みなとみらい
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漁夫の利
■ローマ時代から
紀元前58年、シーザーはガリアの属州総督に就任した。ガリアとは現在のフランス、ベルギー、スイス、並びにドイツ、オランダの一部を含む広大な地域である。この地にはノルマンディーから来たケルト人、北東から下りてくるゲルマン勢力、フランス中央部にいたヘルウェティイ族(ガリア人)の3つの勢力が3すくみで対峙していた。
シーザーはこの3つの勢力に情報を流して互いに戦わせる。戦いに疲弊した3勢力を一気に殲滅してガリア地方を制圧する。この後、シーザーはローマに凱旋して皇帝となるわけだが、そのきっかけはガリアでの成功にあった。戦いに勝つにはできるだけ自分の戦力を温存する。敵同士を戦わせて、戦力が落ちたところで圧倒的戦力をもって、敵方を一掃する。効率的なやり方である。この戦法を20世紀の欧米諸国が採用した。英国はインド兵を使ってセイロン、ビルマを攻めたし、フランスはベトナム人を使ってインドシナを支配した。
■有色人を戦わせる
白人は自分では戦わない。有色人種同士戦わせて、有色人種がへたったところで漁夫の利を得る。アメリカはアパッチとチェロキーを戦わせて、居留地の女子供老人を皆殺しにして広大な土地を手に入れた。欧米は中国領土と権益を手に入れるために蒋介石を焚きつけて日本と戦わせた。
大東亜戦争では日本軍が戦ったのは欧米だったはずなのに出てくる兵隊はフィリピン人、インド人、中国人、マレー人などの現地人ばかり、やっと白人が出てきたと思ったらすぐ降参した。インドネシアでは色の黒い兵隊が出てきたが、逃げ出して戦わなかったため、オランダは開戦後、1週間で降伏した。
友人が週刊新潮の名物コラム、高山正之の「変見自在」943号を紹介してくれた。アメリカは、朝鮮で何も白人が血を流すことはない、日本人を使おう。そこでマッカーサーは吉田首相に「(共産主義の」悪と共に戦おう」と持ち掛けたが、吉田は「米国の盾となって戦いたいが違憲だからダメ」と笑って断った。
3万6千人の米軍兵士が戦死した朝鮮戦争が終わると、今度はベトナムがおかしくなってきた。昭和28年にニクソン副大統領が来日し、「米国は日本に非武装を強いる間違いを犯した」とGHQによる新憲法押し付けを詫びた。憲法を改正して軍隊を持つよう促したが、吉田首相は「いずれそうするが今ではない」と断った。アメリカは日本がだめなら、と韓国軍を使った。その代り日本はアメリカの指示で日韓基本条約を締結し、韓国に多額の経済協力をした。
コラムはこんなところだが、白人は有色人種を戦わせる、これは変わらない。ベトナム戦争ではラオスのモン族がCIAの指揮下で戦っているし、韓国、タイ、フィリピン、台湾からも戦死者が出ている。
■仏の圧政
自衛隊がベトナムに出兵を余儀なくされていたらどうなっていただろう。ベトコンを指導し、北ベトナムに士官学校を作って幹部を教育したのは旧日本陸軍の兵士、将校であった。危うく日本人同士が戦うところだった。そうなれば戦後、アジアの日本に対する態度は変わっていたに違いない。
19世紀にインドシナを植民地にするとフランスはまず刑務所を200ヶ所建設し、50台のギロチンを持ち込んだ。べトナム人のフランスに対する憎しみは強かった。大東亜戦争が終わったあと、ベトナムではフランス人が襲われる事件が続発した。
フランスは、捕虜となっていた日本兵に銃を持たせ、仏人エリアを警護させた。でもベトナム人がフランス人住居を襲うとき、彼らは日本人警護員を襲わなかったし、警護員は空を眺めて知らぬふりをしていたそうである。
■結果としてジェノサイド
国内に対立抗争がないと、白人は異民族を外から連れてくる。ベトナムには中国人を、ラオス、カンボジアにはベトナム人を移住させ、現地民の収奪、圧政を下請けさせた。ベトナム戦争終結時、中国系ベトナム人が、ポルポトのカンボジアではベトナム系カンボジア人がン百万人単位で虐殺されたことは記憶に新しい。
中国は、欧米だって民族浄化、虐殺をやっていたじゃないか、という。確かに一理ある。中国はそういった欧米のやり方を十分研究している。モンゴルのように内部を分裂させ、漢人男性を入植させる。法律に基づいて香港を中国化する。今、中国の支援を受けて日本を分断しようとする勢力がある。
戦わずして勝つことが孫子の兵法では最上策と言われている。皇室を貶める、憲法改正に反対する、東シナ海での中国の無法を見てみぬふりをする。行きつく先は戦わずして日本が中国の手に落ちる、その日が来ないことを願ってはいるけれど。