのに・・・」と涙を流した光景は忘れられない。

今年の全豪オープンでは3年前に比べ、一回り体が大きくなり、サーブ、ショットの威力が増していた。7試合中、落としたセットはわずかひとつ、6試合をストレート勝ちしている。格段に安定感が増した。風格さえ感じる。たとえは悪いが貴乃花大関時代と横綱になってからの体格と安定感と言えようか。

ユーチューブで対戦を繰り返し見た。腰を落とし、バックハンドでクロスショットを決める。体の軸がぶれていない。美しい動きだ。ああやればいいんだよなあ、と納得する。実際はできないとわかっていても素晴らしいショットを見ると、いつか自分だって、と希望が湧いてくる。
彼女のサーブは180キロの弾丸サーブだけかと思っていたが、全豪オープンではゆるいセカンドサーブでポイントを取る場面が再々あった。

日本に来る前にひねくれたスライスサーブを体得し、外人に「スニーキー」と言われながらもサーブでポイントを稼いでいたことを思い出した。そう、そう、サーブでポイントが取れると試合がラクになるんですよ。

■女子テニスの草分け
チェンライで本格的にテニスを始めた。芸事は7歳から、というから60歳の手習いでは人並みの上達は見込めない。でも今からウィンブルドンを目指すわけではないから、楽しく体が動かせればいいと思ってコートに日参していた。体が動くうちがハナだし、同程度の技量の人たちが集まっている。順位とか獲得賞金には全く縁がないから気楽なものだ。
獲得賞金と言えば、2020年5月の米経済紙フォーブス(電子版)で大坂なおみ(22)が世界で史上最も年収の多い女子アスリートとなったと報じられている。
対象となっているのは2019年6月1日から2020年6月1日までの収入。大坂の総収入は獲得賞金とスポンサーからなどの副収入を含めて3740万ドル(約40億4000万円)に達し、過去4年連続で女子部門の1位だったセリーナ・ウィリアムズ(38=米国)を140万ドル(約1億5000万円)を上回った。大坂の年収3740万ドルのうち、大会で得た獲得賞金はその39%に相当する1450万ドル(約15億7000万円)だった。獲得賞金だけで約16億円は素晴らしい。この記録はさらに伸びるだろう。

自分のようなテニス音痴でも1970年代に活躍した女子プロテニスプレイヤーのキング夫人の名前は知っている。1971年にキング夫人は全米オープン2勝目も含めたシングルス年間17勝、ダブルス21勝を挙げ、年間獲得賞金額が11万7千ドル(当時のドル/330円換算で約3千9百万円)となり、10万ドルを突破した最初の女子選手になった。

しかし、当時の女子テニス選手に与えられた賞金は男子の8分の1ほどに過ぎず、男女の賞金格差は大きな問題になっていた。キング夫人はアメリカで1970年代初頭に起こった男女同権運動でリーダーシップを取り、男子選手たちから離脱した「女性によるテニスツアー」を提唱した。これが1973年に発足した「女子テニス協会」の原型となる。

■かつては白人だけ
1973年、キング夫人は当時55歳になっていた往年のプロテニス選手、ボビー・リッグスと有名な「男女対抗試合」を行った。2人の試合は“The Battle Of The Sexes”(性別間の戦い)と銘打たれ、大々的な告知が行われた。9月20日テキサス州ヒューストンで行われた試合会場には3万人を超える観客が集まり、テレビ中継でも大勢の人々が見守った。キング夫人はリッグスに 6-4, 6-4, 6-3 の3セット連取のストレートで勝利を収め、女性の持ち得る力を証明した。この試合をきっかけに、興行としての「女子テニス」が発展し始め、キング夫人はその後も女性の権利のために戦い続けた。

かつてテニスは、上流階級の、白人のスポーツとされていた。また、人種によって参加できないテニス大会も多かった。これをテニス界の悪習と考えた彼女は、あらゆる人種の選手が大会に参加できるよう、力を尽くした。そのかいあって、今では大坂なおみのようなアジア出身の選手や、ウィリアムズ姉妹のようなアフリカ系アメリカ人の選手をはじめ、すべての国の選手が自由に参加できるようになったのだ。大坂選手の優勝の陰には差別と闘った多くの人の存在がある。

それはそれとしてなおみちゃんの優勝は本当に嬉しい。