江戸時代の食事、大江戸博物館
大江戸博物館 1980年代の給食、ご飯がでた
1970年代の給食
60年代、揚げパン、ミルク、おでん
博物館では力道山の空手チョップが見られる
そのうちバチがあたる
■心遣いに涙
朝10時過ぎにインターホーンが鳴った。こんな時間になんだろうと、ドアを開けると、ゴミ収集の係員が門扉の方へ走っていくところだった。彼は戻ってきて「今日はゴミが出ていませんでしたが、お忘れではありませんか? 出ていないときはお声がけいたしましょうか?」という。
生ごみの収集は週2回である。その週は友人と旅行に出ていたので、ゴミの量が少なく小さめのポリ袋1つにも満たなかった。次回に出せばいいと思って門扉の前の収集場所には出さなかった。ごみを出さなかったのは初めてのことだったので係員が気を利かせてくれたのだろう。ここまで気を使ってもらえるとは、と感激した。品川区の公共サービスは素晴らしい。
独り暮らしであるのでゴミの量は少ない。基本的に自炊であるが、昔のようにキロ単位の生魚を捌くことはないし、野菜も6種類の材料がセットになった筑前煮の水煮とか冷凍野菜を使うことが多いから生ごみが出ない。さらに冷蔵庫はあるし、必要な食材はスーパーでいつでも買えるから残飯が出ない。残飯になる前に食べきってしまう。かなり環境に優しい生活と言える。
■捨てられる給食
内館牧子さんに「パン」というエッセイがある。小学校の6年生と一緒に給食を食べた。パック入りの牛乳を見ながら、生徒たちに「パックの牛乳だと、学校を休んだ子にパンと一緒に届けてあげられるからいいわね」、「脱脂粉乳のミルクだと届けられないもんね」。子供たちは不審顔、要するに休んだ子にパンを届けるという習慣は全くないからだ。内館さんは聞いた「じゃあ、残ったパンやパックの牛乳はどうするの?」
子どもたちの答えは「わかんないけど、給食の人が捨てるんだと思う」。さらに自分の残したパンも持って帰らない、給食室に返すだけ、とのこと。
自分はかろうじて給食の余得に与った年代である。女の子の残したミルクを貰って飲んだし、今ではご馳走となったクジラ肉の竜田揚げなども残すことなく食べた。食べるまで席を立つな、などと今なら体罰として教育委員会にチクられるような先生はいなかったが、給食で残飯が出ることはなかったように思う。それが飽食の時代で「給食の人が捨てるんだと思う」が当たり前になってしまった。
自分の少し前の時代には「欠食児童」がいたがもう死語となっていて、今の子供には意味が解らないだろう。
給食の現場が心を砕くのは「徹底的な衛生管理」と「残さずに食べさせる工夫」とのことである。食物アレルギーに留意して、その子にはほかの食材を使用することはもちろん、みんなと同じに見えるよう色、形を整えるという。
同じ、ということは大切で、例えばライスカレーについている茹で卵、黄身がはいっている子と白身だけの子では差別になる。そこで卵を大量に割って、黄身と白身を分けて、中が黄身、外側は白身の筒状のゆで卵を作る。これなら金太郎飴の如くどこで切っても「差別」は起こらない。
■見栄で食べない
内館さんが給食の新旧の差に驚いたのは20年前のことである。でも最近、更に驚くネット記事を読んだ。子供が飴とかちょっとしたお菓子を学校に持っていきたいという。お母さんが「給食だけでは足りないの?」と聞くと、学校で給食を太るから、と残すことが流行っているのだという。給食を全部食べないからお腹がすく、それでお菓子が要る。体調が悪くて全部食べられないならまだしも、太るとカッコ悪い程度の見栄で給食を残す。勿体ないはすでに死語か。ご飯やおかずが余れば躊躇なく捨てるという家庭は多い。残すこと、捨てることに何も罪悪感を持たない。
「頂きます、ご馳走様」には食物に対する感謝、食卓に上るまでに手をかけてくれた人々への感謝が込められているはずである。食育という言葉があるが、健康とか食事マナーばかりではなく食べ物に対する感謝なくして、どうして思いやりとか労わり、或いは飢餓の子への同情心が育つのだろうか。
給食代をちゃんと払っているんだ、だから頂きます、ご馳走様などと感謝の挨拶を言わせるのはおかしい、という親までいると聞く。
ポリ袋をなくそう、自然エネルギーを推進しよう、という前に、食べるられるだけの量を食べ、残飯、ゴミを少なくする、このほうが環境問題に資すること大だと思うが、自分の金で買ったものを食べようが捨てようが勝手でしょう、という「今だけ、カネだけ、自分だけ」の世の中になってしまった。そのうち、食べたくても食べられない、という食べ物を粗末にしたバチが当たる日が来るのではないか、と元脱脂粉乳お替り児童は心配している。